私がnoteが書けない理由を考えてみた
今週は何を書いたらいいかなあ。
どうしよう、早く書かなきゃ1週間が終わっちゃう。
最近、日曜日の午後になると勝手に追い込まれている気持ちになる。
仕事でもなく、誰に頼まれたわけでもなく、
ただ書くことが好きだから、noteが好きだから、毎週更新していたのに。
いつの間にか「書きたい」よりも「書かなきゃ」になっていた。
お風呂に向かおうとする夫に、
「最近noteが書けなくなっちゃったんだよね」と言うと、
「書くことへのハードルを自分で上げすぎてない?すごいことを書こうとしてない?書くことが好きだから始めたのに、更新し続けることが目的になってるんじゃない?よ〜く考えてみなよ」と言い残して、スタスタとお風呂へ消えていった。
うーん。3つとも図星です☆☆☆
夫は私の気持ちや思いを言語化することが本当に上手。
感情や感覚で生きている私を、おだやかに且つ冷静に見てくれるところを尊敬しているし、頼りにしている。
あなたがお風呂に入っている間に、よ〜く考えてみることにします。
なんで最近書けないのか考えてみると、この3つが浮かんだ。
ただただ、疲れていた
ここ2週間くらい、暑さに体が追いつけずに疲れ切ってしまい、書くことに辿り着けなかった。茹るような暑さに負けた。(「うだるような」ってこう書くんだ、ひらがなだと思っていた。)日々に追われて、自分の心の声が聞こえなくなっていた
なんだか気持ちに余白がなくて、自分が何を感じているのかわからなくなっていた。時間があっても、YouTubeやSNSの沼にタプタプ浸かってた。
テレビを付けたまま、iPadで動画を流して、スマホを見ている自分に気づいたときは、流石にちょっと引いた。こういう時間があってもいいんだけど、「やってしまった〜」とはなりたくないんだな。よくみられたいと言う気持ちが芽生えてしまった
発見したことや心が動いたことを書きたいと思っていた。
でも発見や感動が毎日あるとは限らない。
それに、私がnoteを好きな理由は、“いろんな人の日常や思いを読むことが楽しいから”
何を食べたとか、家族との何気ないやりとり、最近読んでよかった本、スーパーでついつい毎回買ってしまうお菓子……そういうことたちだ。何者でもないのに、かっこよく書こうとしていた自分が恥ずかしい。書くことは日々に転がっているのだ。
疲れた時はまず回復を優先して、
スマホと適度な距離をとって、
飾らずありのまま書いてみる。
書き出すだけでスッキリしたし、困っていたことの糸口が少し見えた。
しかも、あれだけ何も書けなかったのに、ここまで書けちゃった。
ジャーナリングってこういうこと?
土曜日は友達と一日中遊び、日曜日は家でこれでもかとダラダラ過ごした。
それでもまだ1日残っているなんて!幸せすぎる。
久しぶり、GWぶりの連休。ありがとう、海の日。
ありがたみを噛み締めて過ごします。
明日はこれといって予定はないけど、
丸亀製麺の「鬼おろし肉ぶっかけ」を食べて、お土産に「うどーなつ」を買って帰ることだけは心に決めている。
こういうささやかなタイプの楽しみを、日々に散りばめて生きていきたいよね。
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