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自分に還る旅

中学時代に、一番一緒に、たくさん遊んだ友人二人が、昨日湘南に遊びに来てくれた。
喫茶店を貸切にして、3人で話して話して。
あまりにも楽しい時間が一瞬で過ぎた。
時計は、6時間以上が経過したことを示していた。


先月末、小学校の同窓会が千葉県船橋市で開かれた。
誘いを受けた時、
「行かなくていいや、何を話したらいいのかわからないし」
と思った。

でも、ひとり、熱心に誘い続けてくれる友人がいたので、
「なんでもかんでも、体験できるのは生きているうちかもな。」
と思い直して、【試しに】参加してみた。

当日。一次会で帰るつもりだったのに、気づけば三軒目までご一緒させていただいた。このときの時間も、笑って喋って、一瞬で過ぎ去った。



子どもの頃の私をよく知ってくれている人たちとの時間は、とても楽しく、幸せだった。




【過去と再会する】
そんな機会がたまたま重なって、思い出したことがあった。

「私は、友達が、友達と過ごす時間が、ものすごく大好きな人間だった」

ということ。



自宅には、不穏な空気が流れていることがよくあった。家に居ることがあまり好きじゃなかった。
逆に学校は、とても楽しい場所だった。
勉強はさほど得意でないにしろ、毎日身体を動かした。
友達と喋って、汗をかいて遊んで、絵を描いて見せ合って、掃除だって笑いながらやっていた。
この楽しい場所を、一日だって欠席したくないと思って通っていた。

いじめに遭っていたこともあったーーー 正確には、中学生の時に、一部の女子たちから無視されていた時期があったらしいのだけど、それ以上に仲のいい友達がたくさんいたから、いじめに気づくことができない。
そんな幸せ者だった。



だというのに、高校生〜30代は、「友達」に対して壁を作り続けた時代が続いた。
壁が生まれるきっかけは、中学卒業前に、親から「家族以外信じるな」「お前は本当はいじめに遭っている、気づいてないみたいだけど」「本当は嫌われている」そんなことを言われたことだった。

アホに素直だったので、そして親のことを信頼していたので、とてもとても悲しかったけど、親の言うことを信じた。それからは、「友達と過ごす時間を心から楽しむ」ということが、難しくなってしまった。


親が、どんなつもりで私にその話をしたのかは、測りかねるけど。
私は、親が思う以上に臆病だったんだと思う。
「友達を信じてはいけない」
「私は、嫌われやすい」
そう信じる時代が続いた。



10年以上前に鬱病を患った時、
「自分の心からの言葉を伝えてもいいんだ」
と思える、同じく鬱を患う友人が何人かできた。

その後、喫茶店を開いて、自分の表現を続けていく中で、私を信頼してくれる人たちに出逢った。
「全投げで信頼したい」と思える、素敵な友達が何人もできた。

世界が少しずつ開けて、人に対する壁が少しずつ崩壊していった。

【親に何を言われようと、誰に何を教わろうと、結局のところ、自分の世界は、自分で創っていくしかない】
ということを、これ以上ないほどに思い知った。



高校生から30代の時間が、無駄なものだったとは思わない。
友達と過ごすことを楽しめなかった時間を、返して欲しいとも思わない。

寂しくて不安だった、長い長い時間のなかで、私がこの人生で学びたかったことが、詰まっていたと思うからだ。

「ひとりきりの場所」を、これ以上ないほど味わった。

むしろ、「ひとりきりの場所」があるとわかったからこそ、安心して「元の場所」に帰っていけたとも言える。

全部全部、ほんとうにぜんぶ。
私が、体験したかったこと、なんだなと思う。



今、思うことは、「自分に還れて、ほんとうによかったな」ってことだ。

本当は単純だ。ものすごく単純だ。
楽しいことが、笑うことが、一緒に笑ってくれる人たちが、大好きだ。

世界は、「生まれ育った家族しか信じちゃいけない」ような、怖い場所では、全くなかった。

大好きなものを、大好きなひとを、
「大好きだ」って言っていい場所だった。


久しぶりに会った小学校の同級生や、中学からの友人に、

「あなたが、変わらずあなたのままで居てくれて嬉しい」

と言われたことが、本当に嬉しかった。


「変わらずに居たんじゃなくて、いろんなところを歩いて歩いて、歩きまくった末に、今やっと、一番大事な場所に、やっと戻って来れたんだよ」

友人たちに、そう伝えたかったけど、なんと伝えたらいいのやら。

嬉しくてただ笑うしかなかった。



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