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(わたしのちそう)迷子

ひとり親
(父親が出て行ってから離婚はしていないものの実際ひとり親だった)

経済力

学力

私という人格と周りの人の人格

高校生になって感じたのは
当時言葉にして表現はできなかったが
同窓生と私との間の格差。

放課後に遊びに行くゲームセンター
何度も何度も繰り返し撮影されるプリクラ
化粧品、靴下、ブランド品、

お菓子、学食、飲み物
付き合う人
全てが私の生活・基準とは異なっていた

通う私立高校では、周りの生徒は皆どこかのお嬢さんだった。

放課後は塾に通うことが普通で
親に何かを買ってもらうことも
費用の心配など必要ない家庭環境。

家族に愛される、もしくは甘やかされている話。

どれも私にはないものだった。

母がなんとか捻出している学費。
交通費。
制服。
教科書。
修学旅行費。
学校維持費という使途不明の献金。

母がたくさんのお金を出してくれているのは理解できた。
でも、私はどうやっても勉強ができなかった。
私立に入れてもらったのに、
みんなより恵まれていないのだから
私は周りよりハングリー精神があるはずなのに、
どうしてこんなに勉強ができないのか
分からなかった。

進学クラスに行くと言っていた約束も
叶えられないくらい成績が悪い。
先生の話す言葉が全く頭に入らなかった。

国語の勉強をしているのに、
何を書いた文章なのか分からない。
私が普段話している言葉は日本語なのか分からなくなった。

古文・漢文のテストはいつも勘。

記憶することができず、歴史も頭に入らない。
英語の勉強は好きだったはずなのに
テストのために覚えなければならない単語が覚えられない。
数学の数式も、物理学、化学の話も。

いつも私は教室で浮いているようだった。

友達とは大きな溝が感じられて
どう付き合っていったらいいのかより分からなくなってしまった。

話ができる人もいない、
私は教室で閉じこもった。
グループを組まなければならないとき
私は、また仮面をつけて会話した。

大人の考えることや違和感を敏感に感じ
狡賢くもなる時期に周りにいる大人。
普通科クラスの先生自体も
生徒に教える、ということに
情熱や理念は感じられなかった。
彼らもまた、進学クラスを教えていない先生、という
何かにジレンマを抱えているようでもあった。
教科書をなぞるように話をし
先生たちの顔は、いつも仮面のようだった。
彼らが教えているものが一体何なのか。
私には分からなかった。


進学の話がされるようになったとき
私はどうしたらいいのか全く分からなくなった。
勉強はできない。

仮面の奥の、
毛布にくるまったままの
タイムカプセルに閉じ込めた私と
仮面の外の私を繋ぎ止めたかったのか。
ただ、
勉強から逃げたかったのか。
そのどちらもか、どちらでもないのか、
私は美術大学を受験することを選択した。

美術専門学校を探し、高校2年生後半から通い出した。

それまで絵が好きだったけれど
デッサンも作品も作ったことなどない。
描いていたのは漫画くらいのものだった。

初めて鉛筆をカッターナイフで削り
デッサンをしたことを覚えている。
後ろで先生が通るたび、緊張し
隣の学生の出来栄えに怯んだ。

どう鉛筆を動かせばいいのか
どう対象を置けばいい構図になるのか
どうしたら効率的描けるのか
どうしたら評価される絵になるのか

どれ一つを取っても
私ができるものは無かった。
私の能力の外側にあった。

出来上がった画用紙に落ちている
歪んだレンガ、
毛羽立ってどこに立っているか分からないビール瓶。

自分で絶句した。

私が好きだと
先生が続けて行きなさいと話してくれた
自信を持ってできると思っていたものは
なんだったんだろうと。

周りの人たちの綺麗さ。
自分も絵も、
全部くしゃくしゃにしたかった。

出題された題に従って描く色彩画や立体作品
画用紙に綺麗に描く水彩画や鉛筆デッサン
同時に高得点が必要なセンター試験

高校の勉強ではどうにもならず
結局塾に通うことにしたが
自分の貯金から支払ったり、
母親に借金することになった。
しかし、先生が変われども
私自身が変わるわけもなく、
勉強は分からなかった。

夜遅くまで勉強をしても
私はテレビや漫画を見たり
居眠りしたり
絵の勉強もせずにいた。

それなのに、費用のかからない美術大、ということで
非常に難しい京都市立の美術大を受験することにしたのだった。

受かるはずもなく、私は受験に失敗した。

高校卒業の日
連絡先を交換したり、写真を取り合う同窓生たちの横で
別れの悲しみも
将来への喜びも湧かない私は
ただ家に向かった。

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