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vol.84モラハラ夫編【県外=圏外】我慢発うつ病行き〜回想録のような備忘録〜(画像添付2024/1/13)


小説はフィクションです
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👓阪急電車

阪神大震災後のことです
神戸線が西宮北口駅〜梅田駅(現「大阪梅田駅」)で運行再開したのに合わせて、避難させてもらっていた義叔母家族宅から出ました
義父は神戸の店で寝泊まりし義母は義姉宅(大阪府堺市)へ、私達5人は実家(大阪府吹田市)へ移ります
着の身着のままで入浴もしていませんでしたが電車に乗り込んで来る人達は殆どが同じような境遇
大きなリュックを背負って疲れ切った表情をしています
乗り換えの十三じゅうそう駅まで平時は特急で10分程ですが、普通電車のみ徐行運転なので時間がかかりました
十三に着いて驚きました
スカートを穿いている
お化粧をしている
ヒールの靴を履いている
スキー板を持っている
笑っている
別世界に来たかと思いました
自分達の恰好を初めて恥ずかしいと感じました


👓孫

弟は遠方に転勤していたので、実家に居るのは両親と妹
以前、両親が子どもにお年玉やお節句のお祝いをくれると義母が「孫の為にご丁寧に有難うございます」とお礼を言うのが嫌でした
私の子どもは義両親だけの孫ではなく両親の孫でもあるのです
母が旅行のお土産を義母に贈ると「麻ちゃん(仮名。私のこと)のお母さんがくれはったんやけど、私こんなん、かなんねやんか(=こんなの苦手なの。義母は京都人)」と私に押し付けてきました
黙って捨ててくれた方がまだ良かったのに
両親と妹には子ども達を可愛がってもらいました
夜驚症 でしょうか、1才の次男は夜中になると火がついたように泣き叫びました
泣いている認識はあるのに何故泣いているのか、どうすれば泣き止めるのか自分でも判らないようで、その後何年も続きました
一旦治まりましたが、大人になってからも夜中に突然大声を出すことがありました

👓小学校

3年生の娘と1年生の長男は私の母校の小学校に一時的に転入しました
短い期間でしたが、温かく受け入れていただき楽しく過ごせました
被災地からの避難者ということで、学用品も寄付して下さいました
元々通っていた西宮市の小学校は創立百年を超えています
老朽化による建て替えを済ませていたため比較的早く再開の目処が立ちました
漸く慣れた小学校に別れを告げ、西宮市の小学校に電車通学する日々が始まりました
早起きをして次男を抱っこ紐で抱き、娘と長男を連れて通いました
西宮北口駅からは瓦礫の道を30分程度歩きます
自衛隊の炊き出しも初めて体験しました


👓自家用車

夫Hは無事だった車を西宮に取りに行き、全壊した家から使えそうな物を積んで戻って来ました。
居候が居る実家に保管場所はないので、車に積みっぱなしです
生活再建に不安がある私はできるだけ使える物は活用したいと思っていましたが、Hは心機一転新しい物を買い揃えようと企んでいます
生活基盤を失い家業である神戸の店も全壊し蓄財もないのに、です
vol.83では触れませんでしたが、震災の少し前にHは小さな会社に雇ってもらっていました
他人受けは非常に良いのです
少ないながらも定収入があることだけが支えでした

👓仮説住宅

実家に居続けるにも限界がありますが、仮説住宅に申し込んでも当たりません
就労可能な成人が2人居ると優先順位が低くなるのです
義両親は「高齢者枠」で当選しました
案の定、義母の「私、仮設なんてかなんわぁ(=嫌だわ)」の一言で辞退です
被災直後でも着替えてフルメイク、避難所を嫌がっただけのことはあります
初めから申し込まなければ良いのに
「お袋が一緒に住める家を探せってよ」とHから言われました
妻ではなく母親と住まいの話を進めていたHに驚きました
住宅不足の折7人が住める住居を探すより、2人と5人に分かれて探す方が合理的だとHに力説し、義母に伝えてもらいました

