Chiaki Yoshihiro

私が見て、聞いて、感じて、考えた、小さな世界の記録。 内向的な根明だと思います。 …

Chiaki Yoshihiro

私が見て、聞いて、感じて、考えた、小さな世界の記録。 内向的な根明だと思います。 喫茶ラムピリカという喫茶店の店長をしています。

最近の記事

6月、振り返り

6月が始まる頃、ブログを書いた。 6月にやりたいことを、書き出してみたのだけど。 書き出した、と思ったら、家族のことで、想定外の出来事が次々起きて。 駆け抜けた。あっという間に、濃ゆい6月が過ぎた。 気づけば7月中旬まで来ている。 6月にやりたかったこと ・喫茶店のパンケーキメニュー更新   → できなかった😢 ・ブログ更新(最低でも週1回)  → 週一はだめだったけど、6月中に一応4本記事を上げたから、ギリギリOK・・・?(いやだめだろう) ・ロードバイクで合

    • 自分に還る旅

      中学時代に、一番一緒に、たくさん遊んだ友人二人が、昨日湘南に遊びに来てくれた。 喫茶店を貸切にして、3人で話して話して。 あまりにも楽しい時間が一瞬で過ぎた。 時計は、6時間以上が経過したことを示していた。 先月末、小学校の同窓会が千葉県船橋市で開かれた。 誘いを受けた時、 「行かなくていいや、何を話したらいいのかわからないし」 と思った。 でも、ひとり、熱心に誘い続けてくれる友人がいたので、 「なんでもかんでも、体験できるのは生きているうちかもな。」 と思い直して、【試

      • サイタマノラッパー

        「サイタマノラッパー」という映画をみた。 映画マニアの方々から、かなりの高評価ということで。 かなり期待して、観た。 上映時間、約1時間40分。 終わったあとの感想は、 「長かった・・」 「よさがあまり、わからなかった」 だった。 ラスト5分ほどのシーンで繰り広げられた、主人公によるラップは、よかった。ラップが始まったとき、この映画の中で初めて、「いいぞ、いいぞ」と思えた。 だけど、それもどこか、力のなさ。 行き場のなさ。惜しさ、のようなものを感じて。 なんだろ

        • よく生きてる

          なんだか最近、「今日、自分が生きていること」が、奇跡みたいに思えるのだ。 生きていることが嬉しい、とかじゃなく。 綺麗ごと抜きの、強い実感として、「よく生きてるな」と。 草花の輝きが、雲の移ろいが、好きな人たちの呼吸が、しみじみと喜びとして、沁み込んでくる。 同時に、過去や現在進行形で鬱を患っている(患っていた)友人たちに、たまに会ったりすることがあると、それだけでもう、泣きそうになる。 よく生きてる。 よく生きてきた。 明日も生きていて欲しい。 でも、明日も生きていた

        6月、振り返り

          6月

          ぼんやりと過ごしていても、時間は過ぎるし。 あれこれやりたいことをやりまくっていても、時間は過ぎる。 どちらの過ぎ方も、意外と同じくらい気に入っている。 冬を越え、春を迎え、梅雨をすっ飛ばし、あっという間に夏に片足つっこんだ感がある。 ここ数ヶ月はずっと、「ぼんやり味(み)」の強い時間を過ごしてきた。 5月最後の日に、なぜだかめずらしく、 「6月は、やりたいことをたくさんやる月にしよう」 そんな想いが湧いてきた。 若干の「躁」感が否めないけれど、「躁かもしれない、大丈

          9周年です。

          「1月中は休む」と決めていたものの、こんなに完璧に休むことになるとは思わなかった。 休んだ理由は、風邪。長引いている。 旅行でも行こうかと思っていたのに。 山登りでも行こうかと思っていたのに。 「風邪のおかげで」 全くどこにも行かなかった。 代わりに、「得たもの」は大きかった。 大きな大きな、余白の時間。 静かで愛おしい、日常の時間。 自分の現在地を確認して、自分の今の願い、これからの願いを確認するには、もってこいの時間になった。 今週初め、やっと風邪が治ってきた

          9周年です。

          声と、身体と、生きていること

          空が澄んできて、外気が鼻先を冷たくする。 冬が深まってきたと感じる。 「ねむい」と言う回数が増えた。 予定がなければ、永遠に布団の中にこもっていられそうだ。 衣擦れの音と、体温の反射による蓄熱。 心を自分の内側に向けるには、とてもいい季節だ。 なんとなく、冬に充分こもっておくからこそ、夏の躍動がより弾けるような気がしている。 自分の本来の歩き方。 自分の本来の声。 そういうものに、集中して耳を傾ける時間が、ここ数年、しっかりと取れていて、ありがたいことだと感じる。 歩

          声と、身体と、生きていること

          いい塩梅

          アイヌ語の「ラムピリカ」には、「美しい心」のほかに、「いい塩梅」「自然美」などといった意味もあるらしい。 「美しい心」の意味も素敵だけど、「いい塩梅」「自然美」もすごくいいなと思って、それで喫茶店の名前を「喫茶ラムピリカ」に決めた。 年が明けたらすぐに、開業9年目になる。 「気づいたら、大変に『いい塩梅』の喫茶店になっていたな」と。 先ほど、12月のスケジュールを組み立てながら、思った。 自分にとっての、『とてもとても、いい塩梅』。 週2回の、喫茶開店。 それに合

