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特性のある子どもの育児と就労事情〜直接対面的な交わりの中で育まれる経済感覚〜

ごあいさつ

この度は記事に目をとめていただきありがとうございます。※ASD※ADHDの我が子たちと週2回のホームスクールを実践、奮闘する母親です。
小学生の男の子と女の子を養育していますが、
記事の考察は自分自身の育児体験から記しています。

①情緒、②肢体不自由、③知的 中でカテゴライズするならば、2人とも情緒面で配慮が必要な子ども達です。環境的要因より遺伝的要因が多く割合を占めるため、気長にお付き合いするように努めています。

今年は家族の支えと職場の理解に恵まれ、筆者自身の仕事も週2回に抑えることができました。
人格形成の大切な時期に、子ども達に寄り添う時間が与えられていることに改めて感謝しています。

『我が子の温もり』
画 米光智恵
※ASDの子どもさんに見られる感覚特性
感覚がとても敏感で、生活に大きな不便があることを「感覚過敏」と言います。例えば、聴覚過敏で特定の音がものすごく苦手、触覚過敏で特定の肌触りの服は絶対に着れない、視覚過敏で明るい屋外をとてもまぶしくかんじるなど。
反対に、とても鈍感で不便があることもあり、「感覚鈍麻[どんま]」と言います。
※ADHDとは簡単に?
ADHDとは、年齢あるいは発達に比べて注意力が足りない、衝動的で落ち着きがないといった特性があるために日常生活に支障をきたしている状態のことです。医学的には“注意欠如・多動症”とも呼ばれます。

ADHDは7歳よりも前にみられ始めますが、これは大人になっても続く傾向にあります。はっきりした原因は分かっていませんが、脳の成長に偏(かたよ)りがあることが関係していると考えられています。

『育児と就労、親子の心身症についての考察』

ASD(感覚過敏)や※起立性調節障害などの特性が認知され始めた昨今、育児と教育のスタイルは各家庭で自由にコーディネートできるようになりました。ただし、自由には責任が伴うため、独自で家庭教師や通信教育、放課後デイサービスなどの福祉サービスを併用し、皆さま工夫されているようです。

※起立性調節障害
自律神経系の異常で循環器系の調節がうまくいかなくなる疾患


ほんの数年前まで「不適応」「不登校」と呼ばれていた子どもたち。彼らに本来備わっているタレントが重要視され始め、「ギフテッド」「アンスクール(学校に行かない選択)」「ホームスクール」といったポジティブな言葉に変換され始めています。

『甘えたいお年頃』
画 米光智恵



しかしながら、社会での特性理解が得られ、
学びの多様性が唱えられている一方で、
現在、各家庭の課題となっているのは保護者の
就労です。子どもが成人した後の就労より先に立つのは保護者(とりわけ女性)の就労です。
つまりこの2つはセットとなります。

療育施設や支援学級に通う子どもたちには
行政からの経済的支援が確かにありますが、

実際に通院治療にかかる費用やセラピーには、
耐性がある子ども達の倍、家庭経済を圧迫します。
筆者を含め、隙間時間を見つけて働く親御さんも沢山おられますが、子どもさんが心身症によるパニックや自傷、他害、発作を起こした際にはすぐに現場に駆けつけなければなりません。

こういった事例が重なることにより、
一度社会復帰を目指しても、結局「親の代わりはいない。」と悟り、子どもさんが成人するまで親御さんの就労は困難となります。

『おしごと』
画 米光智恵



ついには、「親の代わり」を探す過程で親御さん自身が心身を削り、親子ともに家庭で引きこもってしまうケースは少なくありません。
(これはかつての筆者の状態です。)

家庭の経済が破綻する前に、家庭自体が破綻してしまうのです。多くの場合、支えてくださるパートナーが居ない、または居たとしても単身赴任であったり、「育児は母親がすべきものである。」といった古い父親像の無関心な態度により、家庭の機能を失っていきます。

『母と娘』
画 米光智恵

『情報過多時代に潜むお金の罠について』

ここまで追い詰められた保護者が向かう先は
2つを例に挙げるならば、〝投資〟〝開業〟という
マインドです。

「お金さえ有れば、この子を悠々と育てられるはず。」

がんじがらめ状態に陥った先の甘い誘惑は

〝お家にいながら好きな時間に儲ける。〟
〝副収入を得る〟


というキャッチコピーです。

手軽に情報を収集できるスマートフォン。
目にする広告の大半は〝投資〟と〝お金儲け〟です。

たとえ堅実な投資と謳っていても、
その先には笑っている人と泣く人の両方が
同時に存在することには代わりありません。

お金について真面目に考え、国を建設してきた
ユダヤ人の思想を讃える投資家はネット上に沢山
存在します。迫害と偏見の歴史は常に経済とセットで、お金と神との関係を彼らの思想から学ぶことができます。どれだけ知恵を駆使しても、自分から手を伸ばすお金は昔からトラブルをもたらしてきました。

