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雨と喫茶店

「今日は、誰も来ないでほしいな」

喫茶店を開いていて、そんなことを思ってしまう日がある。
そして今日が、その日。

朝7時開店。
1時間ほどが過ぎて、今。
私の願いは現状、叶い続けている。



昨晩からの、警報を伴うほどの大雨はピークを通り越した。
今は雨水が、屋根や窓をパタパタと打つ音が時々聴こえてくるくらいだ。

こんな日は、静かな静かな音楽を流しておきたい。
だけどアンビエントなんかは、狙いがはっきりしているからなのか、逆にうるさいと感じてしまってだめだ。

静かな日常から大切に濾過されてきたような、そんな音楽がいい。


「誰もきてほしくない」

そう思っていても、もし誰か来てくれたら、結局は精一杯のおもてなしをして、そうしているうちに元気になっているんだろうな、とは思う。

結局のところ、人は人に「自分」を与えることで、活力を循環させるのだ。


だけどそれでも。わかってはいても。
今日はできる限り、このままがいい。


今日、元気になれない原因はなんとなくわかっている。

一昨日、昨日と、深いところの感情が揺り動かされる出来事がいくつか続いた。まだまだ続く余震で、自分の中が揺れているんだと思う。

ほぼ毎朝、三点倒立をしてから一日を始めているのだけど、今日はやる気が起きない。というか、今日は逆立ちをしても、バランスが取れなくてひっくり返ってしまうんだろうなと予測できる。


自分のことを、器用なところがあると思っている。
機転がきくところがあると思っている。

だけどその一方で、不器用で不便だなとも思っている。
揺れを適当に誤魔化すことができない。
誤魔化しても、あまりいいことがないと感じている。
機転を発揮する気がない。

自分の中に起きた、どんな波も、しっかり味わっておこうとする趣味・・・と言ったらよいのやら、なんなのやら。

味わう間は、そりゃ楽しくはないし、辛い。

だけどしっかり味わった後には、必ず何かが癒しに向かう。解放に向かう。
洗い流されて、空が晴れ渡る瞬間が、必ず訪れるのだ。
だからその瞬間まで、じっと息を潜めている。

この時間は、多分、結果的には自分を、揺れに対して強くしなやかにしてくれている気もする。必要だとわかっているから、やってるんだと思う。


つらつらと書いているうちに、今日最初のお客さんがやってきた。
今日のような私でも、私のままでいられる、来てくれて嬉しいお客さんだった。

丁寧に朝ごはんを準備して、お出しした。
喜んでいただけいているみたいだ。


自分に少し、元気が出たのはわかる。
だけどそれとは別の場所で、まだ心が沈黙しているのがわかる。

雨がまた激しくなってきた。

焦らず、今日はゆっくり。このまま、このまま。
喫茶店を鳴らす雨の音が、このままの身に沁みてくる。

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