Chiaki Yoshihiro

私が見て、聞いて、感じて、考えた、小さな世界の記録。 内向的な根明だと思います。 …

Chiaki Yoshihiro

私が見て、聞いて、感じて、考えた、小さな世界の記録。 内向的な根明だと思います。 喫茶ラムピリカという喫茶店の店長をしています。

最近の記事

自分に還る旅

中学時代に、一番一緒に、たくさん遊んだ友人二人が、昨日湘南に遊びに来てくれた。 喫茶店を貸切にして、3人で話して話して。 あまりにも楽しい時間が一瞬で過ぎた。 時計は、6時間以上が経過したことを示していた。 先月末、小学校の同窓会が千葉県船橋市で開かれた。 誘いを受けた時、 「行かなくていいや、何を話したらいいのかわからないし」 と思った。 でも、ひとり、熱心に誘い続けてくれる友人がいたので、 「なんでもかんでも、体験できるのは生きているうちかもな。」 と思い直して、【試

    • サイタマノラッパー

      「サイタマノラッパー」という映画をみた。 映画マニアの方々から、かなりの高評価ということで。 かなり期待して、観た。 上映時間、約1時間40分。 終わったあとの感想は、 「長かった・・」 「よさがあまり、わからなかった」 だった。 ラスト5分ほどのシーンで繰り広げられた、主人公によるラップは、よかった。ラップが始まったとき、この映画の中で初めて、「いいぞ、いいぞ」と思えた。 だけど、それもどこか、力のなさ。 行き場のなさ。惜しさ、のようなものを感じて。 なんだろ

      • よく生きてる

        なんだか最近、「今日、自分が生きていること」が、奇跡みたいに思えるのだ。 生きていることが嬉しい、とかじゃなく。 綺麗ごと抜きの、強い実感として、「よく生きてるな」と。 草花の輝きが、雲の移ろいが、好きな人たちの呼吸が、しみじみと喜びとして、沁み込んでくる。 同時に、過去や現在進行形で鬱を患っている(患っていた)友人たちに、たまに会ったりすることがあると、それだけでもう、泣きそうになる。 よく生きてる。 よく生きてきた。 明日も生きていて欲しい。 でも、明日も生きていた

        • 6月

          ぼんやりと過ごしていても、時間は過ぎるし。 あれこれやりたいことをやりまくっていても、時間は過ぎる。 どちらの過ぎ方も、意外と同じくらい気に入っている。 冬を越え、春を迎え、梅雨をすっ飛ばし、あっという間に夏に片足つっこんだ感がある。 ここ数ヶ月はずっと、「ぼんやり味(み)」の強い時間を過ごしてきた。 5月最後の日に、なぜだかめずらしく、 「6月は、やりたいことをたくさんやる月にしよう」 そんな想いが湧いてきた。 若干の「躁」感が否めないけれど、「躁かもしれない、大丈

        自分に還る旅

          9周年です。

          「1月中は休む」と決めていたものの、こんなに完璧に休むことになるとは思わなかった。 休んだ理由は、風邪。長引いている。 旅行でも行こうかと思っていたのに。 山登りでも行こうかと思っていたのに。 「風邪のおかげで」 全くどこにも行かなかった。 代わりに、「得たもの」は大きかった。 大きな大きな、余白の時間。 静かで愛おしい、日常の時間。 自分の現在地を確認して、自分の今の願い、これからの願いを確認するには、もってこいの時間になった。 今週初め、やっと風邪が治ってきた

          9周年です。

          声と、身体と、生きていること

          空が澄んできて、外気が鼻先を冷たくする。 冬が深まってきたと感じる。 「ねむい」と言う回数が増えた。 予定がなければ、永遠に布団の中にこもっていられそうだ。 衣擦れの音と、体温の反射による蓄熱。 心を自分の内側に向けるには、とてもいい季節だ。 なんとなく、冬に充分こもっておくからこそ、夏の躍動がより弾けるような気がしている。 自分の本来の歩き方。 自分の本来の声。 そういうものに、集中して耳を傾ける時間が、ここ数年、しっかりと取れていて、ありがたいことだと感じる。 歩

          声と、身体と、生きていること

          いい塩梅

          アイヌ語の「ラムピリカ」には、「美しい心」のほかに、「いい塩梅」「自然美」などといった意味もあるらしい。 「美しい心」の意味も素敵だけど、「いい塩梅」「自然美」もすごくいいなと思って、それで喫茶店の名前を「喫茶ラムピリカ」に決めた。 年が明けたらすぐに、開業9年目になる。 「気づいたら、大変に『いい塩梅』の喫茶店になっていたな」と。 先ほど、12月のスケジュールを組み立てながら、思った。 自分にとっての、『とてもとても、いい塩梅』。 週2回の、喫茶開店。 それに合

          満月ダイアローグを終えて(1)

          10月の満月の夜。 舞踊家の友人が踊り、私が音楽を奏で。 お客さんたちはその表現を受けて、自分の中から生まれ出てきたものを、絵や言葉で表す・・・ そんな集いを、喫茶店で開いた。 未知の領域。 恐る恐る飛び込んでみた。 失敗してもいいからと。 精一杯やったつもりだ。 毎日のギター練習で、左手の指先は皮が分厚くなって、タッチパネルがうまく反応しなくなった。 人差し指の第二関節の横も、硬過ぎて、感触がない。 発声の反復練習で、身体の真ん中を通る音は、これまで体験したこ

