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(わたしのちそう)初めの第一歩

諦めが悪い人生なのか

私は浪人することにした。

もちろんお金などないから、

専門学校のお金は私の貯金から出した。


残念なことに

浪人しても

私はやはり勉強ができなかった。


ただ一つ、

同じように美術大を志す同窓生とは

心地よい友人関係を結べそうになっていた。


うまく描けなくて

お互いに精神的に励ましあったこと。

笑いながら帰る帰り道。

学校帰りに

一人暮らししている友人宅近くのカラオケで

朝まで歌ったこと。

専門学校では文化祭を催したこと。


私は何かを取り戻しているようだった。

思いっきり笑ったのは、

学び場で久しぶりだった。

先輩には、

同窓生と馴れ合いになったら合格できないよ、

と言われたが

それでも私の心は満たされていた。


仮面はかけたままではあったが

時々タイムカプセルから響く私の声の振動を聞けた。

同窓生と笑うたび、

仮面の、毛布の奥底の方で

私が笑っている声が聞こえていた。


ただ、

どうやっても私の立体作品は

重力の力に逆らうことができず

いつも講評(先生方が評価する時間)時には

崩れていたし

出題された題に似合う絵は描けないし

デッサンでは相変わらずビール瓶は毛羽立つし

勉強はできないままだった。


2度目の受験に挑んだが

やはり希望の美術大学に入学することはできなかった。


私はセンター試験で受験できる

芸術系の短期大学にかろうじて受かった。

その短大は、センター試験で

一定の点数が取れれば

授業料などが不要だった。

これであれば、私の家庭でも通うことができるからと

調べておいたものだった。

幸いにも、

奨学金を借りる必要なく

交通費と画材費などは

早朝の漫画喫茶のアルバイトで

賄うことができ、

どこにも借金せずに済んだことは

当時の自分に感謝したい。


ただこれも振り返って言えるものだから、

当時の自分は、かなり落胆していた。


希望大学には進めないし、

母親にどう話したらいいか分からなかった。

とにかく、

画材費や交通費

(自宅から2時間かかる場所に短期大学があった)

を賄うために、

アルバイトを探し始めなければならなかった。

とにかく

始めよう、新しい場所で。

気怠さの残る心と身体で。


今振り返ると

少しずつ

私は仮面を取ろうと準備していた。

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