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読める、読まれる、読ませる文章を書くために

3月半ばにnoteのアカウントを取得、投稿を始めて、早いもので2ヶ月が経ちました。
そしてそんな節目、僕のnoteは本記事をもって投稿記事数25本目を数えます。キリがいいといえばキリがいい!
まだまだ駆け出しもいいとこの書き手ですが、今後も自分の書きたいことを、自分のペースで書き綴っていければと思います。

投稿25本目という節目(?)を迎えたということで、恐れ多くも今回は、僕なりの文章法をいくつかご紹介していきたいと思います。
細々とやらせていただいている「宿題」のほうに「文章の書き方について書いてみてはどうか」といった提案を賜ったこともあり、せっかく最低一人は読んでくれる人がいるならと、書いてみる気になりました。
note運営が「#noteの書き方」と題して投稿ノウハウにまつわる記事を募集しているので、そちらにも乗っかっていく形です。

なるべく色んな方の参考に供せるよう、「読める」文章を書くための初級篇、「読まれる」文章を書くための中級篇、「読ませる」文章を書くための上級篇の3パートに分けて、ご紹介してまいります。
頭から通して読んでいただいても、必要なところだけつまみ食いしていただいてもかまわないと思います(個人的にはつまみ食い推奨です。長いので)。よろしければご参照ください。

なお、紹介するのはあくまで「文章そのものの書き方」であり、「売れるコンテンツの作り方」ではないことはご留意ください。
バズを狙う方法やインプレッション向上のための取り組みについての示唆をお求めの方のご期待には、お答えできないと思います。情けない話、むしろ僕が知りたいくらいです。

それでは、どうぞ。

「読める」文章を書く:初級篇

どんなに素晴らしいアイデアも、誰にも読み取ってもらえない文章に閉じ込められてしまっては、誰にも伝わらずに終わってしまいます。
この初級篇では、きちんと読める文章を書くうえでのポイントとして僕が考えることをお伝えします。

1)「伝えたいこと」をハッキリさせる
2)「伝えたいこと」から逆算して構成を決める
3)「伝えたいこと」を冒頭に書く


1)「伝えたいこと」をハッキリさせる

そもそも人はなぜ物を書くのでしょう。
ありていに言ってしまえば、「伝えたいことがあるから」ですよね。
「ありふれた言葉じゃ絶対に表せないこの思いを表現する!」というスタンスで物を書く人たち(詩人や小説家など)でさえ、「ありふれた言葉にできないこの思い」という「伝えたいもの」をちゃんと持っています。

物を書くからには、書かれるべき、伝えられるべき何かがあるということをまず頭に入れましょう。
そして、その伝えられるべき何かとはいったい何なのか、それをハッキリさせましょう。

このステップがしっかり踏まえられていれば、文章執筆で迷走するリスクは一気に減らせます。
文章を書くうえで最も重要なことの一つは迷走を避けること、すなわち読み手がきちんと意味や筋を追える文章を書くことです。
その下準備として、まずは文章によって伝えたいことをハッキリさせましょう。

ちなみに、ここでいう「伝えたいこと」は、いわゆる「結論」でなくて全くかまわない、と僕は考えています。

もちろん、何かしらの問題について論理的に分析して答えを出す、という類の文章であれば、「伝えたいこと」とはすなわち「結論」であると考えて問題ないと思います。
でも、世の中の文章の全部が全部、問題を論理的に分析した結果を示すために書かれているわけではありません。
「伝えたいこと」=「結論」ではない文章も、この世にはたくさん存在します。

たとえば、本の感想を伝える文章なら、一番伝えたいのは「その本を読んでどんな感情を持ち、どんな感動を得たか」になるでしょう。
あるいは、商品のレビューなどであれば、商品そのものの評価と同じくらい、いや場合によってはそれ以上に、商品の強調したい長所と短所をつぶさに伝えることが重要になると思います。

ビジネス上のコミュニケーションにおいて「結論から話せ」が鉄則化し、人口に膾炙したがゆえか、「伝えたいこと」=「結論」という図式にとらわれて、「自分には書きたいものがないから文章なんて書けない」と悲観する人も少なくないように見えます。
でも、結論のある文章がすべてではありません。書きたいこと、伝えたいことさえはっきりしていれば、結論を示すことにとらわれる必要はない。
あくまで必要なのは、「伝えたいことをハッキリさせる」ことです。

