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「蘇民祭」の開催終了に思う事

1000年以上、脈々と続いてきた岩手・黒石寺の「蘇民祭」が今月17日旧正月8日にあたるこの日が最後となりました。

その理由を一言で言うと、次の通りです。

「関係者の高齢化と担い手不足によって祭りの維持が困難になった」

Yahoo!ニュース

もちろん最後まで地元の方々からの反対の声は大きかったのですが、維持する関係者や檀家の高齢化が進んだ上での後継者不足との事。
また、木の切り出しや護符の用意など祭事に欠かせないものの準備が困難になっているそうです。

蘇民祭が行われる黒石寺は岩手県奥州市、人口は約10万人で、日本三大祭りと言われる「天神祭」「祇園祭」「神田祭」、大阪・京都・東京とは比べ物にならないぐらい、圧倒的に人口が少なく過疎化しているのが現状で、これからを担う世代が先細りなのも深刻な問題です。

しかし、それだけではなく根本的にこれらの伝統を引き継ぎたいという若い世代の意識が薄れているのも大きな原因ではないでしょうか。
地域に根付く伝統行事の意味すら知らないという世代が増えていることに大きな危機感を感じるべきだと思います。


蘇民信仰とは

奈良時代初期の「備後風土記」に蘇民そみん将来しょうらい巨旦こたん将来しょうらい兄弟の有名な逸話があります。

以下、拙書「奥の枝道  其の五」祇園の神について触れた項から引用します。

旅の途中で宿を乞うた武塔神むとうしんを裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながら もてなした。
後に再訪した武塔神は巨旦の家に嫁に行っていた蘇民の娘に茅の輪を付け させて蘇民の娘である目印とし、その娘を除いて、巨旦一家を皆殺しにして滅ぼした。
武塔神はみずから須佐雄能神と正体を名乗り、 以後、茅の輪を付けていれば災厄や疫病を避けることができると教えたとする。
「あし たづ 十 五 号」 より 一部 抜粋

奥の枝道 其の五 京都・神社仏閣編編(上) レキジョークル (p.74). Kindle 版

武塔神むとうしん」とは、全国の多くの神社で祀られているスサノオの仮の姿であり、永遠に一家の無事を約束する篤い御礼と、片や一家皆殺しという極端な厳罰には驚かされます。


茅の輪くぐり

この兄弟と「武塔神むとうしん」の逸話が元で、毎年6月30日には各地の神社では神事として夏越なごしはらえがあり、疫病退散・無病息災を願って「茅の輪くぐり」をする風習があります。

奥の枝道 其の五 京都・神社仏閣編編(上) レキジョークル (p.78). Kindle 版.

むしろ全国的に有名な神事はこちらでしょう。

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ さきわえ給へ」

と唱えながら、
1回目ーお辞儀⇒左足でまたぐ⇒左回り
2回目ーお辞儀⇒右足でまたぐ⇒右回り
3回目ーお辞儀⇒左足でまたぐ⇒左回り
左⇒右⇒左の順で3回くぐります。

もちろん各神社により方法は違いますが、この「茅の輪くぐり」が一般的には多いです。


裸の人々が蘇民袋を獲りあう

同じ由来でも岩手の「黒石寺」では、独特のカタチとなって根付いたのが「蘇民祭」です。

蘇民そみん將来しょうらい子孫しそん門戸もんこ なり
と書かれた將軍木かつのきという六方形の護符を麻袋に入れた「蘇民袋」を裸の者たちが奪い合い、激闘の末やっと夜明けごろ最後に手にした者に五穀豊穣と無病息災が約束されると言います。

極寒の中、裸の身体が揉みあい、ぶつかり合う様子には圧巻の迫力があり、熱気に包まれて湯気が立つほどヒートアップします。

新手の「おしくらまんじゅう」みたいなものですね!

