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障がいの「害」の字は相応しくない

私は今回、この記事を書くにあたり、かなり躊躇しました。
私の家族には今のところ、障がいを持つ者はいないので、
無責任な想像に終わる意見だと取られる可能性があります。

今まで書かずにいたのは、もしかしたら関係者の方々の心象を悪くするかもしれないと思っていたからなのです。

note内には、福祉関係、または当事者の方々が多くおられます。
いつも拝読させていただいていて、とても考えさせられる事も多く、
思い切って、自分の体験談から思うところを記事にしようと思い立ちました。

私としては不快に思わせる事は書いていないつもりです。
それでももし、何か気分を害される事がありましたら、スキもつけずにそのままスルーして下さい。


◇◇◇◇◇◇◇

私の最後の職場となったところは、主に障がいを持つ方々の生活全般のサポートサービスを展開する会社でした。

もちろんヘルパーに必要な資格は持っていなかったので、事務専門です。

直接、利用者の方々と密に接する事はなかったのですが、事務所と同じ敷地内に、グループホーム、作業所、食堂が併設されていましたので、毎日の挨拶はもちろん、時々会話をすることもありました。

勤務した9年半の間には様々な事があり、正直なところ、障がいを持つ方々への印象はかなり変わりました。


尚、一般的に「しょうがい」を漢字に変換すると「障害」となりますが、
私の気持ちの中では「害」の字を使う事に抵抗を感じるため、
あえて、ひらがな表示とさせていただきます。



地域の「作業所」での初の感覚

息子が中学の時、PTA本部役員をさせていただき、その活動の一環として、地域内にある障がい者施設への見学訪問がありました。

そこは今から思えば「作業所」というもので、利用者様の職場なのです。

一番大きな部屋では様々な種類の仕事をこなされていました。
商品にひたすらラベルシールを貼ったり、
ビーズを糸に通して製品の一部分を作っていたり、
身体障がいの方は車椅子のまま、口に棒をくわえてパソコンを操作して文書作成していたり、それぞれ、自分にできる可能なかぎりの事で職務に取り組んでおられました。


◆キラキラした瞳が胸に刺さった

この時に「さをり織り」というものを初めて知りました。

出典:暮らしを彩るハンドメイドマガジン

単純作業ではありますが、糸の配色や位置を考える作業は大変面白みのあるもので、ザックリと荒い折り目は独特の風合いが出て、魅力ある生地に仕上がります。

そのまま端の糸処理をしてストールに仕上げるのが一般的ですが、
利用者さんが織り上げた生地を職員の方々の手でステキな商品へと形作られ、館内で販売されていました。

出典:くさぶえ
(※見学した所ではありません)

さをり織りの隣では、ガラス張りの調理室があり、そこで、カップケーキやクッキーなどを毎日焼き上げて販売もされていました。

とても丁寧な仕事ぶりがガラス越しにでもよくわかります。

その横には喫茶コーナーもあったので、それぞれ焼き菓子とコーヒーで休憩していると、三角巾とエプロン姿の女の子が調理室から出て、私たちの前で挨拶を始めました。

言葉の一言一句は忘れてしまいましたが、
・みんな毎日楽しく仕事に取り組んでいる事。
・作る事が生活のメインになっている事。
・手を抜かずに丁寧に取り組んでいる事。

大まかな内容はそのような事でしたが、
何よりも、その方が本当にキラキラと目を輝かせて、
満面の笑みで話されているのを見ていると、
思わず目頭が熱くなり、涙が出たのです。

それまで見学していて、いろんな意味で感心する事はありましたが、
最後のこの挨拶には感動せずにはいられませんでした。

もちろん、流暢には話せません。
所々で舌が回らず、日本語としては不完全なのですが、
そんなことは少しも気にならず、その一生懸命なひたむきさがダイレクトに胸に響いたのです。

この日の体験は私にとって、とても刺激的で忘れられないものとなりました。
今でもこの時の事を思い出すと、目が潤みます。



障がい者サービスの本意を知る

その三年後に、まさか自分が障がい者サービスの会社に就職するとは、人生とはわからないものです。

息子たちが高校生、中学生ともなると、個人病院のパートでは時間がもったいなく感じて、社員希望を視野に入れて転職を決心しました。

そこがたまたま障がいを持つ方々の生活をトータルでサポートする会社でした。

私は事務職だけを希望していたので、会社の事業内容はあまり興味がなく、むしろ何でもよかったのです。


◆初めて繋がった障がい者の方々の生活

今まで、自分の通う学校や息子たちが通う学校で、「養護学級」という知的障がいを持つ子どもたちの特別学級がありましたが、授業は時々、それぞれ一般学級でいっしょに受けていました。

それも義務教育の小・中学までで、彼ら(彼女ら)は、その後どういう進路を辿るのか考えたこともありませんでした。

恥ずかしながら、この会社で初めて知る事になりました。

①グループホームー親から独立して、自立した生活を送る。
②作業所ーグループホームあるいは自宅から通い、労働する場所。
③趣味ーそれぞれの興味のある事に取り組み、余暇を楽しむ。

毎日の生活の流れは、住む所があって、仕事に出かけて、休日には趣味を楽しむという、一般の我々と変わらない生活パターンがありました。

過去に見学した地域の「作業所」はまさしく、社会貢献の場である「職場」だったのです。


◆様々なタイプの成長と理解

印象に残る利用者様は多いのですが、そのうちの数名だけ紹介させていただきます。

毎日、名前を訪ねるMさん
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同じ敷地内には別棟の食堂があり、利用者様たちの食事を毎日3食提供しているのですが、社員も事前に申し込んでおけば用意してもらえました。