2)「伝えたいこと」から逆算して構成を決める

当たり前のことですが、基本的に読み手というものは、文章を読み始めるまでその文章に何が書かれているかを知りません。
極端にいえば、読者は書き手が何を伝えたいかなど知るよしもないし、なぜそれが伝えられるべき事柄なのかという事情も知らない立場にいます。

第一ステップとして「伝えたいこと」を洗い出せても、それだけをポンッと読み手の前に示したのでは不十分なのです。
これがすごく大事なんだ!とだけ主張しても、そう主張する背景や根拠、書き手の立場や想いを知らないままでは、読み手はついてきてくれません。
伝えたいことを伝えるには、それがわざわざ文章にして伝えるほど大事なことであると読み手が納得したり共感したりできるよう、ゴールまでの道筋をつける必要があります。

この道筋こそが、文章の構成です。

「伝えたいこと」を明確にしたら、次は「伝えたいことを伝えるうえで欠かせない事柄」を洗い出して整理しましょう。

これらの事柄をきちんと示して、なぜ伝えなくてはならないのか、伝えられるべき事柄はどのように重要なのかを読み手にわからせることができれば、しめたものです。
共感納得が深まるほど、読み手は書き手の伝えたいことに近づいてくれます。
いい文章とは、読み手に対して共感や納得をスムーズに促し、読み手を書き手の伝えたいことのほうへと無理なく辿り着かせる、見通しのいい案内図のようなものです。

伝えたいことが明確になったら、それを伝えるべき理由や、伝える内容の根拠となる事柄、伝えたい思いやエピソードといったものを、一通り書き出してください。
そして、そのうち特に必要なものだけを絞り込みその他は思い切って手放します
手元に残ったものを組み立てれば、それでもう筋は完成です。これに肉づけしていけば、「読める」文章は書けてしまいます。

3)「伝えたいこと」を冒頭に書く

「手元に残ったものを組み立てれば〜」と書きましたが、ここでひとつ問題になるのが、「どう組み立てていけばいいの?」というところです。

たとえば、伝えたいことが「禁煙したほうがいい」という主張で、これを伝えるために欠かせないと考える事柄が

理由づけ
 「肺がんのリスクが高まるなど、健康への悪影響が大きいから」
エピソード
 「ヘビースモーカーだった父親を、肺がんで早くに亡くした」
強い感情
 「父親が早くに亡くなってしまったことへの悲しみ」

だったとします。
これらをどう組み立てれば、わかりやすい文章になるのでしょうか?

よくあるライティングテクニックの指南書に必ずと言っていいほど書かれていることですが、ほぼ確実に有効な手段として是非押さえておきたいのが、一番伝えたいことをまず冒頭に書いてしまうというものです。

先に述べた「結論から話せ」ではないですが、話の要点があらかじめわかっているそれだけで読み手が結論(ないし一番伝えたい事柄)にたどり着くまでの道のりは、一気に見通し良いものになります。
どこに続くかまったくわからない真っ暗な小道より、デコボコで歩きにくいけれどどこにたどり着くかはわかっている道のほうが、歩いてみようという気になると思います。
伝えたい内容を最初に示してしまうことで、「この文章は読み手をどこに連れて行きたいか」を明らかにしてしまえば、理由づけやエピソードの挿れ方が多少荒くても、読み手はついていくことができます。

構成に迷ったときには、「まず伝えたいことを述べた後で、その理由やエピソード、そこから感じた強い想いを書き、最後にもう一度伝えたいことを念押しする」という型を踏まえれば、ほぼ間違いありません。
王道にして最も強力な型の一つとして、是非とも最初に身につけておくとよいと思います。

「読まれる」文章を書く:中級篇

「読める」文章とは、言ってみれば「その気になれば読める」文章です。
そこから一歩進んで、読み手が自然と読み進めていける「その気にならなくても読める」文章を書くには、何を気をつければいいのでしょうか。
中級篇では、より読みやすい文章を書くための留意点を、いくつか挙げてみたいと思います。

1)誰に伝えたいのかを考える
2)伝えたい物事の性質に気を配る
3)違和感をなくしていく


1)誰に伝えたいのかを考える

あらゆる文章には読み手が存在します。ルーズリーフの書き殴りでさえ、自分自身という読み手の存在を免れません。
ましてや誰かに読ませるための文章であれば、具体的な他人が必ず読み手の立場に立つことになります。

