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結局はひとりで背負う、覚悟みたいな話。珈琲屋のこととか。

ええと、足立は珈琲屋さんをやっています。
必死こいてやりすぎて、ごり押し感が強くなっている自覚があります。すみません。

どんなお店かと言いますと、とにかく僕が実験を重ねて、お金を頂いてもなお提供に値するレベルだと判断した時点でお店に並べる、それを繰り返してどんどん強くなっていく喫茶店(概念)です。

いろいろ働いてみて思ったんですが、僕は自分のやり方にものすごく固執してしまって、教わったことも心から納得していなければ1秒で忘れてしまう、一度納得してもより最適な手段があるのでないかと感じた瞬間から実験をしたくて仕方がない、最悪状況を完全に無視してひとりで試行を始めてしまう、周りにペースを合わせるということが極端に苦手で、完全に置いていかれるかひとりで突っ走るかしかできない。その代わりバチいいいハマったときの爆発力がえぐい。ハマらなければ誰よりも無能、糞の役にも立たない糞溜まり。("ガンギマリ"に固執するのは爆発願望が常時あるため)

そういう人間ですので、つまりは自分のペースで仕事ができないと全くと言っていいほど成果が出ない、めちゃくちゃ矯正してようやくふつうの人の半分くらい、でも異常なくらい疲れ果てて、帰ったらぶっ倒れる。

とりあえず今は普通の働き方みたいなものをしているんだけど、正直全くもって自分をうまく使えてないというのは感じている。今休めば、今動き出せば、今これを試せば、今こうすれば、こうすればという見えている解像度の高い道筋が、組織性、社会性に合理性があるために自分への解像度を優先できない。これは僕の人生にとっては合理的ではない。

組織が悪いという話ではない、僕が重きを置くべき合理性と、組織における合理性がズレてしまっている、大した数の組織に所属してきたわけでもないけど、少なくともこれまで戦ってきたフィールドは全部ズレてたと思う。言葉が違うから指示を適切にこなせない、仕事を覚えられないのでなく教え方を理解できない、理解できたとして手段の選択が独特すぎて叱責され、自分のペースがわからなくなり、いよいよ支離滅裂な自己判断が暴走して大事故、「とりあえずしばらく出勤しなくて大丈夫です。」終わり。間違いなく原因が自分にあるのはわかっている。

僕のやっていることに賛同して、いっしょに盛り上げようとしてくれたり、支援をしてくれた人たちも少なくない。ただそのうちほぼ全員と現在絶縁状態にある。僕は僕の選択を一切後悔していないけれど、間違いなく客観的には僕の方に原因があることもわかっている。土壇場で方針を転換したり、自分の中で筋の通らないことを死んでも譲らなかったり、貯蓄のほぼ全額を使い果たすような投資をほぼ0秒の意思決定で行ったり、とにかく間近で僕のことを見ている人の中で僕の有様に嫌気が刺さなかった人はほぼいないんじゃないかと思う。(今は奇跡的に存在してくださっている。神様か、あるいはそれ以上か、すごく大切にしたい関係性だと思っている。僕と向き合うに当たってエゴを全くと言っていいほど出さず、大変心地のよい距離感で眺めてくださりながらも、本質的なところでサポートしてくださっている。本当にありがとう。お世話になっています。)

というような人生を送ってきまして、もう流石に察しがついてきて、僕はもう僕であること、徹底的に解像度を限界まで上げて「超足立」であり続けることを一生かけて目指していくしかないのではないかと。その覚悟に振り切れなければ、僕の人生は始まらないと言っても過言ではないのでないかと。

とは言えまだまだクソほど未熟ゆえ、あったかもしれない正しさが脳裏を掠めることは多い、夢にも見る、順当に内定を貰っていたら、あのまま正社員を目指していたら、あそこで忖度できていたら、自分であることを諦められていたら。でも当然、できなかったから今がある。当たり前なんだよなあ。お前はいつだって本質的には自分しか信じていなかったじゃないか。今もそうだ。結局最後は自分の中にある正義がいちばん大事で、譲れない領域に突入した瞬間にすべての反旗を翻す、そして長く関係を続けていたら、その領域に結局は最後はズブってしまう。どちらかがもう完全に嫌になって、もう目の前から消えてほしい、消えてしまいたいほどの段階に陥ってしまう。

今の僕がある程度良好な人間関係を築けてきているのはなぜか、それはおそらくもう自分の世界の中で「パートナー」を見つけることをほぼほぼ諦められてきているからだと思っている。

人は本質的に孤独、絶対の関係性など存在しない、それでも本質であろうとしてしまう性分であるのなら、それはもう自分にしかなれない。他者に本質を、絶対を求めるエゴとは折り合いをつけなくてはならない。僕は僕にしかなれなくて、僕のことは僕にしかわからない、だから僕の孤独は僕にしか満たせない。それを受け入れる覚悟を持つことが、僕にとって、僕の世界にとって、僕の周りの人、周りの人の世界にとって最も自然な形、最大幸福なのだと、いまは結論づけている。

いま支えてくれている人は本当にたくさん居てくれていて、いつも感謝の言葉があまりに足りていなさすぎることに悔しさを覚えているし、その支えがなければこの取り組みを続けられていないのは紛れもない事実。これだけ自分自分自分自分となりながらも、凄まじく打たれ弱くて、人と関わらなければ瞬く間に自信が失われていく。支えがなければなにもできない赤ちゃんなのだけれど。

だからこそ、だからこそ僕は僕の世界の中で唯一無二である必要がある。他者に同じ視点を、同じ感性を、同じ感情を、僕に対して最適なコミュニケーションを、期待してはならない。僕を本質的に支えるのは僕でなくてはならない。自分の人生を自分と同じだけ背負わせる他者の存在を、死んでも期待してはならない。僕は僕の世界で徹底的に僕自身であること、本質を自分で背負い、自分の力で実現していく覚悟を持つこと。

それが今の、今の僕にとってのシンプルさ。現段階での結論、これが若さだとしても、折り合いをつけて覚悟に振り切れなければならない、目下の答え。

とまあそういうわけで、「喫茶らんぷしぇいど」を支えてくれるたくさんの人にどうやって感謝をしようか、どうやって受け取ったものを返していけるかというのは日々全力で考えつつも、本質のところは僕が、期待をする対象はあくまで自分でなくてはならない、責任は僕だけになくてはならない、僕が僕のために背負い、僕だけで失敗し、僕だけに迷惑をかけながら推進していくしかないということを絶対的な価値観として持ちながらやっていこうと思います。とりあえず当面は。そういう覚悟みたいな話だった。

中身の部分に全く触れてねえ。抽象的な話ばかりになってしまったので、また機会を作って具体的な話を書きたいです。どうなっていきたいかというね。とりあえずは出してるもののクオリティをいけるとこまでぶち上げて、みんなに認知してもらって、安定的に場を持てるようになって、暗い時間帯に営業できるようにして、人々が内側にある解像度の高い感情や感性と向き合える、バチバチに整った場所にしていきたいなと、超ざっくり思っています。珈琲やスイーツの味、お洒落さなんかはすべて手段。その先にある体験に価値をおきたい。何かを得て日常に戻っていってほしい。それがデカいである。

あかん無限に書いてしまう、とりあえず今回はこの辺りで。ありがとうございました。つかれたので寝ます。足立

もっとおもしろくなりたいです