👓仮住まい

知人から住居の紹介を受けました
実家とはいえ3人暮らしのとろこに居候 が5人の8人暮らし
生活サイクルも違う者同士が一緒に居るとお互いにストレスも溜まります
元の住居に戻りたいのは山々ですが見通しが立ちません
仮住まいのつもりですから条件は三つだけ
屋根がある所で5人が眠れること
電気、ガス、水道が使えること
小学校に通いやすいこと
広さや間取りには目を瞑りました
48㎡2DKでの5人暮らしが始まります
両親は寂しそうでした
Hはお礼だと言って両親に電子レンジと大きなコーヒーメーカーを贈りました
サプライズ好きのHらしいです
もらって嬉しかったかどうかは訊けませんでした


👓引っ越し

妹の知人が家具の保管や引っ越しを格安で引き受けてくれました
Hは勿論のこと父や妹も手伝ってくれました
市内で人気の小学校区だったのはラッキーでした
子ども達には直ぐに友達ができました
鉄道駅からは離れていますがスーパーも図書館も徒歩圏です
当時は私も車を運転していたので不便はありません
再建すれば西宮市に戻るつもりなので狭さには我慢します
余震は未だ続いていたので、賃貸とはいえ築30年の木造住宅とは違う安心感がありました

👓圏外

兵庫県外に出てしまうと情報が入りません
兵庫県と西宮市の情報は、新聞紙面と電話で確認していました
義援金、家屋の取り壊し、仮設住宅、貸し付け、就学援助金…(名称が違うかも知れません)
被災地とは温度差があります
問い合わせると「居住地にも同様の制度があるのではないですか?」と訊かれ「被災したのは現居住地ではない」「被災証明は兵庫県西宮市から出ている」といちいち説明しなければなりません
後に兵庫県下の情報を県外被災者に郵送するサービスができました
現在ならネット検索すれば済みますが、当時は郵送が一番確実でした
Hは人から褒められることが大好きなので表立って動くことは厭いませんが、「調べる」「問い合わせる」「手続きをする」等の細かいことは面倒くさいからと嫌います
情報収集や手続きは専ら私がやりました
Hの方針で生活用品を新調した我が家ですから、少しでもお得な情報を逃したくなかったのです

👓連帯保証人

義援金の100万円(⁉︎)は受け取りましたが、引っ越しであっという間に消えました
当時はまだ敷金の慣習があったのでマイナスです
西宮市からH宛ての書類が届き、被災関係だろうと勝手に開封してしまって驚きました
「勤めているので貸し付けは受けない」と言っていましたが、H名義で借りていました
帰宅したHに訊くと義父に頼まれたと判明
義父も被災者です
義父名義で借りれば良いのにと言うと、義父名義で借りた上にH名義で借りたお金を義父に渡していたと言うではないですか
別件で義父の連帯保証人にもなっていると…
神戸の店も全壊で家業は休業状態
義父に返済のアテはあるのでしょうか
この書類に気づかなければ、Hと義父は私に隠し通すつもりだったのでしょうか
この義父にしてこの息子ありです

👓ヤクザ

神戸市の店と住まいだった西宮市の不動産は再建どころか、ヤクザに占拠されているから近寄るなと止められました
どちらの不動産も義父の6人きょうだいの相続物件です
元々仲が良くない上に、どういう経緯か義父の直ぐ下の弟(義叔父)がヤクザのトラブルに巻き込まれたらしいのです
義叔父の家族とは連絡がつかず詳細は不明です
義両親とも連絡が取れなくなりました
一時期避難させてくれた義叔母家族からは「身の周りにはくれぐれも気をつけるように」と注意を受けました
一体何に気をつければ良いのでしょう
大正時代から続いていた家業は廃業し、西宮に戻る家はなくなってしまいました


vol.85につづく


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