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ハウ・トゥ・サバイブ ベルリン移民に聞く ジャスィとアスィール(パレスチナ)-2 「外国に適応するには?」

・パレスチナでの検閲と拘留

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E:ところで、ベルリンの暮らしを楽しんでる?全般的に?

J: うん、そうね。
文句を言いたいことはそんなにない。
すごく大きな街でほぼなんでもあるし、ヨーロッパの他の多くの街より物価安いし、それで私はベルリンに来たんだけど。
カルチャーも盛んだし、自由で個人主義的で、いい意味で誰も他人のこと気にしてないとことかはまさに私が求めていたことでもある。
でも一方ですごく気が散る街でもあるわよね。
いろいろあり過ぎて自分が本当は何がしたいのか、どこに行けばいいのかがよくわからなくなる。
ベルリンで最初は哲学を学んでたんだけど、ずっと椅子に座って机の上であーだこーだやるのを楽しいと思えなくて、それでダンススクールのオーディション受けて、そこに通うようになってね。
で、ダンススクールを楽しんではいたんだけど、なんか自分が正しい方向に進んでる気がしないから、キプロスのダンスの学校にオンラインで(ロックダウンのため)留学したら、そこが自分に合ってる気がした。
そういった過程で、自分が自分の人生で何を築きたいのか、自分がどういう人間かとかが段々わかってきて。
以前からどういうことがしたいって漠然とはわかってはいたけど、具体的にどうしたらいいのかがずっと分からなくてさ。
でもそれがこの数ヶ月一緒に話したりしているうちに段々具体的な形になってきたのよ。
私たちの文化は多くのポジティブで素晴らしい面があるんだけど、パレスチナはずっと不安定で危険な状況が続いていることで、私たちの文化のネガティブな面がすごく強く出るようになってしまってるのね。
例えば、パレスチナ人をサポートする政府もシステムもないから、人々はあまり助け合わなくなってて、家で打ちひしがれているの。
でもそれは状況が酷いせいで、彼らの責任じゃないと思う。
私たちはそのプロセスを逆転させないといけない。
すごく苛烈な占領政策が続いて、パレスチナの文化は一層保守的になっていってる。
ある意味では宗教が中心になって、人々はお互いを抑圧し合ってるの。
男性優位がめっちゃくちゃ強烈になってて、暴力も吹き荒れている。
占領政策には立ち向かわないといけないんだけど、暴力性が内面化もしていてパレスチナ人同士で傷つけあってる。
それでね、異なることを受け入れる気持ちも失われていってるのよね。
だから私たちはパレスチナの文化の良い側面を増幅させるようなものを作りたいの。
そういうプラットホームを。
自由で、検閲されてなくて、自分は本当はどんな存在なのか、異なる世界の見方に気づけるような。
メディアもアカデミズムも、お金や資源や権力を持ってる西側の人の視点の情報ばかりで、だから私たちは……その、もっと自由な……えっと……

A  J: (アラビア語で何か話し合う)

J: 私たちは自由で検閲されていないパレスチナ人の視点を広めたいの。

E: パレスチナのメディアはどういう感じなの?

A: 超検閲されてる。
検閲され過ぎててほんとヤバイ。

E: じゃあパレスチナで人々は放送できるの?

A: 一番検閲されてなくて信用できる情報源はFacebookよ。
イスラエルと繋がるパレスチナの当局はジャーナリストセンターやメディアセンターを閉鎖して、今は大本営メディアが二つだけ残ってる。
インディペンデントメディアは投獄されたりして潰されたわ。
パレスチナにはそういう当局に都合の悪い発言をした人だけを収監する特殊な監獄があるのよ。
Facebookやインスタグラムで言うだけでも。
いつ捕まるか分からない。そこで何をされるのかも分からない。
私はこういうのは直接的でない独裁体制だと思う。

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(1967年時点の地図で左端にあるパレスチナ人居住区がガザ、右側の面積の大きい部分がウェストバンク。2010年時点ではウェストバンクでもパレスチナ人居住区がまばらになってきている)


E: じゃあ俺がパレスチナで何か反政府的なことをFacebookで投稿しても捕まるの?

