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(わたしのちそう)俯いても

受験で志望大学に受からなかったことを初めの方は引きずっていた。
話しかけてくれた人にも話すことをしなかったし、できなかった。

時が経つごとに、私自身が和み、話すことができてきた。

学生の中には
社会人になってから
還暦を過ぎてから
短大に入った人もいて
その人の話も面白かった。
彫り師、社長、など。

教授や助手の方との話、
週末に出かけるギャラリーや美術館、
彼氏と話し触れ合う日々。
油画制作しながら、隣のブースの友人を話す時間
かつてないほど
私は、私、に近づいていた。

私は、生まれ育った場所で
話せなかったことがたくさんあったのだと思う。
高校まで関わってきた人たちは、
生活基盤や価値観が
日本社会における、
多数派の人々であった。
自分自身の顔の醜さ、
幼少期からの家庭環境、
人間関係を構築できない精神状態、
勉強ができない、
美術大への受験そして浪人。
どれをとっても
私はどの状況においても
少数派であり日本社会の底辺で、
いつも人との格差を感じ
人と対等に話すことができなかった。
自信がなく、俯いては
人の目を見て話すことができなかった。

人と共感し合う
人と理解し合いたい
と思い浮かべることすらできなかった。

美術系短期大学にいる学生は
私にとっては、
出身地、国籍、価値観、年齢が
私の生まれ育った環境よりも多種多様であった。
教授や助手、歳上の同級生であっても、
考えを押し付けられることはなく
話しあえる状況に
私を持っていってくれた。

そういった環境の中で
私は初めて
人と話しをし、理解しあいたいと
考えられるようになったのかもしれない。
俯きながら
私は、初めて人と対等に接するきっかけを得られた。


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