死にたい夜を探して
この間、ずいぶん久しぶりに「死にたい」などという言葉を嘆いた。
酔っ払っていたのだ。
その厭世的な思考は過去の自分に対しての事だった。
大して死にたいなんて思ってるわけでも無いのに安易にこの言葉を使ってしまって本当に死にたいと思っている人に申し訳ないなと、ただ純粋に思った。
が、過去の自分は紛れもなく、「大いして死にたいなんて思ってもないのに死にたい死にたい言ってんじゃねーよ。」と思う側にいた。
ああ、私も本当に死にたい夜があったな。
冷たく吹き荒れる冬の夜の外、上半身はやけに身構えた厚着で暖かいのに対して、ジーンズだけの装備しかできない下半身が無防備に寒そうにしている。
それと同じ感覚で今も生きている。
上は暖かい。
それなのに、寒いから暖かい飲み物とかいる?とか、マフラーしなよ。とか、人々はそう言ってくれるけど、そういう事じゃない。
上は充分暖かいのだから。
下の寒さをどうにかできるものは結論、何もない。
タイツとか裏起毛のズボンを履いてくればよかったなとひたすら思うだけだ。
誰かになにかを成してもらってどうにかできる話じゃないもの(過去)があるとわかった瞬間に人は俯瞰的にも死にたいと思うのだろうか。
それでも、これからもそう思う事は少なからずあるだろうが、できれば留めておこうと今では思う。
下の寒さを未然に防ぐ能力はもう備え付けているはずだから未来の自分は有望だ。未来は。
過去はどうにもならないから、自分の中で留めておく分には死にたい夜があっても良いと思っている。
でも、なんだか心細いと思うのはもうあの時みたいに死にたすぎる夜はなくなったという事だ。
もう随分と死神たるものにも会っていないように思うし悪夢や金縛りにうなされる事もめっきり無くなった。
死にたい理由を探して、死にたい夜を見つけてそれで少しばかりの快楽を得ていた自分がいたことに驚愕する。
この間死にたいと発したあの夜だって、近くに暖かい光があって、開き始めていた暗い影のようなものがヒューンと音を立てて閉じてしまった。
全然死にたくなかったんだと思う。
つまんないの。なんて思いながらその光で暖をとる自分さえいた。
生きる理由を探すんじゃなくて
死にたい理由を無くす
死にたい夜はあっていい
生きる理由なんてわざわざいらない
死ねないならそれでいい
ギリギリ死ねないならセーフ
悲劇の誕生
これが人生、アポロ的で美しい
ライフイズビューティフル
と急に開花されたようにナルシストになれたのならタイツぐらい履いてからジーンズに足を通してみるのもいいのかなと思います。
それともやっぱり下は寒いままにしておくのもいいのかもしれない。
誰にも私の下半身は暖められないのだから。
寒いまま歩き続けてみよう。
もう見つからない、死にたい夜を探して
少しの光で暖を取りながら私は夜の街を練り歩く
夜の街にさえ救われながら
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