この「読み手の立場に立ってくれそうな人」がどんな人たちなのか、あらかじめ自分の中で思い浮かべるようにしましょう。
あるいは、どんな人に読んでほしいのか、誰に伝えたいのかを、なるべく具体的に決めてしまいましょう。

伝えたい相手がハッキリしていると望ましいのはなぜかといえば、文章の中で何をどこまで説明し、どこから省略していいのかが明瞭になるからです。
つまり、書き手とさまざまな事柄を共有している間柄の人が読み手なら、すでに共有できている事柄について丁寧に説明する必要はなくなります
あるいは逆に、こういう人たちに読んでもらうからにはここをわかっておいてほしい、というように、強調すべき点も明らかになります

書き手と読み手の間にはどれくらいの距離があるのか、対等な関係なのか上下関係があるのか、共通点はあるか、お互いの立ち位置に何かしらの特殊性はあるか、といったポイントを見定められると、言葉の選び方はぐっと絞り込めます。
近しい間柄や同士のような人たちには、語りかけるような語調が似合うかもしれませんし、上の立場から物を言うときには、明快かつ丁寧な言葉を選ぶほうが印象がいいでしょう。
細かく挙げればいくらでも挙げられますが、書き手との関係性から言葉を選ぶという視点は重要です。

文章を洗練させる小技めいたものをいちいち身につけなくとも、読み手をきちんと想定する心がけさえあれば、自然と文章の質は向上すると僕は思います。
「ああいう人たちはこういう言い方をすると怒りそうだからやめておこう」とか、「エピソードを出すと共感してもらいやすそうだ」とか、「後輩にレクチャーするための文章だから、語りかけるようなスタイルをとろう」といった配慮や予想がはたらけば、文章もおのずと読み手に親切な、洗練されたものになるはずだからです。

文章を書いて読んでもらうのも、コミュニケーションの一つであり、口頭でする会話とある意味では同じです。
会話のときに気をつけるべきことは往々にして、文章を書くときに留意すべき点であったりします。
誰に向けて書くのか、誰に伝わってほしいのか、一度考えてみてください。

2)伝えたい物事の性質に気を配る

内容に合わせて使う言葉のスタイルを変えていくことも大切になってきます。
もう少し噛み砕いて言うと、「伝えたい物事の性格」を考慮したスタイルがとられている文章は、とても読みやすいものになります。

伝えたい物事の性格とは、文字通りそれがどんな物事かを意味します。
何事かを分析・考察した結論だったり、ある経験から得た感動だったり、知識やノウハウのレクチャーだったりとさまざまなカテゴリーがありえますが、とにかくその文章で扱う物事が、どのようにカテゴライズされ、いかなる性格をもつものなのかを考えておきましょう。

その際、重要な観点の一つとして挙げられるのが、書きたい物事が論理/感情のいずれに寄っているのか、という視点です。

論理ベースでの主張を伝える文章であればあるほど、書き手と読み手の間に共感が存在する必要は薄れます。
論理を支える事実が整合的に提示されていることが望ましい一方、読者の笑いや感動を誘う表現はそぎ落とされるべきということになるでしょう。

逆に、感情ベースの物事(感動や「あるある」)を伝えたい場合は、書き手は読み手の共感を得ることが望ましくなります。
ですから、読み手と自らの主張との間を客観的な事実で橋渡しするより、読み手の感情をよびおこす表現を選んでいくほうが、自らの伝えたいことを効果的に伝えられるはずです。
気持ちをていねいに綴ったり、エピソードを充実させたり、比喩を用いて感情を描いたり、共感につながる表現を盛り込むとよいかと思います。

むろん、この二つは単なる二極であり、あいだには無数のグラデーションが存在します。
ですから、自分の伝えたいことがグラデーションのどこに位置するのかを考えて、表現のバランスをとるのがいいでしょう。
逆にいえば、グラデーションの中での位置づけがきちんと見定められれば、おのずと表現のバランスはとれてきます。主題の位置づけがしっかりしていると、過剰な表現は自然と文章の中で悪目立ちしてくるものです。

