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湧水と見えない酵母の力をかりて 手を動かし作ることが幸せです。 生まれてから これからのことを 書いたりしています。

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(わたしのちそう)俯いても

受験で志望大学に受からなかったことを初めの方は引きずっていた。 話しかけてくれた人にも話すことをしなかったし、できなかった。 時が経つごとに、私自身が和み、話すことができてきた。 学生の中には 社会人になってから 還暦を過ぎてから 短大に入った人もいて その人の話も面白かった。 彫り師、社長、など。 教授や助手の方との話、 週末に出かけるギャラリーや美術館、 彼氏と話し触れ合う日々。 油画制作しながら、隣のブースの友人を話す時間 かつてないほど 私は、私、に近づいていた

    • 限りがあるなら

      私には限りがあることを、 35を過ぎた頃初めて実感し始めた。 限りがあるのに 私は、私を、優先して生きてこなかった。 今 私が心地よい状態にあるために、 私が幸せてあるために、 私は、私を、誰よりも優先することに決めた。 しかし、 ここ数年、ここ一年、 どうにもならない状態が続いている。 どうにもできない状況で、 心身に不調が出ることも屢々。 人は永遠に続く苦痛は耐えることなどできない。 信頼する人々と話す中で この状況を乗り切るために、 この状況下に身を置いておく期

      • ちそう

        いつもそこにあり 動くことはないと、考えてしまう。 空気も土も人も私もあなたも。 火山を初めてみた。 車で進んでいく道から見える植物は 一刻ごと変化していく。 背丈のあるすすきから 地表に這うように生える植物へ。 そしてそれすらも少なくなる。 土の色も変化し、赤黒く 石や岩石のみになる。 草の香りから硫黄の臭気へ。 草を撫でる風から火山山頂の吹き荒ぶ風へ。 地球の始まりが見えたなら 地球の終わりが見えたなら こうだっただろうか。 火口から上がる煙、遠くに見える地層。

        • 辿る

          近頃は、時間を作って 今の私に繋がる物語を紐解いている。 今まで、私は私というイノチを見ずに 他の、周りの価値観を優先させていた。 気づいたら、私というイノチは 私の中で一人っきりで 寂しくて 拗ねて 泣き、怒り、疲れていたのだった。 私は、どうして 私にこんな寂しい思いを させてしまっていたのだろう。 まず、私がこの子を愛してあげたい。 そのために、今の私を一番に理解し、 今の私がどのようにしてできあがったのか それを知りたくなった。 父母 祖父祖母 それよりも以前の

        (わたしのちそう)俯いても

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          (わたしのちそう)溶け合う

          毎日片道2時間の通学も 早朝から始まる漫画喫茶のアルバイトも 苦痛ではなかった。 自分で決めて、自分で始めたものだったから。 朝5時に漫画喫茶に行き、清掃や接客を行う。 夜通し漫画を読む人、カラオケする人、ネットゲームする人。 バイトのシフトでは、 1歳年上の、ゆったりとしたSさんとペアになって仕事することが多かった。 私は、父親と離れて暮らしてから、 中学校でも高校(女子校)でも 異性と一緒に過ごすことがほぼ無かった。 というか、人と関わることをしてこなか

          (わたしのちそう)溶け合う

          (わたしのちそう)初めの第一歩

          諦めが悪い人生なのか 私は浪人することにした。 もちろんお金などないから、 専門学校のお金は私の貯金から出した。 残念なことに 浪人しても 私はやはり勉強ができなかった。 ただ一つ、 同じように美術大を志す同窓生とは 心地よい友人関係を結べそうになっていた。 うまく描けなくて お互いに精神的に励ましあったこと。 笑いながら帰る帰り道。 学校帰りに 一人暮らししている友人宅近くのカラオケで 朝まで歌ったこと。 専門学校では文化祭を催したこと。

          (わたしのちそう)初めの第一歩

          (わたしのちそう)迷子

          ひとり親 (父親が出て行ってから離婚はしていないものの実際ひとり親だった) 経済力 学力 私という人格と周りの人の人格 高校生になって感じたのは 当時言葉にして表現はできなかったが 同窓生と私との間の格差。 放課後に遊びに行くゲームセンター 何度も何度も繰り返し撮影されるプリクラ 化粧品、靴下、ブランド品、 お菓子、学食、飲み物 付き合う人 全てが私の生活・基準とは異なっていた 通う私立高校では、周りの生徒は皆どこかのお嬢さんだった。 放課後は塾に通うことが普

          (わたしのちそう)迷子

          かわりめ

          求めていたものが 求めた姿でやってくるとは限らない。 きれいで、 洗練された、 というようなものでなくて、 どっちかっていうと 古臭くて 胡散臭く見えてやってきた。 今求めていたものに気付けたのは 自分の見え方、 感じ取り方が大きく変化したからと 実感できる。 どんな姿を借りて 私にやってきてくれたとしても 私がそれを受容できる状態であれば、 受容できうる。 そして、 今日嬉しかったことは 子が自分の気持ちを私に話せたことだ。 あの人の言い方が変だ。 あんな言い方をし

