(わたしのちそう)小さな学生。6年の中で
6年というのはあまりに長い。
学校で過ごす時間は
家で過ごす時間よりも長いのだ。
そこから受ける影響は
深く、強い。
初めて
人間関係、
というものを知ったのはこの頃で
それにつまづいたのもこの頃だった。
保育園時代の友だちは、別クラスになった。
1、2年生の頃の先生が
怖すぎて
私は完全に萎縮してしまった。
毎時間叱りつけられる同級生を見ては
毎日震え上がっていた。
忘れ物をしてはならない。
音読で間違ってはいけない
宿題はしなくてはいけない。
宿題を忘れるなんてもってのほか。
しなくては、先生に叱られる。
怖い。
先生に好かれる生徒でなくては。
3年生4年生では、いじめを受けた。
毎日変わる友人の標的。
明日は我が身で、
毎日毎秒
いじめる子と周りの友人達の
顔色を窺っては怯えていた。
着る服が似合ってないだの。
不細工だの。
元々可愛い幼馴染や
いとこたち
(父方祖父母は可愛いいとこは可愛がった)
見るたびに劣等感を持っていたが
これによりさらに劣等感を抱くようになった。
当時、反撃する、攻撃する、怒る、無視する、
転校する、見返してやる、
ということが思考や炎は
私にはなかった。
4年生の時、あまりにいじめが我慢できなくなり
筆箱にいじめられていること、
助けてほしいこと、
を書いた小さいメモを入れた。
当時、鉛筆削りは母がしてくれていた。
(自分でしなさいよ。と突っ込みたいが、
これが幸いした)
母はそのメモを発見し、担任に相談してくれたのだった。
そこから担任、母、友人、友人母と話合いが設けられた。
幸いに私はこれが原因で
命を失うことがなかったが
その後3年後に、通っていた中学校で
いじめが原因で自殺した少年がいた。
中学校の朝礼でその話を聞いたとき
他人事とは考えられなかった。
私は今話されている少年になるかも
知れなかった。
5、6年生の時、
再び恐慌政治をもたらす
先生が担任としてやってきた。
あだ名呼びを強制され
鉛筆はB以上を用いねばならないし、
忘れ物をしようものなら、
詰問される。
叱られる、怒られる対象が
自分であろうが、同窓生であろうが
毎度胃が痛くなった。
一生懸命大人の良い子になろうとした。
家に帰れば、
機嫌の悪い父親、母親を蔑む家庭環境。
その中で情緒不安定な母。
どこにつけば安定するのか、
考え、私自身も母親をいじめた。
学校に行けば、
自分の出し方がわからず
友人との付き合い方に悩み、いじめられ、
先生が怖くて頑張らないとと
自分を奮い立たせた。
私はいつも
外側、
いわゆる多数派、
強者
(先生、父親、いじめる子など)から
求められているであろう
<良い子><都合の良い子>を演じ続けた。
今居るこの場所で、
安心していられるために
私は努力して<良い子><都合の良い子>を演じ努めなければならない。いじめる側にも回った。
小学生の私の世界は
あまりにも狭く、知識もなかった。
手元にある毛布で
<自分>を覆いまくって
<自分>が自分でも見えなくなり
声すらも聞けなくなっていた。
自分が何がしたいのか
何を考えるのか。
私は<自分>に聞くことが無くなった。
毛布の外側に仮面を作って
仮面で外部と会話した。
<自分>を守るために。隠すために。
内側にいる<自分>は、
ただ外側を覗き見るだけで
ただそこにいた。
タイムカプセルに入れたように
私は私を奥の方に埋めた。
5年生の夏休みごろ
父親が交通事故に遭った。
自分から中央分離帯にぶつかり
足の骨を折るなどして
入院生活となった。
当初父親の入院先に行くことは楽しみであった。
しかし、
周りの状況は変化した。
元々父親は借金を繰り返しており、
それが原因で両親や両祖父母は
諍いを持っていた。
借金の理由は、
父は生活費のため、
母は遊ぶためであったと
双方で意見が相違しており
今となっても
どちらが正当であるのかが私はわからない。
(これが原因で、両者意見が相違するときは
どちらの意見も聞きはするが、どちらの意見も引き受けない癖がついた)
それ以外にも原因があるだろうが、
家庭に大きく亀裂が発生した。
母はうつ病を患ってからなのか、
掃除することができなかったし、
子供の兄と私も掃除をする、
という概念がなかった。
自分のことを自分でする、ということも
概念になかった。
家のことは母親がやる、
ことが暗黙の了解の中にあり
長距離トラックの運転手である父は
生活が不規則で、
帰宅するたびに、散らかった家を見ては
暴言を吐きながら掃除をしていた。
両親はお互いの首を絞め合うように
生活していた。
お母さんは掃除ができない、何もできない。
父親に責められる母親と
泣き叫ぶ母親。
父親と母親に課せられる
お金のために行われる仕事。
本来したかったことができない苛立ちが
重く彼らにのしかかり
苦しんでいたと思う。
元々私たちの家は、
父方祖父母の家の斜め向かいにあり、
よく行き来をしていた。
祖母は、母の家事ができないことなどを
悪口していた。
祖母もまた、祖父との関係に苦しんでいた。
父親への信頼を失い、精神不安定になる母親と
その話を聞いて
あんなに大好き(大好きだったのか、
家庭での居場所を見つけるために
父親側についていた、とも言える)だった
父親への信頼を失った私。
私はもう人を信じることができなくなった。
精神不安定な母に疲労困憊し、発狂寸前の兄。
私たち血の繋がりを持つ家族は、
空中で破裂した。
入院中の父親に会えなくなった。
顔も見たくなくなった。
父親に会いに行ってやってくれと
祖母や従姉妹に説得もされたが
それも嫌気がさした。
父親は退院後、
祖父母の住む向こう側の家に帰った。
兄は、母親に耐えかねて
父親の退院後祖父母の住む家に移った。
私と母親は、家に残った。
私の居場所はどこにもなかった。
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