私も、昼食にはよく利用させていただいたのですが、その時が唯一、他の利用者様と接する時間でした。

最初は、接し方がわからず緊張しましたが、慣れてくると、個人個人の性格や特性もわかるようになり、むしろ楽しくもなってきました。

Mさんは、会うたびに右手を差し出し握手を要求しながら、
「名前は?」と尋ねられます。
「千世です」と答えると、それを復唱されます。

この同じやり取りが毎日、3ヵ月ほども続いたころ、ある日突然、最初から名前を呼んでくれます。

それだけではありません。
「事務の千世さん」と、ちゃんと私の職務まで理解されていたのには驚きました。


座っていられないRくん
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毎日のように作業所を飛び出して、会社内の敷地をウロウロする、当時高校生ぐらいだったRくんは、どうしてもジッとすることができません。

人と話す時もその場で常にジャンプしていました。

食堂で会うと、必ず隣に座り込み、ひっきりなしに話しかけてきます。
ヘルパーさんが注意してもお構いなしです。

「Rくん、今はご飯食べているから、話しかけないでね。」
と言い、返答しないでいると、諦めてその場を去ります。
毎回、同じやり取りを繰り返すと、
やがては、自ら「ごはんの時は話しません。」と言うようになられました。


就労支援のYちゃん
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Yちゃんはダウン症の女性でしたが、知的障がいは軽く、自分の住むグループホームから一人で電車で作業所に通い、週3回、事務所の清掃員としてわが社にも来ていただいていました。

会社は就労支援として、比較的軽い障がいのある方は、通いでできる仕事を提供していたのです。

もちろん会話も普通に出来ますし、深いところはまでは無理でも、意思疎通は十分でコミュニケーション能力もあります。

私が彼女の担当になり、どうしたら効率よく仕事ができるか考えて、毎日提出する「そうじチェックノート」を作ったり、彼女専用の「洗剤BOX」を作ったり、雑巾の干す場所などを説明しました。

性格がキッチリしているのでしょうか?
自分の中で「やらなければいけない事」はきちんとこなされるのです。

自分は何のために労働しているかの基本も理解されているようでした。

当時、30歳を超えられていたのですが、食堂で2人になると、好きな人の話をしてきて、女の子特有の恋愛話だったので、時には障がいがあることも忘れてしまうほどでした。

空気もちゃんと読みます。
何か質問があって事務所まで来られても、しばらくはタイミングを見計らい、私の様子を見てから話しかけるので、私もつい思わず「ごめんね」と、言ってしまうのが常でした。



認識が大きく変わった

◆親の身になって

この会社に入るまでは、
障がいをもつ子を持つと大変だなぁ。
私の子は五体満足で良かったなぁ。

と、なかば同情に近いカタチの他人事でした。

しかし、そうではなく、ご本人も、親御さんたちも決して悲観していないのです。

そりゃ、親御さんも最初は我が子の将来を、それはそれは悩まれたことでしょう。

それでも育て上げなくてはならない。
その子にとってどういう人生の線路を引いてあげるべきなのかを真剣に考えて、常に最良の道を模索されているのです。

自分たちが先にこの世を去ったあと、極力、社会人の1人として自分で生きていけるような道筋だけは付けてあげないといけない。

同じ悩みを持ち、同じ目標を持つ者同士であるため、子供を通じて知り合ったママ友として、親御さん同士の結束は固く一生ものの繋がりがあるようでした。

◆普通の子育てと同じ達成感はある

障がいがあってもそれなりに少しずつ成長します。
それを目の当たりに見てきました。

何をもって「普通」というのかはわかりませんが、
「障がい」と取るか「多様性」と取るかで、大きく認識は変わります。

人それぞれの性質があるように、こうでなければならないという見方は不要で、速度の違いはあれども、確実に成長はされているのです。

社会ルールも繰り返し指導する事で、それなりに理解される日は必ず来ます。
接する側も、「どうせわからないから」と、見くびっていてはいけません。
こちらの言う事の大部分はちゃんと理解されています。

そしてその成長の成果が見えた時の達成感は、自分が体験した子育てのものと同じとも思えました。


冒頭の「しょうがい」の「害」の字は相応しくないと思うのは、
決して「害」に当たる事ではないと思うからです。
生活するのに、他人のサポートは必要かもしれませんが、
その事が自分にとっても他人にとっても「害」にはなりません。

性質上の特性に違いがあり、それらの多様性は尊重するべきだという認識に変わりました。

確かに、自分の子は障がいなく生まれたので、説得力もなく無責任な意見かもしれませんが、実際、私が体験した認識の変化は明らかに「害」ではありませんでした。

それどころか、それぞれが社会の一員として懸命に生きている事実を見て、たくさんの事を学び、教えていただきました。

同時に「障がい」というものに真摯に向き合っておられるヘルパーの方々には頭の下がる思いです。

どの方角から見ても、私には新しい世界であり、
考えさせられるものであり、
自分の置かれた境遇がいかに恵まれたものであるかを知りました。


初めて地域の施設訪問の時に見たキラキラした瞳は、今でもずっと私の胸の中に温かく浸透し続けているのです。





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