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2020.04.21 淡々東京ぐらし#16 東京駅のカルボナーラの思い出

必ずしも望んだことではないが、緊急事態宣言下の巣籠り生活もだんだんと堂に入ってきた。料理のレパートリーは順調に増えている。

週末に拵えるつくりおきのおかずの他に、パスタを頻繁に作っている。トマトソース系、オイル系、バター醤油系ときて、今週はクリームパスタ強化週間ということにした。というわけで今日はほうれん草とベーコンのクリームパスタ。生クリームは使わず、牛乳と小麦粉だけでクリームソースが作れる。

作っているばかりでは物足りなくなり、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』を再読したい気がしてくる。

上記『パスタでたどるイタリア史』の中に、ペレグリーノ=アルトゥージ著『La Scienza in cucina e l'Arte di Mangiar bene』(「料理の科学と美味しく食べる技法」といったところか)という料理本が紹介されている。1891年にイタリアで出版された。これが現代のイタリアでもベストセラーとして売れ続けているというから驚きだ。たまたま調べたら、今年の6月に、日本語翻訳が出ると知ってこれまた驚いた。(8800円!)

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パスタには少なからぬ思い出がある。

小学6年生のとき、クラスメートと一緒に作った壁新聞がコンクールで入賞して、その授賞式に出るために東京に行った。父に連れられて、人生初の東京である。

当時はまだ北陸新幹線が通っていない。富山県内からは、JR特急はくたかに乗って越後湯沢に出て、そこで上越新幹線に乗り換えて東京に行くのだ。(この接続ダイヤがあまりにも不親切で、たった7分間のうちに乗り換えを済ませなければならなかった。上越新幹線の自由席に乗り換えようものなら、もれなく乗り換え通路猛ダッシュの試練が待っている)

故郷の富山県は、三方を3000m級の山脈に囲まれた県である。平野部の街なかからでも、県境の立山連峰を毎日眺められた。(写真は富山市公式サイトのシティプロモーション・シビックプライドのページより

そんな地域から出てきたものだから、上越新幹線の窓から見える、見渡す限り何にもさえぎられていない関東平野に驚いた。県境には、高い山々が屏風のようにそびえているもんだとばかり思っていたから。

そのときはたしか2月で、薄曇りのしんしんと冷える富山を早朝に出発したのが、昼間の東京は陽光が降り注いで暖かく、着てきたセーターでは暑いくらいだった。授賞式が始まる前に、父と一緒に皇居周辺をのんびり歩き、大手町の巨大なビル群にはしゃいだ。

そしてなにより、わたしは、東京駅に着いてすぐ食べたお昼のパスタがいまだに忘れられない。東京駅の中の、今もあるかどうかわからないが、イタリアンのお店だった。

メニューを見ても、家で食べるレトルトソースのパスタで見かける味しかわからないから、とりあえずカルボナーラを選んだ。運ばれてきたカルボナーラは、家で食べるのとは全然違っていた。

ねとねとの濃厚なソースが麺に絡み、粉チーズがふんだんにかかって、麺の上には温泉卵まで乗っている。こんなに立体的で食べごたえのある食べ物だったっけ、パスタって? 子ども心に大いに驚いて、あれが「東京のカルボナーラ」なんだ、とずっと思っていた。

パスタはレトルトソースをかけるばかりでなく、自分で材料をそろえて具やソースを拵えていいこと、そうやって作ったパスタを東京駅のイタリアンじゃなくても食べられることを知るのは、ずっと後──なんなら、ここ最近になってからのことだ。

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わたしは今、三方を山脈に囲まれた北陸の小さな都市から、県境もかまわず広がり散らかす関東平野に移り住み、今や見えない疫病に覆われた町の隅っこで夜な夜なパスタをつくっている。

東京にいたってどこにも出かけられないなら、わたしが作るカルボナーラを「東京のカルボナーラ」にするのだ。今週はクリームパスタ強化週間。小学6年生の私よ、あなたはちょうど12年後、「東京のカルボナーラ」を自分で作れるようになるんだよ。きっと、ねとねとのクリームソースと粉チーズが麺に絡んでいる、あれを。それはもう東京を手中に収めたも同然だ。堂々と、そして淡々と、作って食って飲んで生きるがいいのだ。

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