          かわりめ

          少しづつ叶える

          振り返ってみたら、 ひとつずつ夢を叶えてきた。 離婚すること 自立して、子と暮らすこと 猫と暮らすこと 人と共に暮らすこと コミュニティを作ること 大きくはないけれど、 少しずつ、叶えてきた。 ただやり方が、 自分を締め付けるやり方が多かった。 でも、あのときは そうするしかできなかった、とも感じる。 それは私が私を理解できなかったから。 また 少しづつ深く 少しずつ広く 私は私を理解し 私が求めることを 実現していく。 今度は、 また違うやり方でやってみる。 このプ

          少しづつ叶える

          今ある私に必要な基準

          基準はいつでも塗り替えられる。 かなり、変動あるものと体感してきた。 ある人が、 国際ルールが、 1年前の私が、 5年前の私が、 1ヶ月前の私が、 自分の中のマジョリティ(多数派・常識派)が、 ありえない!というような事柄も 今ある自分にとっては 彼らのいう基準が ありえなくなってきてしまった。 彼らの基準は、正統派、だ。 勝手にやっといてくれ。 私は今の私の周りに起こる事柄を 心地よくするために日々挑戦しているのだ。 自分の未来のために。 3年前の自分なら、 甘酒作る

          今ある私に必要な基準

          (わたしのちそう)<評価>される勉強と自分のための勉強

          中学生時代、 何ができるというわけでは無かったが 地理と英語と美術は好んで取り組んでいた。 閉じこもった世界にいた私は 地理や英語で世界の文化を知ることで 私の中に風を吹かせたかったのかも知れない。 小学生時代に描いた絵が 一度佳作をとって 美術館に行ったことがあった。 自分としては、適当に描いてしまっていたので なんだか腑に落ちない部分もあったが 薄暗く、重厚な洋館に飾られた自分の絵は こそばゆくもなんだか嬉しく 母と父を独り占めして 一緒に電車

          (わたしのちそう)<評価>される勉強と自分のための勉強

          文字にしていく中で生まれる時間

          近頃、仕事に行く前日の夜 子と共に机に向かって 新聞を作ったり、絵を描いたりしている。 文章や絵を描きながら、 子はこの時間に疑問に思っていたことが湧き上がってくるのか、色々聞いてきてくれる。 私はというと、 投げかけられる質問にどうやって回答すれば良いのか毎度頭を捻らせている。 例えば、時間の考え方。 たかきびってなに?から始まって、穀物(こくもつ)ってなにか。 時間については、 1秒は60個集まると、1分になる。 1分は60個集まると、1時間になるよ。 でも、 時間

          文字にしていく中で生まれる時間

          (わたしのちそう)もの思う時代の始まり

          毎日顔を合わせなければならない友人と どうやって付き合っていけば良いのか 私は分からなかった。 立っているはずの 座っているはずの 場所に、 私が居るのか分からなかった。 家では、 母親はアルコール中毒になりかけていた。 夜中にお酒が飲みたいと言って、 酒屋の自動販売機まで付いて行く。 一番小さいのだから、と缶ビールを飲んでは、 顔を真っ赤にして 全てを忘れるように眠った。 謝ったり、怒ったり、泣き続けた。 そんな母親を見ては、何度もお酒を飲まない

          (わたしのちそう)もの思う時代の始まり

          世界は何からできるのか

          ある本を読んで、同じ感想を持つ人はいるか。 確かに似たような感想は持ちうるかも知れないが 同じ人であっても、 時期によって 感じ方が異なるのもまた事実だ。 一つの出来事があって、 それを 批判的に捉える人 受容できる人 その違いはどこから生まれるのか。 過去からの経験 その時の心身の調子 自分に良いように捉えたり 自分に悪いように捉えたり 同じ情報があっても、 同じように捉えてもらえないことに 何度も苛立ちを覚えたことがあった。 今、 時間的・物理的距離を保つこ

          世界は何からできるのか

          (わたしのちそう)小さな学生。6年の中で

          6年というのはあまりに長い。 学校で過ごす時間は 家で過ごす時間よりも長いのだ。 そこから受ける影響は 深く、強い。 初めて 人間関係、 というものを知ったのはこの頃で それにつまづいたのもこの頃だった。 保育園時代の友だちは、別クラスになった。 1、2年生の頃の先生が 怖すぎて 私は完全に萎縮してしまった。 毎時間叱りつけられる同級生を見ては 毎日震え上がっていた。 忘れ物をしてはならない。 音読で間違ってはいけない 宿題はしなくてはいけな

          (わたしのちそう)小さな学生。6年の中で

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