見出し画像

その人が、その人のまま、生きられるように(自己紹介)

はじめまして、またはこんにちは、SAKI.Sと申します。

これまでこのnoteは、わたし個人のnoteとして使っていて、自分が運営している会社での発信は別noteやインスタ、ツイッターをやってたんですが、最近、そうやって分けるほうがしっくり来ないなあと感じ始めたので、ここのnoteをメインの場として、ひとつにまとめることにしました。

また、自分がやっている活動や仕事などがいろいろでバラバラしてた気がしてたんですが(それはそれで良いことだけれど)、最近、「ああ、やっぱり自分は、その人がその人のまま生きられるような、多様性が少しでも上積みされていくような社会にしたいな」という、使命感に近いような想いを再確認したので、それを軸に据えて、これまでやってきたことを編み直していきたいなと思って、改めて自己紹介を書こうと、ふと思い立って、noteを開きました。

海外で育ったのに、多様性を認められなかった後ろめたさ

わたしは小学校から高校まで、子どものころをずっと海外で暮らしてきました。2,3年ごとに引っ越して、住む国も変わる中で、それでもずっと「日本人」というマイノリティとして生きてきて。

ラッキーなことに、外国人、マイノリティとして、大きな差別とか危険な目に合ったことはありませんでした。でも、引っ越すたびにわたしは、新しい環境に馴染む前に「日本とは違う、前の国とは違う」と反発心を覚え、自分が慣れ親しんだものとは違う、現地の人のちょっとした習慣や振る舞いを、内心ばかにしている自分がいました。

今思えば、それは自分のアイデンティティを守ったり、確立していったりするための心の作用だったのかなと理解できますが、それでも「(現地の)周りの人に受け入れられたのに、自分は受け入れられなかった」という罪悪感や後ろめたさが今だにあり、いつしかそれが、多様性を尊重する自分になりたい、多様性が尊重される社会をつくりたいという、かっこつけて言うと、自分のライフテーマに育っていきました。

帰国してからの生きづらさ

大学と同時に帰国してから、日本で暮らすようになりました。楽しく過ごしていたつもりでしたが、就活をきっかけに「ふつうはこうするもの」という、無言の同調圧力や、この社会が暗黙の了解的に敷いている、みんなが歩く大きなレールというものにぶつかるようになりました。

いろんな国を転々としていたので、「これが絶対、というものはない」という、あらゆるものごとを相対化する思考がいつしか染み付いていました。それはわたしを自由にする一方で、すべてのものごとに対して、一度は疑問を挟まずにはいられない、苦しさと孤独感をもたらしました。

就活が嫌だったし、就活が絶対だとも思えなかったし、でも、自分の道を切り開いていくような勇気や行動力も持ち合わせていなくて。結局、就職せずに大学を卒業し、すぐに結婚したんですが、就職に強い慶應にいたので、名だたる大企業に就職した友人と比べては、「これでいいのかな」と、20代前半は特に自信が持てずにいました。

書くことを始め、離れ、また戻ってきて

卒業してからありがたいことに、なりたいなと思っていたフリーランスのライターになることができました。共著のエッセイ本も出させてもらえて、書くことで食べていきたいなあと思ったし、今でも思ってます。

でも、なかなか自立するほどには稼げないし、どうやら自分は「書かないと生きていけない」ほどには書くことが好きではないことに気づきます。自分よりも書くのがうまい人も、たくさん読まれている人も、書くのが好きな人もたくさんいる中で、自分はそうじゃないんだなあと知っていくのはつらいことでもあり、どこかで諦めている自分もいました。

それもあって、書くこと以外の仕事も並行してやっていました。自宅で本屋をやってみたり、民泊をやってみたり、親に誘われて会社を手伝うようになり、経理やプログラミングを学び、そのうちエンジニア的な仕事もするようになりました。

会社での仕事がおもったより楽しくなってきて、子どもが生まれたのをきっかけに、インタビューに行くライターの仕事を減らし、会社での仕事メインでするようになり、システム開発や、会社の運営、チームづくりなどをするように。

