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臨時休業日記

本当にやりたいこと。
惰性で続けていること。

見極めようとしたところで、多分、人間の考えること、感じることは毎瞬間変わり得るもので。
もしかしたら、あまり意味はないのかも。

ただ、大きな指針・・・向かっているところ。
そして、自分が今立っているところ。
このくらいは、いつも確認しておきたい。わかっておきたい。

そんな願いがある。

だから毎朝、神棚の前で手を合わせる。
神様のために祈るのではなく、自分のために祈る。


私の願いは、いつの時代もほんとうは、とてもシンプルなんだと思う。

大切な人たちを、大切にしたい。
大切な人たちに、幸せでいてほしい。

たくさん楽しんでいたい。
たくさん笑っていたい。

どんな感情も、大切にしたい。
味わっていたい。

これらができるのは、みんなみんな、この身体がある、今のうち。




本当にやりたいこと。
惰性で続けていること。

喫茶店について、「これは自分のやりたいことではない」と思う時がある。
でも、そう思うこと以上に、
「喫茶店を開いて良かった。」「喫茶店の仕事が好きだ。」
そう思う時がたくさんたくさんある。


口からは、その時々でいろんな言葉が出る。
吟味して話していたいものだけど、つい、そのとき一緒にいる人の流れに合わせて、適当なことを話してしまうこともある。

そんな時は、後からちょっとだけ後悔する。

だけど、
「適当なこと、話してるな」
と、自分が理解していればいいと思いなおす。


私のことを、「こういう人だ」と断定しないままで一緒に居続けてくれる人たちは、とても優しい、ありがたい存在だと感じる。

私も、大切な人たちのことを、「こういう人だ」と断定しないままで居たい。


変わり続けることを喜びあえない関係は、過去に見事に、終わりを遂げてきたなと思い返す。

変わり続けることを喜びあえる関係が、今はいくつも存在することが、本当にありがたい。



私は、喫茶店の仕事が好きだ。
美味しいもの、心地よい場所を作って、人に喜んでもらうことがとても好きだ。
喫茶店で過ごして、元気になって帰っていく姿を見るのが好きだ。

美味しいものを見つける時間が好きだ。
珈琲の味わいの世界が、無限に世界中に広がっているのを見つけに行く時間が好きだ。

花瓶にさす草花が生き生きとして輝いているのをみるのが好きだ。
時間が経って、少しずつ頭を下に下げていき、潤いを失い、生命の終わりに近づいていくのをみるのは、少しだけ残念で、だけどその姿に感謝してさよならをする時間は好きだ。

来店するお客さんが、静かに本を読んでいる姿を見るのが好きだ。
子どもが揺り椅子に座って、絵本に集中しているのを見るのが好きだ。



だけど、喫茶店を毎日開くのは、好きじゃない。
情報を受け取りすぎてしまうから、なのかもしれない。


「好きな仕事」を、「好きな仕事」のままにしておくにも、ちょっとしたコツ・・・「自分自身への配慮」「自分にとってのいい塩梅を保つこと」などなどが必要らしい。


心地よく幸せなままに喫茶店を開けるのは、今は1週間に2回くらい。

喫茶店以外にも、私にはやりたいことがある。
そして何気に、ケータリングや貸切対応やケーキ製作などなど・・・開店以外にも、やることがたくさんある。
そういう意味でも、開店は週2ペースくらいがちょうどいいな、と、今感じている。



なぜこんなことを今更書きたくなったかって、多分原因は、今日の臨時休業だ。今日の開店を、とても楽しみにしていたのだけど、事情があって急に開けなくなった。


娘の急病という、開店するよりも圧倒的に優先順位の高いことが起きたから、当然の休業。
こういうことがあった時、娘の方にすぐに対応する選択ができる職業で、本当に良かったと思う。

だけどやっぱり、そのこととは別の場所で。
喫茶店を開けなかったことを、がっかりしている自分が居る。

昨日のうちに、一人で黙々と開店準備をして、その時間はとても幸せな時間だった。開店のお知らせを出して、「いくね」と連絡をくれていた人も何人かいた。


今回のような事態になったりすると、「やっぱり私、喫茶店の仕事、好きなのね」と再確認する。



でも、さっきも書いたけれど、この仕事を好きで居続けるにはやっぱりコツが必要で。


自分を大事にすること。
身近な大事な人たちを、大事にできていること。

「この二つを大事にできている自分がいる」

この事実が、自分の真ん中にある「ホーム」になって、それで安心して、「仕事」や他の好きな場所に、いつも出かけていけるんだと思う。


だからやっぱり、娘が急病なら、潔く休業にすることが最重要事項であることは、いうまでもない。

自営の喫茶店という、「安定」からは離れた場所にある職業だとしても、こういう時に自分の判断だけですぐに休業にできる仕事で、やっぱり本当に良かったと何度でも思う。
(OL時代や教員時代とは、子どもが急病の際のスピード感や精神的余裕など、比較にならない)


何度も思う。
ほんとうに大事にできるものは、そう多くはない。
大事にできる時間も、そう多くはない。

明日死んでも悔いのないように、大切なものを大切にして、今日も生きていきたい。



この文章を書くパソコンの向こう側に敷いた布団で、眠る娘の姿を眺めながら、そんなことを思う。

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