)違和感をなくしていく

1)や2)とは違って、ややテクニカルな話になりますが、文章中に読者がつまづく原因を残さないというのも大切なポイントです。

誤字・脱字や接続詞の間違いはもちろん、指示語(こそあど)の使いすぎ「の」の重複(「僕の家の隣のおじさんの家の裏の庭の畑のスイカ」のような)、ある表現の過剰な繰り返しなどは、読み手に不要な違和感を感じさせる原因となってしまいます。
また、おおむね全体が内容に即したスタイルで一貫しているのに、ところどころスタイルを逸脱した表現があらわれる、といった場合にも、読み手は気持ち悪さを覚えるものです。
論理的に主張を展開する文章の中に、笑いを誘うような一文が急に挿し込まれていたら、読者は笑うどころか首をひねって通り過ぎてしまうでしょう。

つまづきやひっかかりがなければこそ、読み手は文章に100パーセント集中できるのです。
正しい日本語で文章を書くべきだとされる理由の一つは、ここにあると言ってもいいのではないかと思います。

伝えたいことそのものだけに集中してもらえるよう、違和感につながるようなミスや重複、過剰な表現は取り除くように心がけましょう。

「読ませる」文章を書く:上級篇

パワーのある文章は、スラスラ読めるにとどまらず、読み手を巻き込んでどんどん先へ先へと読み進めさせてしまうものです。
そんなパワーを持った文章を書き上げるためには、どのような点に留意すべきなのでしょうか。
僕なりに重要だと考えるポイントを3つほど挙げてみます。

1)山や谷をつくる
2)ムラのない文章を目指す
3)あえて型を外す


1)山や谷をつくる

たえず何らかの情報を受け手に送り込んで、その連なりから何かを感じてもらう、わかってもらうもの、という意味で、文章は映像音楽などとよく似ています。
よい文章を評価するときに「シーンが目に浮かぶ」「リズムがある」といった評言がしばしば用いられることは、その証左といえるでしょう。

文章表現を工夫するうえで、映画や音楽の表現から得られるヒントは多くありますが、なかでも重要な一つとして、起伏をつけるという技術が挙げられます。
何らかの感動を伝えるために書く文章では、読み手があたかもその場にいたかのように感動のピークを感じられることが大切です。
そのため、例えば大げさな比喩や直接的な感情表現はピークまでとっておいて、平坦な場面ではシンプルな表現に徹する、というように、内容の展開に合わせて表現を変えることで、読み手にもそのつどの感情の起伏を共有してもらうと効果的です。

また、言うまでもないことかもしれませんが、内容そのものに起伏をつけることもきわめて重要です。
たとえば「あるアーティストのライブを観て感動した」という内容を伝える文章を書きたいと考えたとき、冒頭からライブの中身そのものについて言及してしまっては、読み手としては共感しづらいでしょう。
アーティストとの関係はどんなもので、ライブそのものをどのように心待ちにしていたか、ライブに向かう当日はどのような日で、会場に向かうときはどんな心持ちだったか……といったことを前段階として書いておけば、読み手は時系列に沿って書き手の経験を追体験でき、書き手の感動により深く共感できます。
展開の付け方は、文章のテーマそのものや、書き手が物事において何を重んずるかによって異なると思いますが、いずれにせよ、読み手に伝えたいことがしっかり伝わるように、前段階をきちんと踏まえさせる文章構成をとるのが望ましいです。

初級篇で述べた基礎とも関わりますが、結局のところ「読み手は書き手の伝えたいことをあらかじめ知っているわけではない」という点に配慮する必要があるのです。
伝えたいことを述べる前に、それを理解するうえで必要な文脈や、そこに至る経緯について記述を充実させ、読み手が期待をもって文章を読み進められるような道筋をつけるよう心がけましょう。

2)ムラのない文章を目指す

中級篇の「3)違和感をなくしていく」の中で述べたこととも関わりますが、文章の中に意図しないムラを残さないほうが望ましいです。

「文章を読む」という行為は、言ってみれば順次与えられる情報を処理していくことに他なりません。
人は文章を読むなかで、与えられた情報の密度や性質(すでに知っている/知らない、など)にあわせて、逐次的に処理のレベルを変更しています。
車を運転するときに道路の状況に合わせてアクセルとブレーキを踏み替えるように、目の前にやってきた情報に応じて、適切な精度やスピード感で処理を行っているのです。

文章のムラとは、「この処理をぎこちなくさせるもの」の総称です。
ひきつづき車の運転になぞらえるなら、急ブレーキ急発進などを余儀なくさせる障害物だと言うことができます。

