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「アンラーニング」としての社会人の大学院生活ー黒髪からサックスブルーの髪にするー

学び直しの“リスキリング”と同じような文脈で
“アンラーニング”というワードがありますよね。
当初、私は社会人の大学院生活は、リスキリングだと思っていました。
これまでの社会人生活にはない、学問の場で新たに学んでアップデートするという意味では確かにリスキリングなのですが、私の場合、MBAなどの実務者養成指向の大学院ではないので、大学院で触れるもの(知識、人間関係、価値観)はリスキリングではなくアンラーニングだな、と感じました。
以前の記事で“社会人大学院ではない大学院に社会人が進学すること”について書きましたが、そのような大学院で学ぶものというのは、キャリアや職業人生に活かすリスキリングというよりも、もう少しスパンの長い、ライフコース全体に渡ってじんわりと効いてくるアンラーニングなのかもしれません。流動性が高まっている現代で、より重要になってきているアンラーニングとしての社会人の大学院生活について考えてみました。

そんなアンラーニングの機会になった大学院生活に入るまでのいきさつは、
社会人になって東大の大学院入試に挑戦したすべてをこちらの記事で限定公開しています。

アンラーニングとは?

アンラーニング(un-learning)とは、
「学習棄却」や「学びほぐし」、「学習の解体」のことです。
既存の知識や固定観念を一度取り払い、新しい視点や考え方を取り入れる学習プロセスであり、単に既存の知識を捨てるのではなく、それらを再構築し、より柔軟で適応力のある思考を養うことが目的です。
アンラーニングのプロセスは以下のようなステップを含みます:

  1. 既存の知識や信念を認識する

  2. それらの妥当性や有効性を批判的に検討する

  3. 新しい情報や視点を積極的に取り入れる

  4. 古い考え方と新しい考え方を統合し、より深い理解を得る

社会人って忙しいので、
楽するために物事を昔の“勝利の方程式”に当てはめようとしたりしないですか?
けど、過去の成功なんてホント役に立ちませんし、周りの人からするとウザんですよね、、。過去の経験則も、実はノリと勢いとか、誰かが言っていたから正しいと思い込んで使っていたりします。そういったものを学術的に見直してみて、理論として認識したり、ただのまやかしだったり、ということが大学院の学びの中で出てきたりして、こういうことは仕事の延長線上にある自己学習とはまた違ったものです。

なぜアンラーニングが注目されているの?

近年、アンラーニングが注目を集めているのは、
以下のような背景があると考えています。

  1. 急速な技術革新: AI、ビッグデータ、IoTなどの技術が急速に発展し、従来の知識やスキルが陳腐化するスピードが加速しているため。常に新しい知識を取り入れ、古い概念を更新する必要がある。

  2. グローバル化と多様性: ビジネスや社会のグローバル化に伴い、異なる文化や価値観を持つ人々との協働が増加。固定観念にとらわれず、多様な視点を受け入れる柔軟性が必要になるため。

  3. 複雑化する社会環境: 気候変動、格差拡大、パンデミックなど、従来の方法では解決が困難な複雑な問題が増加して、これらの課題に対処するためには、既存の枠組みにとらわれない価値観が必要になっている。

  4. 生涯学習の重要性: 人生100年時代を迎え、キャリアの長期化や複線化が進んでいる。一度習得した知識やスキルだけでは通用せず、継続的な学習と再学習が不可欠となっている。

  5. 組織の変革ニーズ: 急速に変化する市場環境に適応するため、企業や組織は従来の慣行や文化を見直し、新しい価値創造のあり方を常に取り入れる必要がある。

これらの要因により、個人と組織の両方にとってアンラーニングの重要性が高まっているのではないでしょうか。個人的には冒頭で伝えたように、特に、④の生涯学習が重要だと思っています。過去の経験を創造的に破壊しつつ、新しいものを身につけていく姿勢がアンラーニングとしての社会人大学院生活で身につくといいなと思います。

職業レリバンスのない大学院での学び

社会人が大学院で学ぶ場合、必ずしも現在の職業に直接関連する分野を選択するとは限らないと思います。私も仕事は関係しているものの、個人的興味のほうが強く、大学院で学んだことが仕事や役職、お給料に直結するかと言ったらそうでもないです。
日本の教育と労働市場は、職業レリバンス(職業との関連性)が弱いと指摘されることがあります。学校教育で身につけたものと、卒業後に就く仕事との関連性が無いんですよね。文学部でも法学部でも、同じ企業の営業職で採用される、などごく一般的に起こっています。これは日本企業の大半が新卒一括採用という慣習があり、採用時にどの職務に就かせるかはっきり決まっておらず、採用してから社内ジョブローテーションで育てていくという、「メンバーシップ雇用」が多いことなどが理由にあります。学校教育と職業レリバンスが弱まると、“この大学に出ていたらおそらく能力は高いだろう”と、学習内容ではなく、学歴で判断されるというネガティブな方向に働くこともあります。
一般的には職業レリバンスのない学びは問題と見なされるのですが、長期的な視点で見ると、むしろ、職業レリバンスのない分野で学ぶことが、アンラーニングの観点から大きな価値を持つのかもしれない、と思うこともあります。
職業レリバンスのない分野での学びは、
以下のような利点があるのではないでしょうか。

