最近の記事

僕は誰か

こんにちは。初めましての方もいらっしゃいましたら、こんにちは、足立です。 ここのところツイートが伸びたり新しくフォローしてくださる方が多くて大変ありがたい反面、足立って誰やねんみたいな声が聞こえてきたので、(聞こえてきました)ので、自己紹介的なのを書こうと思います。 珈琲屋の方の方にもきっと僕のことを知ってもらえたらお店の見え方が違ってきたりとか、また新しい楽しみ方が提供できると思いました。僕自身がやっているという必然性が欲しく、本音で言えば僕自身をコンテンツにしていきた

    • 最近の、何?

      最近の、自分でも身に余るくらい多動性がエグくなっている。自分では制御しているつもりなんだけど、身体が勝手に言葉を紡いでしまう、誰かに聞いて欲しくて堪らないし、それでいてきちんと聞いて欲しい、という最悪の傲慢が溢れ出て止まらない。もう少し理知的な大人になりたいのに、このままだと完全に仙人になり損ねた承認欲求拗らせ偏屈山奥クソジジイルートだ。非常にまずい。 僕の人生である以上拗らせとは切っても切り離せない関係にあるのだが、見られ方はちゃんと意識したい。基本冷静で、常にちょっとず

      • 優しくあるためにはフラットさが大事という話。

        優しい人というのは誰か特定のお気に入りに入れ込むことなのか、みんなにフラットに分け隔てなく接せれる人なのか。前者は見え方によっては優しいが、残酷さも孕んでいる。 後者は誰にとっても優しく見えるが、人間性は見えづらい、見え方によっては少し怖い。機械的な印象を受けてしまうからお近づきづらい。 ということで大事なのはバランスであるのだが、フラットでかつ主観も大事にするというのはなかなか難しそうである。 ということで解釈としてはこう、「平等な愛の与え方を技術として知りえていて、

        • 人を怒らせた

          足立です。先ほどめちゃくちゃ人を怒らせました。 はじめてお会いした方だったのですが、おそらくは僕の人当たりの問題でぶち切れさせてしまいました。楽しみにしててくださったのに…。申し訳ない。 SNSで知り合ってお話しましょうということになり、下北沢で待ち合わせてお茶しよう的な感じでした。まず待ち合わせの時点で僕が34分遅刻をやらかし、スタバの500円券をお送りしました。 落ち合った時点でどうやら荷物を整理していたらしく、僕はそれを横目にずっとスマホを弄っていました。人見知り

        僕は誰か

          全能感が若者にとって何よりのリソースであり、合理性でもあるということを大人はわかっていてほしい。

          現実を教えることは大人の役目だが、同時に子どもの中に存在する世間知らずの絶対的な世界観を壊さないことも意識するのが大事だと思う。 経験の違いから不完全に見えるのは至極当然のこと、どうしてその視野の狭さで、それだけ自信を持っていられるの?と感じることもあるかもしれない。 しかしながら、それが若者にとっての何よりの原動力、大人にとってお金や時間といった有限なリソースに当たる、制限時間付きの財産なのである。 結局若さの延長線上に大人がある。大人になった側は忘れているかもしれな

          全能感が若者にとって何よりのリソースであり、合理性でもあるということを大人はわかっていてほしい。

          危うさとはメタの欠如だと思う。

          世の中に対する解像度とか、人を殺すかもしれない感性とか、同じだけのものを持っていても、芸術家になれる人と危うさを纏ってしまい社会性から距離を置かれてしまう人がいる。その違いはなんだろうか。 それは「メタの有無」だと思う。 客観があることで自身の狂気みたいなものどもを飼い慣らし、人としての形を保つ努力ができる。 中身が怪物だろうが、飼い慣らせば社会性は保てる。匿名性を保った上でいろんな人と話してみると、社会には意外と怪物が多いことがわかる。みんな飯を食うために、欲求を満たす

          危うさとはメタの欠如だと思う。

          人である以上

          人であるということが当たり前にそこになくて、人とは何か、をはじめに定義してから再現をしている。みんなもそうではないのだろうか? 人として当然の欲求とか反応とかに、一時的に距離を置くことが昔からできた。はじめはそれが大変賢いことのように自覚していたからとても威張っていたんだけど、本当の賢さとは素直さじゃないのかと気づき始めて、素直さを再現することはできないことに気がついた。 自分の意思とはなんだろう、ありのままとはなんだろう、人間らしさはよく知っているけど、自分らしさはなん

          人である以上

          結局はひとりで背負う、覚悟みたいな話。珈琲屋のこととか。

          ええと、足立は珈琲屋さんをやっています。 必死こいてやりすぎて、ごり押し感が強くなっている自覚があります。すみません。 どんなお店かと言いますと、とにかく僕が実験を重ねて、お金を頂いてもなお提供に値するレベルだと判断した時点でお店に並べる、それを繰り返してどんどん強くなっていく喫茶店(概念)です。 いろいろ働いてみて思ったんですが、僕は自分のやり方にものすごく固執してしまって、教わったことも心から納得していなければ1秒で忘れてしまう、一度納得してもより最適な手段があるので

