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「えらい」かどうかなんて考えるな。

なにか物事に取り組むとき、「自分はえらいことをしている」「これはあまりえらくないことだ」みたいに考えてしまうことがある。

僕はこれを一切の無駄だと思っている。
ゲームでも勉強でも、必要だからやる、必要じゃないならやらない、それでしかないからだ。

勉強をするのは、その先にある楽しいことのためだ。
ゲームをするのは、その先にある苦しいことのためだ。
もちろん例外もあるけど。

それ自体がえらいとかえらくないとか、そんなことを考えて今すべきことから目を背けてしまうなら、子どもの方がよほど頭がいい。

えらいかどうかというのは関係ない。
ただ自分の欲求に忠実かどうか、というだけだ。

等身大で自分を理解して、それを社会性の中で最大限満たせる方法をただ淡々とこなす。
その過程を他の人がえらいだのなんだのと言うのってすごく馬鹿らしいことだ。

結局は自分しかわからないじゃないか。
必要だと思うならやればいい、必要じゃないと思うならやらなければいい。

物事をやる理由に、えらいかどうかを持ってくるな。
自分の意志に基づいた行動でなければ、十中八九露頭に迷う。
褒められるためじゃないだろう、全部自分のためだ。

自己実現というと難しそうに聞こえるが、要は自分のために生きるのをやめなかった、というだけだ。
なにが自分で、なにが正しいだけなのか、ほとんどの人は途中で境目がわからなくなるし、別にいいやと思いながら生きていく。
まあそれも悪くないんだけど。

そんなわけで、正しくないことではなく、自分のためにならないことをやめよう。
といった話でした。
むちゃくちゃ当たり前みたいな話だけど、案外できないよねこれ。

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というのを、キッチンカーが終わったあとの自宅で書いています。
つかれた。もう勢いでしか書けない。
素直になろう週間なので、馬鹿みたいなことでも言葉にしちゃいます。

てか小難しそうなことを言ってるようで根は超単純だし馬鹿なので、僕は。
知性は武器にしてるだけで別に本質じゃない。
結構コイツ単純なんだなってとこまで晒せたら自分も楽になるかなと思って、だからわざと疲れてるとき、理性が働きようがないタイミングで書いてみた。

そんなわけで疲れたのでシャワー浴びて寝る。
2回目の平日出店たのしかったよお、またみんなと会えるの楽しみにしてる〜

おやすみ!

ちんさん

もっとおもしろくなりたいです