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宗教から生まれた言葉【2】

前回からちょっと間が空きましたが、久しぶりに言葉に関してまとめてみました。


私たちが日常的に使っている言葉の中には、調べてみると、仏教由来のもの意外と多くあります。

そもそも日本人は世界各国の人々に比べると、宗教に関しては寛容過ぎるぐらいで、神道と仏教も意識することなく同列に信仰してきた事もあり、現代では自分の信仰対象が何なのかも解っていない人もいるかもしれません。

そんな認識の日本人が何の意識もなく使っている言葉がインドから伝来した仏教からの由来だなんて、ちょっと面白いものです。

それらが、どれだけ身近なものなのか採りあげていきます。


本来は違う意味だった!?

🍂あきらめる

現代ではどちらかといえば後ろ向きでネガティブな意味の言葉です。
語源は仏教用語で、実はポジティブな意味なのです。

詳細を分析して、するべき事を明らかにするという意味なのです。

例えば「諦」の字を使った熟語の「諦観」は「ていかん」と読みますが、仏教では「たいかん」と読みます。

諦か(明らか)に真理観察すること。

weblio辞書 世界宗教用語大事典

全てを投げだして気力を失う事ではなく、よく本質を見定めるという意味だったのです。

「明らかに物事を見る」というのが元の意味なら、何でも早い段階で諦められる人は、かなりデキるということになりますね。

実は、これは25年ほど前に、我が家の法事の時の住職さんの説法で聞き、妙に得心した記憶があります。
退屈だと思っていた法事の説話が、これ以後は楽しみになったキッカケの説法でした。



🍂我慢

グッと辛抱して堪え忍ぶことで、特にサムライの国。日本においては忍耐強い事は良い意味と捉えられています。

しかし語源である仏教語では、自分を過大評価し、他者を侮るという意味になるのです。

仏教では、心の状態で七つに分類したものに「七慢」というのがあります。

1.まん  自分より劣っている人に対しては自分が勝っている、とうぬぼれ、同等の人には、自分と等しいと心を高ぶらせる。
2.過慢かまん  自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等とする。
3.慢過慢まんかまん  勝っている人を見て、自分はさらに勝っている、とうぬぼれる。
4.我慢がまん  自負心が強く、自分本位。
5.増上慢ぞうじょうまん  悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる。
6.卑慢ひまん  非常に勝れている人を見て、自分は少し劣っている、と思う。
7.邪慢じゃまん  間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思う。

やさしい仏教入門

さんざんな意味の言葉だったのですね。

それが、我に執着するという字のごとく、強情な意味に転じて意地を張る様子から耐えて辛抱するという意味に変化したようなのです。

確かに他人を下に見て馬鹿にし、優位に立とうとする人は、「自分だけが正しい」「自分だけは何をしてもOK」という結論に陥り、自分の欠点すら見えなくなる傾向にあります。



🍂迷惑

ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。

weblio辞書

元々の意味は正しい仏道を見つけつ事ができず、悩み、迷い、戸惑い、途方に暮れることでした。

まさにその字の通りの「迷い惑う」から次第に「困惑する」に意味が変わり、室町時代ごろあたりから「苦悩する」「被害を受ける」という多岐に及んだ解釈となります。

明治時代が終わるころには現代のように、他人の行為などで不快になったり、困ったりすることの特定の意味となったようです。

元は、ほんの個人的な自分のものだった思いが、やがて他の人との人間関係にも及ぶ公共的?な意味合いになったのですね。



🍂退屈

することがなくて、時間をもてあますこと。また、そのさま。

weblio辞書

仏道を志したものが修行に耐え兼ね、精進する気持ちが薄まり挫折することが元の意味でした。
これもその字のごとく、「退いて屈する」という事を指していました。

「挫折」と同等ならば、「何もすることがない」ではなく「何もできない」という意味で、現代とは意味が逆でした。

時間を持て余すだけの平和的な感じでは済まされない、もっとはっきりした意味合いがあったとは意外です。



🍂図に乗る

いい気になって勢いづく。調子に乗る。つけあがる。辞書

weblio辞書

元々は、仏教の法事などで僧が唱える経文の声明しょうみょうの転調の事を「図」といいました。

現代風に直訳すると「リズムに乗る」と言う事ですか。

特に難しい転調に成功することを「図に乗る」といい、「上手くいった」「成功した」というポジティブな意味で、難しい事にチャレンジして成功する意味だったのです。

今は完全に悪口ですよね~!
ネガティブ要素の意味しかないですが、これも逆だったのですね。



🍂端正

1 姿・形や動作などが正しくてきちんとしていること。また、そのさま。
2 顔だちなどが美しく整っていること。また、そのさま。

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「たんせい」と読みますが、仏教では「たんしょう」と読みます。

現代では姿形などの外見的なことを指していますが、本来はその人の内面を含めた精神的な佇まいやあり方、所作を示すものでした。

う~ん。
人は外見だけが美しくてもダメなのですよ。



🍂知事

各都道府県を統轄し、代表する首長。都道府県の事務およびその権限に属する国や他の公共団体の事務を管理執行する。

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これも元は仏教用語で、中国では隋の時代6~7世紀より、寺院での住職であり、雑事や庶務をつかさどる役職名でした。

サンスクリット語でkarma-dānaカルマ・ダーナといい、
karma=業(行動)
dāna=布施
という意味で、普通、お布施といえば金品を施す事ですが、この場合は自らの|労力● ●を人々ために施す仕事となります。

いわゆる「奉仕の精神」を伴う業務だと言う事です。

現在でも基本的にその意味は変らないはずですが、ちょっと最近は捉え方が違ってきたような気もします。

これは政治家全般に言える事ですが、日本国民のために労力を提供してるという事を忘れているのではなかと思えることもあります。
再度、本来の意味を吟味すべきかもしれませんね。


本来の意味を知ると、ネガティブな単語もポジティブに捉えることもでき、長い年月と人々の使い方によって変化して、現在の意味になった事を思うと、今後も日本語の意味も変わるかもしれませんね。



【参考文献】
日蓮宗 命に合掌
いい葬儀
納骨堂辞典
浄土真宗本願寺派
語源由来辞典




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