2000年以上も前からベストセラーである聖書
そのお金の用い方と、人が陥りやすい実話が教訓として記されています。ここでは福音について触れることはしませんが、「人の考えに絶対はない。」という先人たちの言葉は今も昔も変わることがありません。完成までに1500年を有した鍛え上げられた歴史の書に確かに記されています。

カリスマ性のある人、生産性のある人、
フォロワー数や、いいね数の多い人、
地位や名誉、資格といったスタンプを沢山持っている人たち。

可視化できるモノの利益にあやかりたいという野心は、知らず知らずのうちに心の平安を蝕んでいきます。心配という土台の上に新たな心配を築いているのです。

『葛藤と悲しみ』
画 米光智恵


『直接対面的な交わりにシフトする』

コロナ禍における不安材料の量産。
それらは経済不安を筆頭に、私たちの直接対面的な人と人との交わりを遮断しました。

五感、或いはそれらの内いずれかの感覚で感じる〝人の温かさ〟に触れた時、自然と経済への不安は払拭されていきます。人と会う機会が増えると、
不思議と自分にあった仕事に出会います。

〝好き〟を仕事にするタイプの方
〝好き〟は趣味で、仕事は効率よくを求める方


どちらのタイプでも、大切な友人や知人が繋げてくれた仕事の収入は、決して多くなくても心が貧しくなることがありません。それを3年続けると、親子の心の自立を迎えます。そして、心の自立と同時に経済的自立を迎えます。

画 米光智恵『出会い』


共同体(コミュニティ)とは不思議なもので、
家族とまでは成りませんが、

①孤独の解消と
②プラットフォーム 

を提供してくれます。〝プラットフォーム〟は英訳すると「舞台」です。生きる上でどの舞台に足を置くか、選ぶことができるのです。
ただ、高額な入会金やお布施、献金で人を価値づける施設はプラットフォーム「舞台」とは言えないかもしれません。なぜなら、お金ありきで繋がれた舞台は長く上演できないからです。

画 米光智恵『道〜これからの私』

人が古くから大切にしてきた〝地域〟というものにフォーカスすれば、人生のプラットフォームを見つけることはとても簡単だと筆者は感じています。
例えば、いつも地域で見かけるおじいちゃん、おばあちゃん。実はこの方々は最高のケースワーカーです。続いて、近所の子どもたちは究極のセラピストです。

朝ゴミを出す際、掃除をしてくださっているご婦人。

「いつもありがとうございます。」  

そのたった一言の挨拶から広がる対話。
マンションのお庭に咲くお花を愛でるご婦人の無言の行いから、またその背中から学ぶことが沢山あります。

お花大好きばあば ちずこさんのお花レッスン
ホームスクールの1場面より


夕方、玄関先で

「おばちゃん、鬼ごっこしよ?」

といつも誘ってくれる女の子。
この子の手を握るととても温かく、
さっきまでの悩みは何処へやら。

画 米光智恵『元気な女の子』



学校前の守衛のおじいちゃん。

「お母ちゃん、いつも頑張っとるな!」 

その声かけがうれしくて、広がる会話。
おじいちゃんの若い頃の世界旅行の話を聞き、
朝から世界一周旅行した気分に。

画 米光智恵『支援学校 登下校の親子さん』
西宮市教育委員会人権挿絵



週末、近所の散歩コースで
ベンチに座り文章を綴る男性。

「ぼくは〝お芋の家族〟の絵本を作りたいなぁって思っていてね。この辺りはね、あるフランスの片田舎に似ていて、音楽仲間が集って演奏もするんですよ。」

ほうら、ここにも芸術家が居ました。

ハッピーファーム 松本真治さんのお店の前で



「愛はいつでも旬の果物で、誰の手にも届く所にあるのです。」                      
                                           マザー・テレサ


簡単に手が届く交わりは地域にあります。
それはお金をかけて得るものではなく、
人が生きていくために無償で与えられるべき
ものだと気づかせてくれます。


                 米光智恵

画 米光智恵『hands』


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