          結局はひとりで背負う、覚悟みたいな話。珈琲屋のこととか。

          結局人は自分を楽しませてくれる人が好き

          どんな手段でもいい、見た目が優れた人間は存在してるだけで人を楽しませるし、それがなくとも人々の奥底を揺さぶる感性があるとか、底なしの財力があるとか、なにかしらの形で他人を楽しませられる要素を持った人はとりあえずの孤独を満たすことができる。 社会性とは僕は「最低限のコストで最大限の気持ちよさを相互に生み落とすための最短の合理性」だと思っている。人は楽しみたい。どんな手段であれ、とりあえず深いとこにある感性や報酬系を刺激されて、なんかいい感じになりたい。だから手段問わず楽しませ

          結局人は自分を楽しませてくれる人が好き

          表現の価値って素直さじゃないだろうか

          要はどれだけ力抜けてるかだと思うんですよ、それぞれいろんなことを考えるけど、思い込みや無意識の反応とかで素直さは曇る、翻弄されてるうちに本心はどっかいく、それを掴むには、素直さのレベル上げが必要。 素直さのレベル上げとは。まず無意識に働いてる諸々に気づくこと。無意識に気づくには、自分より素直な誰かの言葉や生き様を見る、自分がまだ抱えてる余計なものはなにか、まずは感覚的にでもいいから気づく。 そっから意識できるようにしていく、意識していく過程では言葉がいいツールとなる。他人

          表現の価値って素直さじゃないだろうか

          魅力的な人の持つ文脈性。

          立ち振る舞いや佇まいが既に魅力的な人、喋らなくても魅力が滲み出ている人というのはどういうことなのだろうか。 それはその人の持つ「文脈性」に惹かれているのだと考える。 文脈。人の言動や行動、無意識の所作など人を形作るあらゆる要素はその人がいままで経験してきたことから導き出され、必然的に今の形に落ち着いている。 格好良く見せようと思っても格好良く見られるような文脈がなければカッコつけになる。 自然体であることは魅力になるけれど、じゃあ自然体になったからといって誰もが格好良

          魅力的な人の持つ文脈性。

          あああ

          ミスった、ミスり続けていた、ミスり続けていたということに、どうしてずっと気づけなかったんだろう、何度も何度も繰り返してきているのに、何度おなじことを繰り返せばいいのだろう。 素直さなんて簡単でシンプルなことのはずなのに、素直さをやろうやろうとひとりで抱え込んで頭の中でむずかしい理論をこねくりまわして素直さとはなんだなんだと考え続けて、自分を晒すことへの恐怖に気づかない振りをして本質を回避するための理屈にばかり労力を使って、その時間に生み出せたはずの膨大な価値をドブに捨ててき

          あああ

          人の気持ちをわかりたい。

          人の気持ちをわかりたい。 大体のことは人の気持ちがわかれば解決できそうな気がする。なにも叶わない気がするのは、人の気持ちがわからないからだ。 承認欲求だとか自己顕示欲だとか、関係性を前提とした欲求、それらを持つこと自体は悪いことではない。それらを顕在するタイミングを誤ること、空気を読めないこと、が悪いことなのだ。 気持ちがわからず、誤った形で欲を表現することは「ミス」なのだが、世の中的には「悪意」と捉えられる。「怖い人」、「悪い人」、本人が意図して悪人になったような、そ

          人の気持ちをわかりたい。

          解像度のコントロールについて、相談をいただきました。その回答です。

          以前、「ご相談をいただけたらnoteで回答します」の募集をしていたこと、覚えていますでしょうか。 その時、ありがたいことにDMをくださった方がいらっしゃいました。 にも関わらず、こうして回答をするのが大幅に遅れてしまいました。 まず、申し訳ございませんでした。 その時の状況で相談をしてくださっているので、いま回答する内容が当時の状況とズレてしまっているかもしれません。 具体的な状況に対しての回答にはならないかもしれませんが、なにかの参考にしていただけたら幸いです。 いま

          解像度のコントロールについて、相談をいただきました。その回答です。

          「えらい」かどうかなんて考えるな。

          なにか物事に取り組むとき、「自分はえらいことをしている」「これはあまりえらくないことだ」みたいに考えてしまうことがある。 僕はこれを一切の無駄だと思っている。 ゲームでも勉強でも、必要だからやる、必要じゃないならやらない、それでしかないからだ。 勉強をするのは、その先にある楽しいことのためだ。 ゲームをするのは、その先にある苦しいことのためだ。 もちろん例外もあるけど。 それ自体がえらいとかえらくないとか、そんなことを考えて今すべきことから目を背けてしまうなら、子どもの

          「えらい」かどうかなんて考えるな。

          12月17日の日記。

          つける余裕があるときにだけつける日記をつけていこうと思いました。 ほとんどしょうもないので、しょうもないな〜って思いながら読んでください。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 最寄りにあるのに全然行ってなかった喫茶店にいきました。 すみっこの、周りと比べたらすこし暗くて、小ぶりな席に座りました。 冷蔵庫のサイド。ほこりがたまりそう。でもたまってない。さすが。 16Personalitiesという性格診断に、「まんなかに座るかすみっこに座るか」という質問があります。 僕は迷

          12月17日の日記。