「土」と「紫」と「雲」と
「曜変天目茶碗が見たいねん!」と言った私の一言でこの日の予定が決まり、前回の法隆寺組の3人で行くことになりました。
小説やエッセイで幾度も登場する「曜変天目」に出会ってみたかった!
実は今年の2月に初めて藤田美術館へ行った時にこの展示を知り、ずっと狙いを定めていて、どうせなら「紫式部と源氏物語」の展示も並行している期間を狙って両方を楽しむために6月にしました。
藤田美術館は、2000点のコレクションの中から、各テーマごとに3か月ずつ展示し、それらを1か月ずつずらして組み合わせを変えて楽しませてくれます。
おまけにスマホのみの写真撮影がOKなのもよいところで、国宝級の美術品が撮り放題なのです。
館内ではQRコードからスマホで展示物の音声ガイダンスを聞くことができるのですが、場所が変わると当然ながら聞けません。
この日はJR京橋駅まで行き、ランチからのスタートです。
京橋「実身美」
食べることは生きることに直結するという考えで、健康食を売りにしたお料理を提供しています。
大豆とひじきを薄味のトマトソースで味付けするなんて、思いつきもしなかったので新鮮でした!
この取り合わせだと醤油とみりんという味付けという固定概念があったので、目からうろこでした。
お味噌汁の味が薄く感じるのは、我が家のものは濃いということか?
ちょっと反省せねばなりません💦
ここから藤田美術館まで、たったの600mで歩いて10分足らずの道のりでしたが、曇り空が晴れに変わり、気温が上昇する中で思った以上の労力を使いました。
それにしても「実身美」と書いて「さんみ」とは絶対に読めません。
フリガナ必須の店名ですね。
土
三彩駱駝・駱駝俑で
シルクロードを夢見る
今回の最初の展示品は、世界史好きのチコさんが思わず声をあげて駆け寄ってしまうほどのものでした。
シルクロード交易のシンボルともいうべきラクダです。
正直、平安絵巻や茶器がお目当てだったので、この駱駝が最初に来るとは予想外でした。
「俑」とは死者といっしょに埋葬する人形で、その埋葬者の生前と関係のあるものだと考えると、駱駝がいかに大切な存在だったかを伺い知ることができます。
7~8世紀の唐時代、中央アジア種の2コブ駱駝は厳しい気候にも耐え、荷物を運ぶのに日常的に必要な家畜であり、最も身近な動物でした。
それを思うと、死後の世界でも不自由がないように、他の様々の俑と一緒に墓に埋納されたのかもしれません。
もちろんシルクロードの東西交易においても不可欠で、当時の人々にとっては、その交易でもたらされる「富の象徴」でもあったようです。
見た目はただの陶製の駱駝ですが、これを通して、先人たちのはるかなシルクロードへの思いが伝わるようでした。
ほとんどの人が見たことあるのではないですか?
私もなんとなく、「教科書」や「テレビ」で見たことあると感じました。
ジックリ見ようと顔を近付けると、ガラスにおデコをぶつけてしまい、「ゴ~ン!」と鳴りました。
ここのガラスは、存在がわからないほどピカピカに磨き上げられていて、作品に夢中になるとつい頭をぶつけてしまうので要注意です。
世界に3点しかない
曜変天目の不思議な輝き
「曜変」とは「窯変」または「容変」ともいい、陶磁器を焼く時に予期できない自然変化を遂げたものをいいます。
土台の漆黒を宇宙に例えるなら、そこに舞うように散る星や銀河のような斑文の光彩が瑠璃色に輝き、ため息が出るほど美しいのです。
日本だけではなく世界史上において、他に類を見ない自然文様を持つ希少で美しい茶碗であり、曜変の条件を満たして現存が確認されているのは、日本で国宝指定された3点と重要文化財の1点(滋賀・MIHO MUSEUM)の合計4点のみなのです。
【国宝指定の3点】
・静嘉堂文庫美術館ー東京
斑紋の星たちが最も明確な最高の品であり「稲葉天目」の通称で知られる。
・大徳寺龍光院ー京都
初代住侍・江月宗玩から伝わっている。
彼の父・堺の豪商の津田宗及から伝わったのか?
・藤田美術館ー大阪
徳川家康より水戸徳川家に伝えられたもので、藤田財閥の藤田平太郎の手に渡る。
外側にも曜変の斑紋が現れているのが珍しい。
本当に不思議な輝きでした。
見る角度によって色や形が変化するので、移動しながら何度も見たくなります。
きっとこれを所有した人は両方の手のひらに収めて「小さな宇宙」に魅了されたことでしょう。
ぐるりと一周しながら撮ってみましたが、見たままの美しさは撮れなかったのが残念です。
しかし、スパークするようにキラリと輝く白光の星も確認できますので、下の18秒の動画をごらんくださいね。
幻の曜変天目
足利義政の東山御殿の美術品に関して記録された「君台観左右帳記」によると、その義政から織田信長に渡ったものが1点あったそうで、これこそが天下一の最高級の名品でした。
「本能寺の変」の前日の茶会で披露されたあと他の名品とともに焼失したらしく、これがあれば、国宝は4点だったのに、つくづく残念です。
いや、ひょっとしたらその時に誰かが持ち出して、
今もどこかにあるという可能性はないだろか?
