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溝の縁

1つ違いの兄とは趣味嗜好も価値観も重なるところが少ない。仕事上で行き来があるので顔はよく合わすがあまり話もしない。
小さい頃は年子という年齢の近さもあってか、よく喧嘩をした。
喧嘩はしても、兄弟姉妹という同じ屋根の下で物心を付けて行ったという、あまり自覚はないがアイデンティティのベースのような部分に共通するなにかはあったように思う。(うまく言えませんが。というより言いたいことがよくわからない)
「兄は嫌い」と小さい頃から思っていたが、本当に嫌いではなかったというか。兄は独特のくだらないギャグを言う人だったが、私は笑いたくないのに思わず笑ってしまうのだった。笑うのは兄を喜ばすだけなのでなるべく笑いたくないのだが「もーほんましょーもなっ!」と言いながら我慢しきれず笑ってしまうのだった。でもそのギャグは多分他人はよくわからないと思う。よく外国のギャグが全く面白くないような感じだろうか。家族という極小地域限定の可笑しいツボ、そんなものがあるのだ。

前置きが長くなってしまった。
そして話がまた飛ぶのだが、マヤカツという摩耶山をフィールドとして行っているサークル活動?の中のひとつ、「大人の下山部」というものによく参加して山を歩いている。下山部では行ったことのないところに連れて行ってもらえるのがありがたい。そんな中に「烏原貯水池」もあった。私の生家からとても近い場所だった。貯水地という名前だが、私のじいちゃんばあちゃんは「スイゲンチ(水源地)」と言っていた。兄だけがじいちゃんと「スイゲンチ」に行ったのをよく覚えている。私はきっと足手まといになるという判断で連れて行ってもらえなかったのだ。幼稚園に上がる前に引っ越したので私は「スイゲンチ」に行くことなく今まで過ごしてきたのだ。「ここがあのスイゲンチや・・・」とても感慨深かった。またとても良い場所だった。整備されてはいるのだが、手入れされすぎておらず、近隣の人がウォーキングなどしているものの、ぜんぜん観光地っぽくない。

もう一か所。生家から近い場所で「おだいっさん(お大師さん)」がある。正式名は「福寿院夢野大師」という。「おだいっさん」も私はいったことがなかった。私のひいばあさんが出家していて「おだいっさん」のお膝元で小さな不動明王をお祭りしていたのだ。ひいばあが信仰していた「おだいっさん」に行ったことがないのはひ孫としてどうなのか。と誰からも咎められたことがないのだが、行ったことのない「おだいっさん」ってどんなとこなんだろうと心の片隅に残った思いが「スイゲンチ」に行ったことで持ち上がってきていた。
自分でもどうしてあんなこと言えたのか不思議だ。先だって兄と顔を合わせたとき、冗談交じりに「おだいっさんに行く道おぼえとう?」と聞いてみた。「覚えとうで」と言う兄。「いっぺん連れていってくれへん?」と言うと、「ああ、ええで」と兄。(へぇ~意外な答え)とはいえいつ行くなどのちゃんとした約束もなにもなかったので、まぁそのままになって放置かなと思っていた。ら、違っていた。
その会話があった週の金曜日。「兄が明日いこか?」と言ってきた。(びっくり)
後で考えると兄も私に言われて行ってみたい気分になったようだった。

生家の近くまで車で行ってそれから「おだいっさん」に行くのかと思っていたが、東山市場の駐車場に車を停めてそれから歩いていくことになった。
「権現さんからの道がどうなっとうか見たいんや」と兄は言った。
生家からばあちゃんに連れられて東山市場によく行っていたのだが、その道をなぞりたかったようだ。
市場の中の荒物屋の前を通りながら「ここ昔からあるやろ」と兄。
「そうやね」と返す私の中では印象に薄い店だったが。
「ここで鉄腕アトムのせっけん箱売ってたんや。欲しい言うたんやけど、こうてくれんかったんや。ドナルドダックのせっけん箱をこうてくれたわ。」と唐突に思い出を話しだす兄。
「へえ。せっけん箱なんかなんで」 私は一瞬わからなかった。
「銭湯行っとったからな」 あ、そうや、そうだった、いつも銭湯だった。
「高かったんかな。鉄腕アトムのやつ」
「そうやろ」

そのまま歩いていく。夢野商店街を通る。
「もう商店街の看板なくなったからな。何となく商店街やった感じ残ってるやろ。あ、この店はまだやってそうやな。」などと兄。
わたしと年子の兄の記憶と私の記憶の差がたった一年なのにかなりあるのだった。
権現さん(熊野神社)に着く。その西の路地を北に歩いていく。細くて車の通れない曲がりくねった道。
「ここをこっちや」と言いながら道を間違わずに歩く兄に付いて歩く私はうっすらと見覚えを感じるのだが、どこの道なのかわからない。

あるものを見てはっとした。「これ知っている!ここにあったんや」
忘れていた。でもしっかりと記憶に残っているあるものに出くわしたのだ。
なんと呼ぶものなんだろう。家の横にある溝と路地を仕切るようにある盛り上がった縁石。縁石でいいんだろうか。
何故か好ましく感じたビジュアル。
この上を歩いたことも。
でこぼこした表面が足裏に当たる感覚も。

そのまま歩き続けて「おだいっさん」に着いた。
健脚だった兄は息が切れていた。
帰り道は同じ道を辿った。
東山市場に寄った。兄は刺身をいろいろ見て買っていた。
まるよしでホルモンの串を買い、マルカの薄いミックスジュース飲んだ。

ほとんど話らしい話をしなかったが、普段はもっと話さないので久しぶりに兄と話しをした気がする。
兄は死んだ父に似てきたと思う。
私も死んだ母に似てきているのだろう。
子供の頃の経験をなぞるのは懐かしいとも違う。
表現しがたい気持ちをうまく言うことができない。

それにしても何故あの溝の縁がこんなにも印象に残っていたのだろうか。
あの道を通るとき、絶対にしていたことが、この溝の縁の上を歩くこと。ばあちゃんに手をつないでもらいながらバランスをとりながら歩くことだった。兄も同じことをしていたと思う。
こんなたわいのない「遊びながら歩く」という幸福。ばあちゃんだから手をつないでくれて、なんの遠慮なくその遊びができるという幸福。このようなことに勝る幸福があるだろうか。世の中のいろんな手あかにまみれた今の自分には手に入れることのできないもの。
子供にとって生き物にとって大切なことってこのようなことに違いない。
胸がじんわりと温かいお湯でひたひたに浸されるようなそんな感触を味わっていた。

そして他にも私の脳裏に残っていたものにいくつも出会った。
ああ、ほんとに久しぶり、思い出したよ!
あんたたち元気にしていたんだね!

最後の子が好きすぎるのだ。
でこぼこの溝の縁がいっしょにあるのだ。
この場所を愛しています。
ばあちゃんと手をつないだあの頃のわたしがここにいる。

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