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#私なりの生きづらさ論

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私の脳内にある生きづらさ論を文面に投下したものです。
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#思ったこと

モヤモヤという感情を細分化してみる。#私なりの生きづらさ論

モヤモヤという感情を細分化してみる。#私なりの生きづらさ論

お久しぶりです。ちはるです。
noteではお久しぶりですね。

気づいたら23歳になってました。
誕生日のブログをやめてみたり、夜更かしをやめてみたり、色々なものをやめてみて、大事なものを思い出したり、思い出さなかったりしました。

私には文章を書くという過程は必要だったと気づき、ポツポツと私の言葉を貯めるところに書き貯める日々です。

皆さんお元気ですか?
寒くなりましたが、心身共に冷えきってい

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感情が溢れて、生きていると感じる。

感情が溢れて、生きていると感じる。

わたしは、ちょうど不登校生に向けた活動や生きづらさに関わる活動をはじめた時から、よく泣くようになった。

多分きっと、誰かに本当の想いを伝えることがなかったからだと思う。

本音を話すと、強い心の底の声を吐露すると、涙が出る。

活動をはじめて数日、生まれてから16年で、はじめて知った。

死に損ないになる前、
わたしは自分の気持ちがわからないつまらない人間だと思っていた。
わたしは代替えの利く無

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「不登校」でズルい私を肯定したかった

「不登校」でズルい私を肯定したかった

私はズルい。そのひとつの考えに縛られてきました。
きっと今もそうかもしれないけど。

今は、その私自身を認めてあげられるように努力する真っ最中。

その時書いた記事です。

肯定するための知識私、大学内では法学部政治学科というところにいて、政治のお勉強をしているんです。
でもその一方で、社会教育主事という資格を取るためのお勉強もしていました。(理由は教育の勉強したかっただけなんだけども)

その資

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「自分じゃない」がどれだけ楽なのか。

「自分じゃない」がどれだけ楽なのか。

今日はゆるく書くターンです。
(言うて、いつもゆるいのはわかってる。)

私は昔から想像力が豊かな人間だったように思います。
そして何者かであることに安心感を覚えてみたり、自分じゃない誰かになることで嫌なことを忘れてみたり、自分じゃない世界に入り浸ってみたり。

ある種の逃避行動であり、「自分じゃない」が1つの「私が存在する」っていうことの証明だったように思います。

好かれる人間になりたくて「○

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「何も知らないくせに」が生きづらさと向き合うキッカケ。#私なりの生きづらさ論

「何も知らないくせに」が生きづらさと向き合うキッカケ。#私なりの生きづらさ論

昔の私は兎に角トゲトゲしていたと思う。
それは人の温もりをわすれた捨て犬みたいな感じ。

当時大人に向けて放った言葉、周りの人に思っていたことは
「誰も私のこと、何も知らないくせに。」
もう捨ててしまったけど、たくさんノートに書き殴った記憶がある。

今思うと、「誰も私のこと、何も知らないくせに。」という誰もは、自分自身も含まれていたんじゃないかなって思ったりもする。

不登校とか引きこもりとかに

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肩書きがなきゃ「生きづらい」って言えないなんておかしいよな。

肩書きがなきゃ「生きづらい」って言えないなんておかしいよな。

なんで「何か理由」「肩書き」がなきゃ、「生きづらい」って言えないどころか認めてすらもらえないのだろう。

そもそも「生きづらい」って大小があるものなの?

どうして「あなたの生きづらさは大したことない」って言えるんだろう。

私が「生きづらさ」というものにアプローチしたいと思ったきっかけです。

今回は肩書きのない「生きづらさ」について。

「元不登校」「引きこもり」に甘えてた学生時代私が抱えてい

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