中国には現存しない
現在の中国福建省南平市で作られたとされますが、作者は不明で、中国での存在も確認されていません。
「曜変天目」という名前も日本で付けられたもので、これも中国には存在しません。
この不思議な文様が意図を持って技術的につくられたものか、偶然の産物なのかもわかっていないそうです。
う~ん。意図的に作られたから複数あるのではないの?
そう思うと、この天目茶碗に秘められたストーリーにとてつもないロマンを感じずにはいられません。
全ては闇の中、しかも今後、史料発見の可能性も低いだけに、なお一層の妄想が頭に広がりました。
紫
[国宝]紫式部日記絵詞
「紫式部日記」を絵と文字で起こした1本の長い巻物の一部です。
期間的には寛弘5年(1008)9月15日~10月16日までで、道長の娘の中宮・彰子の敦成親王出産後の様子が書かれています。
13世紀に入ってから書かれているので、この時から200年ほど後に作成されたのをみると、道長の子孫が何らかの意図を持って書かせたのだと想像できますね。
>上の絵
御帳台の中で臥せっているのが彰子で、乱れた髪や顔の様子からぐったりしているのが伺え、その一番近くにいるのが紫式部。表情は見えないものの心配そうに寄り添っています。
戸張の外には大きな風呂敷包み?と若い女房たちも控えている様子が生き生きと描かれています。
>下の絵
教科書やテレビによく引用される私たちの知る藤原道長は、基本的にこの絵巻からの引用で最古のものです。
一条天皇が我が子の顔を見に道長邸に行幸されるので、道長じいじはその「おもてなし」の準備に大忙しです。
お祝いに相応しい「龍頭鷁首の船」での演舞のリハーサルのチェックでしょうか?
舟上の舞人のポーズはかつて四天王寺で観た「甘州」のように感じました。
こんなところに繋がってくるなんて、歴史は本当に面白い!
それにしても、部下に任せず自らでチェックするのですね!
意外と細かい人だったのかも。
肖像画について
特に貴族の顔は引目鉤鼻といわれる、目は一本の線、鼻はカギ状で統一された描かれ方でしたが、この頃から似絵と呼ばれる写実的な表現に変わってきました。
え?
それではこの道長も本人に似せているということなのですね。
眉毛が垂れてるし(笑)
確かに他のものをみると、それぞれに個性がありますね。
大河ドラマ効果で登場人物たちを身近に感じているので、この絵からリアルに当時の様子が伝わるようでした。
源氏物語図屏風
いきなりですが、クエスチョンです!
下の屏風絵に「光源氏」が何ヶ所いるでしょうか?
ウォーリー、ぃゃ
「光源氏を探せ!!」
答えは下にあります
源氏物語の印象的なシーンを切りとって描いたもの。
光源氏最盛期の凛々しい姿から、官位を失って須磨へ左遷させられて悩む様子などが描かれていて、まるで源氏物語がコマ漫画になったようです。
この絵巻には今年の大河「光る君へ」でも登場するシーンもあるでしょうから、今後の展開シーンを見て、この絵巻のシーンが現在ではどのように表現されるのか、見比べるのも面白そうです。
さて、クエスチョンの正解は赤枠部分の、8ヵ所でした!
雲
古染付雲堂手花入
「雲」も個性的ですが、私は「松」の方が個性的に思え、一見するとこれが雲にも見えます。
この独特のデフォルメはちょっとユーモアもある面白い感性ですね。
西行物語図屏風
これもまた「コマ漫画」のように西行の旅の様子を、雲の切れ間にワンシーンずつ切りとって描いています。
木の下に 旅寝をすれば吉野山
花のふすまを 着する春風
西行が桜の下に寝そべって、ヒラヒラ舞う花びらを眺めて詠んだ和歌ですが、のどかな春を満喫してまどろむ様子が伝わり、ちょっと羨ましくなりました。
藤田美術館の効果的な演出
西行の屏風のすぐ先にある出口エントランスには、思わず驚きの声をあげてしまうものがありました。
壁全面のガラス窓のカーテンが開け放たれて「多宝塔」が太陽光のスポットライトを浴びて、非常に美しい。
前回はカーテンが引かれていたので、この光景には出会えていないだけに、この演出には感激しました。
そもそも展示室内はこんなにシックで暗く、美術品一点一点を四方ガラス張りのケースで丁寧に展示した落ち着いた空間なのです。
出口エントランスで急に明るく視界が広がるというギャップには、明らかに意図的な演出効果を感じ、おばちゃんたちはハートを撃ち抜かれてしまいました。
【参考文献】
前回の記事
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