同じ由来でありながら、地域によってこうまで変わるとは不思議ですが、きっとこの岩手奥州独自の地域に根付いた文化なのでしょう。

実はこの蘇民祭の様子はテレビで何度となく見ていたのですが、上記本を執筆中に、初めて「逸話」と「蘇民祭」が繋がり、ハタっと気付きました。

遅いな💦

そして奥州の見事なまでの独自の伝統文化に感心したのです。


心に残る地域の祭り

私が今の住まいに引っ越した30年ほど前、地域の氏神を祀る小さな神社でもお祭りがありました。(いつもの布忍神社ではありません)
地域の子供たちが法被にねじり鉢巻き姿で小さなお神輿を担ぎ、お囃子とともに町内を練り歩くのです。

それを知ったのはまだ長男が生まれて間もない頃だったので、それはそれは楽しみにしていたのですが、残念な事にそれから3年ほどで廃止になりました。


八雲神社のだんじり祭り

私が小学校5年生まで住んでいたのは大阪市の北東に隣接する「守口市」で、地域の氏神様として八雲やくも神社」がありました。

社名は日本神話の中でスサノオが詠んだ歌に由来します。

八雲やくも立つ出雲八重垣いづもやえがき妻籠つまごみ
八重垣作るその八重垣を~

この歌の八雲に因んだもので、総本社は京都の八坂神社ぎおんさんです。

細長い参道や境内で暗くなるまで遊んでいて、母の「ごはんやで~!」の呼びかけにも応じず、よく叱られていましたっけ。

ここの夏祭りが結構派手で、地区ごとのだんじりがこの本殿前に5,6台集結した光景は圧巻でした。

私のような子供もだんじりを引く綱を持ち、迫力ある行事に参加させてもらえたことは貴重な思い出となっており、その際、危険を回避できたのは周りの大人たちの並々ならぬ配慮があったおかげだと、今さらながら思い至りました。

当時の写真もあるはずですが面倒なので、検索してみるとすぐに詳細を見つけることができ、現在もだんじり祭りは続いているのが確認できてホッとしました。

ついでにGooglemapのストリートビューで見てみると、懐かしくて涙が出そうになりました。

たしか小学校の集団登校の集合場所はこの鳥居前でした。
すっかり新しくなっていて私の記憶にある鳥居とはずいぶん違います。

当時の参道は石畳ではなくそのまま地面むき出しのもので、よく砂ぼこりが舞っていました。
沿道の松の木によく登っていましたが、その事で叱られた記憶がないのは、今と違って随分大らか時代だったようです。

私が一年生当時、いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」が流行っていて、この鳥居前で歌っていたことを何故か思い出しました(笑)

若い人は知らんっちゅうねん💦


い人は知らんやろな💦

鳥居も灯篭も、参道も拝殿もこんなに小さかったっけ??
こどもの頃は大きく感じたのですが、意外と小さい事に驚きます。

お祭りの日に、父が「玉串料」を奉納したのか、家族で拝殿に上がってご祈祷を受けた記憶があります。
子供心にちょっと恥ずかしくてモジモジして落ち着きませんでした。
ご祈祷を終えて後ろを見ると近所のお友達と目が合い、思わず視線を逸らしてしまいました(笑)
妹たちの七五三や初詣などの家族行事は記憶にないのに、このことだけは鮮明に覚えているのです。


それに狛犬たち!
見るからに老朽化している様子なので、かなり古いのではないのでしょうか?
思わず目が留まりましたので、さらに拡大してみました。

これは実物を見てみたいものです(笑)

きっと当時もこの狛犬は居たはずですが、全く記憶にありません💦


当たり前にあった地域の祭り

どなたにも子供の頃、思い出として残る地域のお祭りはあるかと思います。

もちろん関西で言うと「天神祭」や「祇園祭」などの有名なお祭りも素晴らしいのですが、どうしても傍観者にしかなれません。

自分が住む地域に根付くお祭りこそ、しっかり参加できて体験できる思い出深いものになるものです。
本当の意味の「信仰」とは、こういう風に「地域によって育まれたもの」を指すのではないでしょうか。

黒石寺の「蘇民祭」の廃止は地元の方々にとっては、当たり前の自分たちのお祭りが無くなるのは想像しがたい事であり、どれだけ辛いことかと思うと胸が痛みます。
このまま継承されることもなく、今後の世代には忘れ去られてしまうのでしょうか?

この先、多少の変化はあっても別の形で再開できないものかと、他府県民ながら、密かに願ってやみません。



◇◇◇◇◇

さて、皆さんにお願いです。
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【参考文献】
ボクシルマガジン
おうしゅう旅浪漫
奥の枝道 其の五



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