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宗教から生まれた言葉【1】

言葉の語源には仏教由来のものも多く、さらに古くは神道や神話からくるものもあります。


例えば「ありがとう」の語源は法句経ほっくきょうの次の教えからきています。

「人間に生まるること難し やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは有難し」

大本山妙本寺

人として生まれたこと自体が偶然なのだから、それに感謝して生きようという意味で、最後の「有難し」を掘り下げると、有ることが難しいのだと説き、そもそも自分が存在しているということに感謝すべきという意味なのです。


このように私たちが普段口にしている言葉は、宗教の教えを語源としているものが多く、宗教のもつ哲学と言葉とはとても密接な繋がりがあるのです。
今回はそれら宗教が語源となる言葉を集めてみました。




日常言語の意外な語源

☘ 挨拶

語源は禅宗での問答でした。
悟りの度合いをお互いに測るため一挨一拶いちあいいっさつという問答がありました。

それは相手の問いにすかさず切り返すもので、問いと返事を繰り返すものでした。

あいの訓読みは「す」「ひら● ●く」でさつの訓読みは「せま● ●る」です。

直訳すると「」で積極的に攻めて突き進み「」で切り返す事なのです。

「こう言えば、ああ言う」と言うように問いと答えがセットになった状態の事から、人と親しくなるためのコミュニケーションのことをこの二つの漢字を組み合わせて「挨拶」となったそうです。

禅問答が語源であり、問われたらすぐに返すというのが基本形なので、無視するようでは挨拶は成立しません。


☘ 超

「超きもちいい!」とか「超きれい!」とか、言葉の頭に「超」を付けることで「すごく」という言葉よりもっと大きな意味で使う事があります。

実はこれも仏教からきた言葉なのです。

「超」という言葉そのものには「完全な悟り」という意味があり、
仏教界では限界を超えた無限の世界を理解した事になるのです。
それは「すべての人間に通じる」という意味でもあります。


☘ 億劫

「億」とは数の単位の一つで、
「劫」はサンスクリット古代インド語で最長の時間の単位です。

ですから「億劫」は、長い時間をあらわす仏教語で、「劫」は無限に近い果てしない時間のことを指し、そこからのニュアンスで「時間がかかる事はやる気になれない」というのが最初の意味で、そこから「やる気がない」という意味に転じました。


☘ 無事

元々は仏教において「平穏で何の障害もない様子」を指します。
こだわりや煩いもなく、心穏やかな「何ごとも無い」状態こそ大事であるとされ、「無事」とされていました。
それが現在では事故や病気もない健康であることをあらわす意味と転じました。

元々は精神的に落ち着いている事だったのですね。


☘ なんちゃらかんちゃら

え??こんな言葉にも語源があるのかと驚きますが、これも元は立派な仏教用語でした。

意味が分からなったり、うろ覚えの言葉を話すときに、
「うんたらかんたら」とか「なんちゃらかんちゃら」とかいう時に使う便利な言葉があります。

実は、密教で唱えるサンスクリット語である真言に「ウンタラタ、カンマン」というくだりがあるのです。

慈救呪じくじゅ
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ
ウンタラタ カンマン
ーーーーーーーーーーー
激しい大いなる怒りの姿をされる不動明王よ。
迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。
所願を成就せしめたまえ

倉敷不動尊心和寺

かろうじて一般人が聴き取れる箇所がこのフレーズだけだったので、あやふやな言葉を指すときに「うんたらかんたら」と表現するようになったそうなのです。
そこからさらに変化したのが「なんちゃらかんちゃら」です。

ホンマかいな…


☘ 不思議

仏教用語の「不可思議」が語源です。仏の持つ神通力を指します。
ですから元々は「謎」ではなく、「常識では図れないほどに素晴らしい」という意味なのです。

微妙に意味が変わりましたね。
元の意味を考えると不思議なことは素晴らしいのです。


☘ 愚痴

「愚」も「痴」も、物事の心理に暗く、おろかな意味の漢字です。

言っても仕方がない事をくどくど言って、わざわざ嘆くことなのですが、これは仏教界では、最も厄介な煩悩なのです。

お釈迦様は「人間が苦悩する原因は、心の中に宿る煩悩にある」と説かれ、その煩悩は108種もあると言われました。
その中でも最強なものに厳選された三毒の煩悩さんどくのぼんのうがあります。

貪欲どんよく=むさぼり欲しがる心。
瞋恚しんに=いかり腹立つ心。
③愚痴=真理に暗く、無知

元々が最強の煩悩の一つとして、お釈迦様が指定しているほど有害な言葉です。自分自身をむしばんでいくのだという自覚は持たないといけませんね。

愚痴っても物事は何も好転しません。



実は繋がっていた意外な言葉

☘ 醍醐味

これは私も良く使う言葉です。

例えば、
これこそ歴史の醍醐味です。
というのは決まり文句かもしれません。

醍醐味は辞書では以下の通りです。

仏語。仏陀の、最上で真実の教え。
物事の本当のおもしろさ。深い味わい。「読書の―を味わう」

goo辞書

さらに醍醐の意味はというと、意外にも「食」に関係したものでした。

五味の第五。牛や羊の乳から精製した、最上の味のもの。仏の悟りや教えにもたとえる。

goo辞書

さらに五味ごみについての詳細は、仏教の根本思想を伝える経典「涅槃経ねはんぎょう」の五味相生ごみそうしょうたとえにありました。

牛乳を精製すると、
乳味にゅうみ
  ⇩
酪味らくみ
  ⇩
生酥味しょうそみ
  ⇩
熟酥味じゅくそみ
  ⇩
⑤醍醐味

と、5パターンの段階を通して次第に美味しいものに変化し、最後の醍醐味で最高ランクとなり、それこそ涅槃の境地であると説いているのです。
まさしく醍醐味は究極の深い味わいなのです。

 

☘ カルピス

上記の「醍醐味」はサンスクリット古代インド語に訳すと「サルピス・マンダ」となります。

このサルピスとは、上記④熟酥味じゅくそみの事で、これにカルシウムを加えて「カルピス」が誕生しました。

命名者は、浄土宗僧侶・仏教学者の渡辺海旭かいきょく氏です。
カルピス(株)の創業者・三島海雲かいうん氏から相談を受けて、
カルシウムの「カル」+サルピスの「ピス」=カルピス
となったそうです。

その後、それが社名と商品名として定着しました。

創業者の三島海雲かいうん氏は実家が大阪府箕面市にある浄土真宗・教学寺きょうがくじで、ご本人も13歳で得度(出家)した僧侶でした。

カルピスは彼が知る仏教の基本的な教えがもとで生まれ、別の仏教家が命名したという、バリバリの仏教飲料なのですね。

大正8年(1919)に発売開始されたカルピスは、今年で103年を迎えるロングセラー飲料です。
渡辺海旭かいきょく氏と三島海雲かいうん氏という二人の宗教家がいなかったら誕生しなかったものでした。




【参考文献】
日蓮宗 命に合掌
いい葬儀
納骨堂辞典
浄土真宗本願寺派
語源由来辞典



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