たとえば、冗長な繰り返しや「てにをは」の狂いなどは、読み手を無意味に立ち止まらせ、スムーズに文章を読み続ける妨げとなりますし、展開の飛躍は読者に道筋を見失わせます。
また、内容や文法上間違っているわけではないものの、文章全体のスタイルにそぐわない表現が登場したりすると(全体的に淡々とした語り口だったのに、突然ゴテゴテした比喩が用いられるなど)、スタイルに慣れた読者には違和感として受け止められてしまいます。

ムラを生み出す原因は数限りないですし、ある人にとってムラと感じられるところが別の人にとってはそう見られないこともあります(むしろ「味」として受け止められる場合さえあります)。
また、意図しなければ単なるムラになってしまうような言葉遣いが、逆に効果的な表現技法になったりすることすらありえます。
大嫌いな心情を表すときに、「嫌い、嫌い、嫌い、嫌い」と何度も繰り返すことで、強調を実現しつつ、同じフレーズが繰り返されることがもたらす生理的な嫌悪感を喚起させ、その心情が切実なものであることを伝える、といった手法は効果的ですし、大げさな比喩も使いどころによっては豪華でおしゃれな表現として受け止められます。

そのため、「こういう表現がムラになる」と一概に言えない部分はあるものの、基本的には、足りない表現は補い、過剰な表現は削ぎ落としていくのが望ましいです。
何を不足や過剰とみなすかは、最終的には主観によるしかないところですが、自分なりに想定した読み手の立場に立ってブラッシュアップを施していきましょう。

3)あえて型を外す

初級篇・中級篇で述べたのは、「少なくともこのようなポイントを押さえれば、読める文章を書ける」という、定型にまつわる考え方でした。

しかし、定型的な文章というのは誰にでも伝わりやすい一方でありふれています
よくあるパターンを素直に踏襲しすぎてしまうと、読者にどんどん先を読まれて「ハイハイそういうことね」と雑に受け止められてしまいかねません。
多く文章を読む人であればあるほど定型に慣れ親しんでいるため、定型的な文章に退屈しやすいとさえ言えます。

そこで、読者を飽きさせないためにあえて型を外すというやり方が重要になってきます。

たとえば、「結論から書き出す」という王道的な手法は、読者に対して良好な見通しを与えるぶん、途中の道筋も予想されやすくなります
そのため、わかりきった道を歩かされるマンネリ感を読者に感じさせないために、あえて不明瞭な書き出しから文章を始めるのも一つの手段となるのです。
「これを読み進めたら何が待っているんだろう?」と、思わず分け入ってみたくなるような書き出し方をして、核心はいきなり明かさず少しずつ迫っていくことで、読者はワクワクした気持ちのまま文章を読んでいくことができます。

2)で「ムラがかえって味になることもある」と述べたのも、定型から外れることによって良さが生まれる例の一つといえます。
あえてつまづきやひっかかりを与えることで、読者をハッとさせたり、書き手自身の抱えた違和感を生々しく伝えることができるケースもあるわけです。

むろん、型を外すにはまず型そのものを身につけている必要があります。
むやみにアバンギャルドを気取った表現を繰り返しても、単に言葉を知らない、人に何かを伝える常識的な方法を知らない未熟な書き手と見られて終わりかねません。
王道を知っているからこそ、その王道をどれくらい裏切れば嫌味にならないのか、ほどよい意外性を読者に与えられるのかという目算がつくのです。
自分のこだわりを発揮するために基礎を身につけることをおろそかにするのはおすすめできません。これはおそらく、文章に限らず何においてもそうだと思います。

おわりに

駆け足で進んでまいりましたが、いかがだったでしょうか?
実に9000字超という、noteの無料記事1本としては度外れた大作になってしまったものの、内容的にはまだまだ足りないというのが正直な実感です。
だいぶ端折りぎみに書いてしまったところもありますし、掘り下げたいところをぐっとこらえてスルーしたポイントというのもいくつかあります。これ以上長くなったら本当に誰にも読まれず終わりかねない。

ただ、それなりの分量書いただけあって、個別のテクニックについてそれほど突っ込まなかったものの、文章を書くうえで押さえるべき考え方には、それなりにきちんとふれられたのではないかと思います。
「自分で書いておきながら、まだまだ実践しきれていないな……」と感じるポイントも少なからずあったので、振り返りとしても有意義なものになったと自負しています。
本記事が今後、どなたか文章力向上に少しでも貢献してくれることを願っています。

それでは、今日はこれにて!

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