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(わたしのちそう)<評価>される勉強と自分のための勉強

中学生時代、

何ができるというわけでは無かったが

地理と英語と美術は好んで取り組んでいた。


閉じこもった世界にいた私は

地理や英語で世界の文化を知ることで

私の中に風を吹かせたかったのかも知れない。


小学生時代に描いた絵が

一度佳作をとって

美術館に行ったことがあった。

自分としては、適当に描いてしまっていたので

なんだか腑に落ちない部分もあったが

薄暗く、重厚な洋館に飾られた自分の絵は

こそばゆくもなんだか嬉しく

母と父を独り占めして

一緒に電車で行けたこともあって

数少ない嬉しい記憶として遺っていた。


中学校時代の絵は今は残っていないが

没頭して描いていたと記憶している。

中学生時代の美術の先生が

卒業しても描いていってほしい。

と話してくれたことは

その後もずっと心の支えになっていた。


英語の先生は、

天然のふわふわパーマ、

爪は綺麗に長く整えられており

上品なラメの入ったマニキュアをして

洋服もおしゃれで

みんなに自然と

しゅこちゃん、

と呼ばれていた。

私はその先生が大好きだった。


中学校1年生の時に

英語の弁論大会が地域で開催されることになり

当時の私はどうしたことか!

それに出ようと考えたのだった。


表舞台に出ようなんぞ、

これまで生きてきた中で

一度たりとも

考えたことなど無かったのに、である。


放課後に先生と会議室を使って

自分で選んできた英語の絵本

くまのプーさんを読み、声や顔で表現する。

家に帰れば

テープに自分の声を録音し、聞きなおして

修正をした。

先生と過ごすその時間は

私にとって幸せな時間だった。


学び、表現する、ことで

私は自分の手で

自分の中で

平安を見つけようとしていた。


けれど、<受験勉強>となると

私はからっきしだった。

元々、注意力散漫で記憶力も集中力もない。

真面目に装うことは慣れているが

頭がいい訳ではない。


因数分解、社会、歴史、国語、

やり方や技術は教わって覚えられても

私には理屈が全く分からなかった。


志望する高校も、目指す方向も分からなくて

とりあえず、兄と同じようにしよう、

と私立高校の進学コースを専願で志願した。

母親には頑張って勉強するから、

私立なら大学の予備校通わんで良いやろうから

(そんなことはない、と後になってわかる)、

私の貯金使って良いから、

と説得はしたが

当時の私にお金の計算ができる訳でもない。


なんとか高校には合格したが

進学コースには合格せず、

普通科に入学することになった。

母親には入学したら、

進学コースに行けるように

勉強するから、とは言ったが

入学してさっぱり勉強はわからなくなってしまった。

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