解像度のコントロールについて、相談をいただきました。その回答です。

以前、「ご相談をいただけたらnoteで回答します」の募集をしていたこと、覚えていますでしょうか。

その時、ありがたいことにDMをくださった方がいらっしゃいました。
にも関わらず、こうして回答をするのが大幅に遅れてしまいました。

まず、申し訳ございませんでした。
その時の状況で相談をしてくださっているので、いま回答する内容が当時の状況とズレてしまっているかもしれません。

具体的な状況に対しての回答にはならないかもしれませんが、なにかの参考にしていただけたら幸いです。
いまの僕が考えられる限りで、精一杯回答させていただきます。

以下が、いただいたDMの内容です。

はじめまして、いつも朕讃さんのツイート拝見しています。相談に乗っていただきたく、いきなりですがDMをさせていただきました。

少し前に転職しました。
私は場に慣れるのに時間がかかり、色々怒られてしまいます。
ただ慣れると途端にその場での解像度がブワッと高くなるのです。皆ここまで見ないのか…といつもなります。
今、ちょうどその過渡期なのではないかと思っています。

朕讃さんのツイートには「苦労して突き抜ける」や先日のツイートの「鈍感と繊細」など、似たような事が挙げられている事が多い気がします。
今の仕事を頑張りたいと思っていますが、よろしければ後押しする言葉をいただけないでしょうか。
また、自分が繊細な場でいかに鈍感スイッチを入れているか、朕讃さんの言葉でぜひ聞けたらなと思います。

いきなりの長文失礼しました。よろしければご検討ください。

「場に慣れる(わかる)と一気に解像度が上がり、繊細さに突き抜けてしまう。周囲との温度差によって場に溶け込みづらくなってしまう。」という悩みかな、と僕は解釈しました。

いま実は、僕がまさに新しい環境にチャレンジしようとしていて、同じようなシチュエーションに遭遇していると僕自身思っています。

まず慣れるまでに時間がかかる、というのも繊細さが影響しているのかなと思います。
おそらくですが、普通の人が1を聞いて1を理解し、すぐ次に行けるところを、10を想像してしまい、それが引っかかって立ち止まってしまうのではないでしょうか。

少なくとも僕はそういうところがあって、自分の中で問いが生まれるとそれを解決せずには次に行けなくて、それで社会の側から見たら「思考停止」のような状態に陥ってしまうことがあります。

僕の中ではちゃんと考えているのですが、「いや、そんなとこで立ち止まってんなよ」と見えるわけです。

じゃあそれが見当違いな想像かと言えば、そうではない。
仕事を一個習ったら、じゃあ関連してこの仕事にはこういう意味があるのかな、と背景や一貫性を想像している。

つまり、仕事やその環境のことを理解しようとするプロセスが”ふつう”とはちょっと違う、だから周りの人には理解ができなくて怒られてしまうのかな、みたいな。(これも僕の想像なのですが。)

「解像度」というのは、この場合「物事の裏側を読み取ろうとする意思」みたいなものなのかなと思います。

理解のプロセスが異なって、時間がかかるけれども、裏側から理解しようとしたから、逆に周りの誰もが見えない抽象的な部分まで見えるようになった、みたいな。

突出した能力だと思います。だからこそ、どことなく居辛さを感じてしまうのかな、という。

以上を踏まえて僕が思うのは、「もっと高い解像度の主張をガンガンしていっていい」ということ。

「見えている」ことは、言語化しないと周りに伝わらないので、たぶん周りの方はそこまで貴方が見えていることに気づいていないと思います。

解像度の高い視点で見えることは、概ね抽象的な内容になると思うので、言語化がすごく難しいと思います。

なのですが、やっぱり表現しないと伝わらない部分があるし、理解されないまま「どこかふわふわした人」みたいな評価になってしまうのは、本当に勿体無いと思います。

抽象的な部分に気づけるのは能力だと僕は思うので、あとはうまくそれを伝える言葉を持てれば、もっと根底の、たとえば職場の環境構築だとか、マネジメントだとか、そういうところに関わっていけるようになる可能性も秘めているのかな、とも思います。

鈍感/繊細スイッチの話がありましたが、この切り替えは「組織としてのスピード感」が求められているのか否か、というところである程度使い分けられるといいのかなと思います。

たとえば納期が迫っている中でチームとして意思決定をする必要がある場合、必要とされているのは解像度の高いそもそも論ではなく、ある程度現状が「正しい」という前提の元で進むためのある種の妥協案であったり。

この状況では解像度を意図的に下げる、つまり正しいとされていることが正しいとある程度認めてしまった上で考える、「疑わない」ということが必要なのかなと思います。
これが僕の考える鈍感スイッチ。

一方で、組織としての方向性を見直そう、新しい戦略を打ち出そう、という時間をかけてでも本質を追求しようとする会議の場合は、解像度の高い視点が必要になると思います。

といったように、「どれだけのテンポ感が必要とされているか」を見極めて解像度のコントロール、スイッチの切り替えを行えるといいんじゃないかなと思います。

かなり高度ですが、これはトライアンドエラーかなあ、と。
「なんとなく受け入れられてない感じがする」のなんとなくが感じられたら、その正体を毎回明らかにして、あとは素直に学んで改善していくしかないんじゃないかなあ、と思います。

難しいし、すごく曖昧な部分なので、直属の上司なんかに「今後の勉強のためにお聞きしたいです。自分の発言はちゃんと空気読めていたでしょうか。」とストレートに聞いてみるのもいいかもしれません。

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といった形で、うまく回答になっているでしょうか…?
脱線してしまっていたら申し訳ないです。

上記を受けてなにか質問などありましたら、遠慮なくお申し付けください。
この度はご相談、ありがとうございました。

ちんさん

もっとおもしろくなりたいです