          満月ダイアローグを終えて(1)

          満月ダイアローグがうまれたわけ

          自分の真ん中を、表現を、自分そのものを、人前に出すのは怖い。 ほんとうに怖くて、自分で自分に「どうかしてる」と思うことがある。 身体の勉強で1年半前から師事している先生が、「【声】には、その人の全てが顕われる」と、つい先日話してくれた。  声と音で表現をするーー自分の真ん中、一番繊細で柔くて傷つきやすい部分。すべてが顕われる部分を、人前に晒すなんて、どうかしてる。 でもそんなふうに思ったあとで、いつも思い出す。「大丈夫。真ん中の真ん中、ほんとうに一番大事な場所は、決し

          満月ダイアローグがうまれたわけ

          満月ダイアローグについて

          音楽でも、舞踊でも、演劇でも。 「Live」 が好きだ。 だけど、いま自分が主催するなら。 ただの「 Live 」をやる気にはならない。 素晴らしい Live が、世界中にすでに山ほどあることが、わかっているから。 では、いまあえて、自分がなにか主催するとしたら。 【 演者 → 観客 】 この、表現の一方通行の定型を、壊してみたいと思う。 そして両者の間にあった垣根を、完全に溶かしてみたい。 【 演者 → 観客 → 演者 → 観客 → 演者 → ♾️

          満月ダイアローグについて

          臨時休業日記

          本当にやりたいこと。 惰性で続けていること。 見極めようとしたところで、多分、人間の考えること、感じることは毎瞬間変わり得るもので。 もしかしたら、あまり意味はないのかも。 ただ、大きな指針・・・向かっているところ。 そして、自分が今立っているところ。 このくらいは、いつも確認しておきたい。わかっておきたい。 そんな願いがある。 だから毎朝、神棚の前で手を合わせる。 神様のために祈るのではなく、自分のために祈る。 私の願いは、いつの時代もほんとうは、とてもシンプルな

          臨時休業日記

          オープン・ダイアローグで初めて泣いた話

          7月のオープン・ダイアローグ。1回目。 先日、満員御礼にて終了した。 まきさん( https://www.instagram.com/taiwano_maki/ )と、と由美子さんによる、とても丁寧なナビゲートのおかげで 緩みすぎてしまったのか、会の途中、思わぬところで古い感情が溢れ出して止まらなくて、泣いてしまった。 もう6〜7回目くらいの参加。 オープン・ダイアローグで泣いたのは初めてのことだった。 泣いている自分に、自分が一番びっくりした。 これまでの会でも、

          オープン・ダイアローグで初めて泣いた話

          なぜ喫茶店で、『オープン・ダイアローグ』を開催するのか?

          「なぜ、喫茶店で、『オープン・ダイアローグ』を開催するのか?」     この問いに対しては、「たまたまご縁があった」 という回答が最も適切だ。      わたし自身が、「オープン・ダイアローグ」のようなコンテンツを探していたわけでもなければ、必要しているわけでもなかった。     ただ、オープン・ダイアローグは、   「私が何もしなくても、不思議と  喫茶店に定期的にやってくる」   そんなコンテンツだった。         ✴︎ ✴︎ ✴︎     今月は、 オープン・ダ

          なぜ喫茶店で、『オープン・ダイアローグ』を開催するのか?

          日々

          日常の中で、扱う情報が増えてくると、いよいよ日記を開きたくなる。 あえて立ち止まって、言葉に表したくなる。 言葉を使って整理整頓して、すっきりと前に進みたいんだろう。 だから、文章を書くことで自分の中では満足感があったとしても、読む人にとって「いい文章」かどうかは、わからない。 ただ、心からの言葉を話しているから、誰かの心には届くのかもしれない。 早朝に起きて、ほぼ毎朝、犬の散歩に行く。 この季節、去年はロードバイクで、明け方の無人の街を走り回るのが好きだった。 だけど

          雨と喫茶店

          「今日は、誰も来ないでほしいな」 喫茶店を開いていて、そんなことを思ってしまう日がある。 そして今日が、その日。 朝7時開店。 1時間ほどが過ぎて、今。 私の願いは現状、叶い続けている。 昨晩からの、警報を伴うほどの大雨はピークを通り越した。 今は雨水が、屋根や窓をパタパタと打つ音が時々聴こえてくるくらいだ。 こんな日は、静かな静かな音楽を流しておきたい。 だけどアンビエントなんかは、狙いがはっきりしているからなのか、逆にうるさいと感じてしまってだめだ。 静かな日常

          雨と喫茶店

          肺の在処

          2ヶ月に一度くらい。 煙草を吸いたくなり、吸う。 1本だけ。もしくは、多くても2本。 そんなペースなので、一箱買うと、一年は持つ。 銘柄は「American Spirit」一択。 他のも色々試したけれど、不味くてダメだった。 我が家のベランダの目の前には、建物が何もなくて、空だけが大きく広がっている。 ベランダにある、エアコンの室外機の上に座って、煙草の先に火を点ける。 深く吸い込むと、穂先が赤く光る。 ゆっくり吐き出すと、目の前の大きな空。 ゆっくり流れる雲と、そこ