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鳥葬の禊-西四川省 〈閲覧注意〉

リタンという地で鳥葬をみた。 
鳥葬とはチベットの文化の一つで
その名のとうり
鳥が人の死体を食べる葬儀。

**〈閲覧に注意してください。〉

この記事には鳥葬の写真が載ります。見たくない方は閉じてください。



●チベットでは死んだ人間は魂と肉体が離れていると考えられていて
人の死体を鳥葬師がナイフで切り刻んで
それをハゲタカに食わすという、
日本文化からは考えられない方法で葬儀が行われる。

それはリタンの鳥葬場という原っぱで見られ、
観光者が時々訪れては
チベット文化を目の当たりにすることができる。

私はこれを見るべくしてリタンに降り立ってすぐに
いろいろきいてまわると
鳥葬は月水金曜の朝に行われるとのことだった。
すでに、これを見るという罪な気持ちと、
散々戦った後だった。だから、迷いはなかった。        
翌朝一番にタクシーで鳥葬場に向かった。
手には「撮影させてほしい」とホテルの人に中国語で書いてもらったメモをにぎっていた。

リタンはラサよりも標高が高く4000mを超える。
とても寒かった。
8時についたけど待てどもまてども儀式は行われず、
人っ子一人いないただっぴろい丘に待つこと1時間半。


落ちてた。

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〈他に観光客は何人か来たけどあまりに寒いのでみな帰ってしまった〉



遠くの山にハゲタカの影が見えた。
絶対に今日行われるはずだと思った。
待つことさらに30分。
車が二台やってきた。それが鳥葬師達だった。
私はあいさつをしてメモとジェスチャーを使って
鳥葬を見させてと頼む。
チベット僧はすぐにいいよと笑顔で言った。
が鳥葬師達はそんなに笑顔じゃなかった。 



お経を唱え出した。お経を唱える前に写真を撮ったら鳥葬師に「ブーシー (だめ)」といわれた。
お経が何かのタイミングの境目らしかった。

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〈小雨が降り始めた〉



最初に僧侶のお祓いみたいなのが行われ、 
その後すぐその人(私に撮影許可した人)は帰って行ってしまった。
あとにのこされたのは先ほど苦い顔をした鳥葬師たち。
なるほど。こういうことだったか。

そして、鳥葬師たちは車の中からだしておいた
死体を白い袋から出し、たんたんとナイフで切り刻み
鳥が食べやすいようにする。

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〈頭部とつないだ紐は地面に立てた棒に括られた〉



死体は日本では遺体と呼ぶけど
その時はただの肉の塊だと理解がすんなりできるほどに
あまりに簡単にナイフでどんどんきられていく。

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〈遠くの山に、続々とハゲワシがやってくる〉


雨が強く降ってきた。
そのタイミングは、
写真を撮ることをとがめるかのようだった。
私はシャッターを切るが
シャッターを切るからこれを見れている気がした。
何もすることがなければ、眼前に広がる光景は、
ある時、目をそらしたくてたまらなかった。


特にそれはナイフを顔に入れたときだ。
魚をおろすように、腐敗した顔面がナイフを抵抗なく受け入れ、
ペロンと、顔が剥がれたのだ。


死臭がし、やせ細っていて、足先は真っ白。
吹き出る血も何もなかった。
ほとんどうつぶせにされていたけど男性のようで、
そんなに歳をとっていなかった。


どうしてこの方はなくなったか
中国語がわからないのでそれすら問えない。
ただ目の前の光景を見ることだけが
私の存在の意味だった。


一羽のハゲタカはそのあいだじゅう鳥葬師のすぐ後ろで様子を伺っていた。  
背中 腕 足 髪の毛をきって 頭皮と顔という順番だ。


肉を切り終わって
死体から鳥葬師がすこし去ると
ほかの一羽のハゲタカが上空を旋回しながら降り立ち
そしてすぐに何十羽というハゲタカが一気に遠くの丘から
死体のそばに飛んでよってくる。
あっという間に、死体は巨大なハゲワシに取り囲まれた。

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〈あまりじっと見ない方がいいかも〉


数羽がゆっくりと、       
様子を見ながら死体をつつく。
するとすぐにたくさんの鳥が肉を取り合ってグワッグワと言いながら食べてゆく。

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〈奪い合って喧嘩になる〉


死体は鳥につつかれるたびに四方八方にビクビクッと奇妙に動いた。
食べられていく姿は、それがもう人だったと思えなくさせた。
そして、自分の中で何かが崩壊していくのを感じた。
もう死んでいるのに、今殺されているようだ。
残酷だなんて言葉は入ってくる余地を失っている。
自分が今鼓動させている命の尊さが、
尊いと思い込んでいたもののような気さえする。



鳥葬師と一緒にすぐ脇の小屋の中で、焚き火にあたった。
みんなで談笑していたら、こちら側は生の世界だ、という実感が湧いてきた。

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〈その手が肉を切ったんだと思うと、、、〉



そのうち、死体が切り刻まれることより、鳥に食べられる事より、
雨だったことが故人にとって最も残念なことのように思えてきた。



約20分後、その場所に戻ると、それはすでに骸骨になっていた。
肋骨は、こんなに大きくひろがっていたのか。

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〈見慣れた人の形ではなくなった時、とてもほっとした〉




その後も儀式は淡々と続く。
鳥葬師はハンマーで骨を時間をかけて砕いていく。 

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この骨も全て細かくしてハゲタカに食べてもらうのだった。 さっきは怖く見えた鳥葬が今はとても厳かに見えてくる。
 雨は、だんだんとやんでいく。 

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跡形もなく自然の生き物に食べられ、
空を飛ぶということ。 

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〈巨大なハゲワシ〉


それはとても荘厳なことに感じた。

周りに木がなく火葬できないという条件もあってのことらしいが、
鳥葬の文化は、生前人が自然や生き物に受けた恩恵を
最後に感謝し自然の一部になるという大切な意味がこめられている。

鳥たちが大空に飛び立つのを見て、
故人が自然に還っていったというのを体で感じた。

そしてそれを見ていたら、
心のどこかで羨ましいとさえ思える。すごく幸せなことだ。
それは死をもってしても、なお形を変えて大空を旅し、
生き続けることそのものだった。
理屈ではない実感だ。●


****




鳥葬師たちと同じ車で街まで降りた。

そして自分の宿まであと数メートル、というところで、
大人になって初めてうんちをもらした。

それが、標高4000メートルがもたらした高山病だったのか、
ただ腹が冷えただけだったのか、
あるいはなにかの禊だったのか。

真相はわからないがもう人間として終わった。と思えた。

うんちを漏らしたことがある人にきくと、
みんなこの気持ちに共感してくれる。

誰にも知られずに後始末をしようと思って
トイレで立ち尽くしているところに、
偶然掃除の人が現れ、「ここはまかせて」といわれ
そして世話になってしまう。。。ああ!!


それは鳥葬を見た時の感動とは似ても似つかない果てしない虚無感だった。
私の鳥葬見学体験において、その一コマは、
必ずセットで思い出されるものになっている。



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追記:調べるところ近年、鳥葬はラサに近づくほどに、
観光客へのショーのようになってしまっているらしい。
ラサは中国からの取締がきつく、
もう純粋なチベット文化が残っているかわからない。


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