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朝起きぬけにコーヒーを入れて次にすべきこと。

まだ夢冷めやらぬうちに、本を開く


最近になって発見したことがある。それは、朝、夢冷めやらぬうちにすべきことがある、ということである。
ベッドから身を起こして部屋を出て階段を降り、トイレをすまし、台所に入ると、まずヤカンに水を入れ、コンロにかける。その間にドリップの用意をし、湯がわいたらポットに移し、残った湯でコーヒーを入れる。そのカップを持って二階に上がり、デスク代わりの長テーブルに就いて、一口すする。
そして、まだ明けやらぬ頭に広がるイメージを野放しにする。まだテレビもつけず、パソコンも立ち上げず、新聞も見ていない、白紙の状態で広がるイメージとしては、さっきまで見た夢の続きか、昨日読んだ本の内容か、本日の予定かくらいしかない。しかし、この状態がとても貴重なのである。

ぼくが基本にしているのは、ひととおり思いを巡らせた後は、すぐさま読みたい本を開いて読み始めるという行為になっていく。起き抜けの頭に、文章がスムーズに入ってくるから、この雑念が入りにくい静かな時間はとても貴重だ。思考の態勢へすぐに離陸することができ、集中できるからスピードも速く、吸収力も高い。

パソコンで夢の世界をメモする


また、脳みそが飛び散って夢が消えかけないうちに書き残しておきたいときには、コーヒーを飲みながら、さっそくパソコンを立ち上げる。まだうすぼんやりと残るイメージを書きのこしておくソフトランディングのためにはちょうどいい。

さっきまで見ていた夢を思い出し、余韻を味わいつつ、そのイメージやストーリーの中に、お告げや啓示はないか、行動や会話のシーンに、小説に使えるネタはないか、などを確かめる。夢は自分の記憶を反映したイメージを再生成したものであるというような話を聞いた気がするから、ひょっとしてこれも自分の内面の表れとして、自問するのも有効ではないかと考えたりもする。どうってことないストーリーだとしても、何か幸せな印象が残っていたりすると、夢の中のどういう部分がそういった印象に結びついたのだろうかと探ったりする。そういう考えるネタを提供してくれたり、ヒントを得ることができるのも夢のありがたいところなのだ。

ぼくは、夢の断片から、エッセイ的な文章を書き起こし、それを小説にできないかと企画につなげたりもする。仕事がうまく行かず、暇な時間を活用しようと、EXELを使って競馬予想シミュレーションを真剣に作ったりしたが、テストするうちに借金がかさみ、生活苦に苛まれる日々の末に見た夢を書き残して、ホラーファンタジーにした経験があるから、すでに実績済みだ。

頭が自由に活動したつづきの時間を有効に


以前は、起き抜けのコーヒータイムには、すかさずパソコンを立ち上げ、メールやニュースをチェックしていたが、今はせっかくの頭がピュアなひと時を有効に使おうと思うようになった。それから始めた新習慣で得たのは、かつてなかった感覚だ。寝ぼけた頭に文字や文章が素直に浸透していく感覚は、とても自然で無理がなく、うれしい発見だった。最近は、こころなしか読む本の厚さがどんどん厚くなってきているような気もする。




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