仕事では得ることのできない理論的知見

シンプルに新しい学問分野に触れると、視野が広がって仕事での問題解決に役立つかもしれません。それに、自分の専門外のことを勉強すると、当たり前だと思ってたことにも疑問を持てるようになります。違う分野の知識が既存のアイデアと組み合わさって、新しいものを生み出すきっかけにもなります。ITエンジニアが哲学を学ぶことで、これから開発するAIに対して倫理的観点を取り入れたより柔軟なアウトプットができるものにできる、など。

仕事では触れ合うことのない人たちとの交流

大学院での学びのもう一つの重要な側面は、普段の仕事では関わることのない人たち、関わり方そのものが仕事とは異なるやり方での人々との交流です。仕事とは異なる価値観で生きている人と関わることで、アイデンティティの振り返りになったり、思考パターンを客観的に見つめなおすことになったりします。一つの仕事、一つの生き方をずっと続けることができるのであれば、そんなことする必要はないのかもしれませんが、人生長いので色々なものを楽しめたり、レジリエンス(困難に対する回復力や柔軟性)がつくほうがいいですよね。

人生100年時代「生きづらさ」を解きほぐすアンラーニングとしての社会人の大学院生活

人生100年時代を迎え、個人のキャリアはより長期化し、複雑化しています。前述のとおり、流動性の高まる社会において、過去の経験則や勝利の方程式は足かせというより、「生きづらさ」をもたらすリスクにすらなると思います。新しいものや知らないものを拒絶して判断力が低下したり、人間関係が狭まったり、、。そのような「生きづらさ」を解きほぐし、“老害化”を防ぐ効果があるのがアンラーニングであり、社会人の大学院生活では随所にその機会があります。

知らないことが当たり前で無知に対する恥がなくなる

大学院で触れることは知らないことばかりで、
「無知」がデフォルトです。
知ったかぶりなどしていたら研究になりませんし、それでは心身が持ちません。長く生きると、次々を生まれる新しい知らないことばかりになってくるでしょう。そのような“未知との遭遇”を避けていたら人生100年時代は辛くてしょうがないと思います。大学院で今のうちから無知に対する羞恥心を捨て去ることができるのは今後の人生で大きなメリットになると感じています。

年下の人に教えてもらうことに抵抗がなくなる

無知への羞恥心が消えることと連動していますが、研究に対する知識や手法は教授から教わることはあるものの、学部卒業したての修士1年生や博士課程の人からもたくさん教えてもらいます。おそらく人によっては教授も年下、ということは十分にあり得ます。
私のような昭和世代だとまだまだ年齢による序列意識がある人もいるかもしれませんが、そのような意識でいると大学院での研究は成り立ちません。分からないことは年下の人であっても誰にでも聞き、悩み苦しんでいることは隠さないようにしているので、年下の人に指導してもらうことが全く苦にならなくなります(教える側の年下の人はもしかしたら気まずい思いをしているかもしれませんが・・・)。
目上の人からしか学べなかったら人生100年時代、学ぶ機会がかなり制約を受けてしまいますよね。どんどん年上はお亡くなりになりますから。。なので、大学院でのアンラーニングで、誰にでも教えてもらうことの抵抗感をなくして生きやすくなるのかなと思います。

アンラーニングは黒髪をサックスブルー色に染めるような手間がかかる

アンラーニングの過程は、まるで、これまで慣れ親しんできた黒の髪をサックスブルーに染め上げるようなものかもしれません。
(“黒髪”に意味はありません。単なる比喩です)
まず、ブリーチを何度も繰り返し、長年積み重ねてきた既存の知識や固定観念という「黒さ」を少しずつ取り除いていきます。時に、この過程は痛みを伴うかもしれません。大切にしていた考えを手放すのは、簡単なことではありません。
そして、新しい色を入れていく段階。これは、新たな知識や視点を吸収する過程に似ています。最初は、その色がしっくりこないかもしれません。しかし、少しずつ自分のものにしていくうちに、新しい自分に魅力を感じ始めるはずです。
サックスブルーという色は、空と海の間のような、どこか夢見るような色合い。それは、既存の枠組みにとらわれない、自由で創造的な思考を象徴しているのかもしれません。
この染髪のプロセスは、決して一朝一夕には完成しません。時間と労力、そして何よりも過去の自分を捨てる勇気が必要です。しかし、その結果得られる新しい自分は、きっと今までにない可能性を秘めています。
社会人として大学院に通い、アンラーニングに取り組むことは、まさにこの染髪のプロセスのようです。慣れ親しんだ環境を離れ、新しい知識や人々との出会いを通じて、自分自身を根本から作り変えていく。それは確かに手間のかかる作業ですが、その過程を経て得られる新しい自分は、変化の激しい現代社会を泳ぎ切るための、しなやかさと強さを兼ね備えているはずです。
アンラーニングという「染髪」に挑戦する勇気を持つこと。それが、100年人生を豊かに彩る第一歩となるのではないでしょうか。

そのようなアンラーニングの機会を得る第一歩を踏み出すために、私がアラフォーで東大大学院の院試対策をまとめたこちらの記事を是非活用ください(いつもの宣伝です笑)。





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