A: イエス、もしパレスチナにいたらね。

J: 家族でさえもどこに連れて行かれたのか分からない。
警察は思想犯は真夜中に捕まえに来るのよ。

E: えー、それは超怖いね。

A: イスラエルの側には、「行政勾留」というのがあるの。
どういう意味かって言うと、イスラエルはいつでもあなたを理由を開示することなく拘留出来ますよってこと。
彼らが言う唯一の理由は「あなたはイスラエルの国家安全保障を脅かしたから」。
あなたの弁護士も家族もあなた自身も、あなたが何をして捕まったのか分からない。
そのまま数年、そこに拘留されることもある。

J: 正確には6ヶ月か8ヶ月と勾留期間は決まってるんだけど6ヶ月か8ヶ月で出してはくれない。
6ヶ月経ったらまた更新されて、また更新されて、結局、数年拘留される。
何が法律に引っかかったのかも機密情報として知らされないまま。

A: 私の父はそこに2年いたの。

E: それで出てきた後、大丈夫だったの?

A: 父はのべ7年、イスラエルの刑務所に入ってた。
それでも、どうにか出てきて今では父は有名人でビジネスでも成功してるのよ。
彼はすごくラディカルで、哲学者で、私は革命的な人だとすら思ってる。
彼は銃弾でバタバタ人が倒れるような戦闘に参加したこともあるんだけど、あまりそういう話はしない。
なので、そういう話は父がぽろっと漏らすのを聞くか、父の友達から聞いて知ったの。
母も刑務所に入ってたことがあるけど、母もその話はしたがらない。
忘れたいんだと思う。


・移民として外国に適応するには?

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(アスィールの難民認定証)

E: ところで外国に移住して現地に適応するのにコツとかあると思う?ヨーロッパに限らず。

A: 言葉を覚えること。
それが一番。

絶対に言葉を覚えるために時間を割かないといけない、何をするより前に。
言葉を学ぶうちに、そこに住むことが何を意味するのか分かるようになって来るから。
人々が何を求めていて、どう生きるかとか。
私の経験では。

J: 私の経験では、学生になることはとても役立つと思う。
学生という傘の下に入っていれば、何かを続けるかどうかを決める事もできる。
学校は学生に対して一定の責任があるから、何かサポートが必要であればそのためのリソースを割いてくれる場合も多いし。

A: 18歳から22歳までの人には一般的な秘訣よね。

J: えー、何歳でも学生にはなれるよ。

A: てか実際、私のパレスチナの学校では3年生の時に交換留学生に申し込む権利があってね。
毎年5、6人が交換留学生になれるんだけど、その5、6人はいつもどうにかその留学先の国に戻ってこれるようあれこれ手を打つの。
誰もがパレスチナを出たがってる。
私の知ってる人はみんな「もうここには住めない。ここでは生きていけない。外国に移住したい。ここには仕事もない、あれもない、これもない」って言ってる。
で、留学生になるのは通常、一番簡単に外国に住める手段なのね。
それ以外でビザを取るのはすっごく難しい。

E: その5人って、上位5人の学生ってこと?

A: 毎年沢山の人が申請して、その中で上位5人が選ばれるのね。
私はそれでフランスに来て、ビザを取るのも簡単だった。
もしそれ無しだったらきっとビザは取れなかったろうね。
学生ビザだったから更新も簡単だった。
ビザの更新回数が増えるほど役所とかに信用してもらいやすくなるしさ。

E: え、でもさっきパスポート持ってないみたいなこと言ってなかった?

A: 最初は交換留学で2016年にフランスに来て、その時はもちろんパスポートはあったのね。
それで2019年11月にフランスで難民申請して、それが受理されたと同時にパレスチナのパスポートがなくなったの。
正確にはまだこっそり持ってるんだけど、もう失効してる。
難民申請する前はそのパレスチナのパスポートであちこち行ってたんだけど、見てみたい?

E: うん。


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Part.3に続く。









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