でも、やっぱり書くこととか、そして多様性というテーマは忘れられず、このnoteで細々と、noteを更新したり、生きやすい、をつくるマガジンをつくったりしていました。

そうこうするうちに、会社で新たにスタートアップとして再出発しようとなり、共同代表になり、web3で新しい働き方をつくる動きを始めました。このあたりから、「いろんな背景、環境にいる人が働けるように」とか、なぜ新しい働き方をつくりたいのかを、エッセイにして本にして伝える、というのを任せてもらえることになったりと、自分が元々テーマとしていた「多様性」や、好きだった書くことということが、会社でもできるようになってきました。

会社の仕事はどこか、ライスワーク的に考えてた。ライフワークは、個人でやればいいと思ってた。

そんな自分がいたんですが、でも、不思議なことに、個人としての活動と、会社での仕事がひとつになってきて、そしてそれがとても恵まれていることだと思うからこそ、ライスワーク・ライフワークとか、個人と会社とか、仕事とそれ以外の活動とか、そういうふうに分けずに、「『わたし』というひとりの人間が取り組んでいること」として、編み直していきたいなと思うようになりました。

今は、「多様性を上積みしていく」ことをテーマに、下記に書く3つのことに取り組んでいます。

生きやすい、をつくる

なぜ生きづらいのか、ではなく、どうやったら生きやすい、をつくれるのか、をテーマに、書くことを通じて発信しています。内容は、生活に軸足を置くことや、マインドフルネスなど。

メンバーシップやマガジンをやっています。

生活やマインドフルネスについて発信しているinsta。

https://www.instagram.com/__saki_s._/

twitterでは主に書くことについてや、人文学について発信しています。

https://twitter.com/monocoto_japan

web3で新しい働き方をつくる

今、運営している会社でメインで取り組んでいることです。自分が、なんか息苦しい、生きづらい、窮屈だと思うきっかけとなったのが就活で、働くことや稼ぐことにずっと自信がなかったり、苦手意識があったり、働くのいやだと思ってきたので、自分にとって働くと、生きやすさ、や、多様性の尊重というのは、切っても切り離せないのかなあ、と思っています。

会社のメンバーさんに子育て中の方がふたりいて、意欲もスキルもあるのに働ける時間が限られるというジレンマが会社・個人の両方にずっとあり、もっと自由に、短い時間でも、やりがいがあり評価される働き方ってないのかな、と模索していくうちに、web3の技術を使えば、そんなプロジェクト的な働き方が実現できるかもしれないとなり、web3プラットフォームを開発中です。

別noteで発信してましたが、今後、こちらのnoteに記事を移行し、更新を続けていく予定です。

なぜ、これからの働き方をつくりたいのかについて、エッセイを書いているところで、今年中にkindle本として出版予定です。

子育てとホームスクーリングのこと

3歳の子どもの保育園行きたくない!をきっかけに始めたプロジェクトです。
多様な学びとは?とか、ホームスクーリングやってみたいけどどうやるの?とか、教育こそ多様性がない…と苦しみ、絶賛壁にぶつかっているところです。その分、すごくやる意義を感じてもいます。

上に書いた、web3での新しい働き方プラットフォームで行う、最初のプロジェクトになる予定で、具体的にはホームスクーリング × テクノロジー教育をテーマに、大人も子どももともに、自分の興味をベースに学んでいく場や、学びのきっかけとなるツールをつくりたいなと思っています。

こちらの専用マガジンとinstaで発信していくので、ぜひ興味ある方、一緒にやりましょう!

https://www.instagram.com/__saki_s._homeschool/


プロフィール的なやつ

93年生まれ、兵庫県加古川市出身。
小学校〜高校を中国、台湾、香港、アメリカで過ごす。
帰国後、慶應大学文学部を卒業。フリーランスのライターを経て、(株)B2B Makers共同代表。

夫と3歳の子どもと東京暮らし。HSP気質。小説、着物、あつ森、コナンが好き。目下地下アイドルにはまり中🎃


この記事が参加している募集

自己紹介

多様性を考える

サポートありがとうございます。みなさまからの好き、サポート、コメントやシェアが書き続ける励みになっています。