          満月ダイアローグを終えて(1)

          10月の満月の夜。 舞踊家の友人が踊り、私が音楽を奏で。 お客さんたちはその表現を受けて、自分の中から生まれ出てきたものを、絵や言葉で表す・・・ そんな集いを、喫茶店で開いた。 未知の領域。 恐る恐る飛び込んでみた。 失敗してもいいからと。 精一杯やったつもりだ。 毎日のギター練習で、左手の指先は皮が分厚くなって、タッチパネルがうまく反応しなくなった。 人差し指の第二関節の横も、硬過ぎて、感触がない。 発声の反復練習で、身体の真ん中を通る音は、これまで体験したこ

          満月ダイアローグを終えて(1)

          満月ダイアローグがうまれたわけ

          自分の真ん中を、表現を、自分そのものを、人前に出すのは怖い。 ほんとうに怖くて、自分で自分に「どうかしてる」と思うことがある。 身体の勉強で1年半前から師事している先生が、「【声】には、その人の全てが顕われる」と、つい先日話してくれた。  声と音で表現をするーー自分の真ん中、一番繊細で柔くて傷つきやすい部分。すべてが顕われる部分を、人前に晒すなんて、どうかしてる。 でもそんなふうに思ったあとで、いつも思い出す。「大丈夫。真ん中の真ん中、ほんとうに一番大事な場所は、決し

          満月ダイアローグがうまれたわけ

          満月ダイアローグについて

          音楽でも、舞踊でも、演劇でも。 「Live」 が好きだ。 だけど、いま自分が主催するなら。 ただの「 Live 」をやる気にはならない。 素晴らしい Live が、世界中にすでに山ほどあることが、わかっているから。 では、いまあえて、自分がなにか主催するとしたら。 【 演者 → 観客 】 この、表現の一方通行の定型を、壊してみたいと思う。 そして両者の間にあった垣根を、完全に溶かしてみたい。 【 演者 → 観客 → 演者 → 観客 → 演者 → ♾️

          満月ダイアローグについて

          臨時休業日記

          本当にやりたいこと。 惰性で続けていること。 見極めようとしたところで、多分、人間の考えること、感じることは毎瞬間変わり得るもので。 もしかしたら、あまり意味はないのかも。 ただ、大きな指針・・・向かっているところ。 そして、自分が今立っているところ。 このくらいは、いつも確認しておきたい。わかっておきたい。 そんな願いがある。 だから毎朝、神棚の前で手を合わせる。 神様のために祈るのではなく、自分のために祈る。 私の願いは、いつの時代もほんとうは、とてもシンプルな

          臨時休業日記

          オープン・ダイアローグで初めて泣いた話

          7月のオープン・ダイアローグ。1回目。 先日、満員御礼にて終了した。 まきさん( https://www.instagram.com/taiwano_maki/ )と、と由美子さんによる、とても丁寧なナビゲートのおかげで 緩みすぎてしまったのか、会の途中、思わぬところで古い感情が溢れ出して止まらなくて、泣いてしまった。 もう6〜7回目くらいの参加。 オープン・ダイアローグで泣いたのは初めてのことだった。 泣いている自分に、自分が一番びっくりした。 これまでの会でも、

          オープン・ダイアローグで初めて泣いた話

          なぜ喫茶店で、『オープン・ダイアローグ』を開催するのか?

          「なぜ、喫茶店で、『オープン・ダイアローグ』を開催するのか?」     この問いに対しては、「たまたまご縁があった」 という回答が最も適切だ。      わたし自身が、「オープン・ダイアローグ」のようなコンテンツを探していたわけでもなければ、必要しているわけでもなかった。     ただ、オープン・ダイアローグは、   「私が何もしなくても、不思議と  喫茶店に定期的にやってくる」   そんなコンテンツだった。         ✴︎ ✴︎ ✴︎     今月は、 オープン・ダ

          なぜ喫茶店で、『オープン・ダイアローグ』を開催するのか?

          日々

          日常の中で、扱う情報が増えてくると、いよいよ日記を開きたくなる。 あえて立ち止まって、言葉に表したくなる。 言葉を使って整理整頓して、すっきりと前に進みたいんだろう。 だから、文章を書くことで自分の中では満足感があったとしても、読む人にとって「いい文章」かどうかは、わからない。 ただ、心からの言葉を話しているから、誰かの心には届くのかもしれない。 早朝に起きて、ほぼ毎朝、犬の散歩に行く。 この季節、去年はロードバイクで、明け方の無人の街を走り回るのが好きだった。 だけど

          雨と喫茶店

          「今日は、誰も来ないでほしいな」 喫茶店を開いていて、そんなことを思ってしまう日がある。 そして今日が、その日。 朝7時開店。 1時間ほどが過ぎて、今。 私の願いは現状、叶い続けている。 昨晩からの、警報を伴うほどの大雨はピークを通り越した。 今は雨水が、屋根や窓をパタパタと打つ音が時々聴こえてくるくらいだ。 こんな日は、静かな静かな音楽を流しておきたい。 だけどアンビエントなんかは、狙いがはっきりしているからなのか、逆にうるさいと感じてしまってだめだ。 静かな日常

          雨と喫茶店