ぷっか

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基本ネガティブ、時々ポジティブな内容を書いています/ 20代前半/ 表現することを続けていきたい

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    コロナでの在宅中に情報発信してみた

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分かった

私は表現することが得意 でもそれには条件がある 絶対こうすることはできない と思ってることをやること ダメだよね って諦めたこと たくさんある 私は声が通らない サックス吹いてた時は音がこもる ダメだなぁ自分 それで諦めたことがたくさんある でもその諦めたことをあえてやる そこに自由がある気がする

    • セブンのスムージー

      • お久しぶり

        【今の状態】 ・地元に戻って家業(醤油屋)を手伝っている ・精神科に通院 ・カウンセリングも 仕事は午前中だけ。 精神科に通うペースは3週間ごと。 【趣味】 ・ジャニーズ(あるグループのグッズは全て揃えるくらいにはオタク) 本当に好きなのかな?と自分を疑う時もあり、けど、ジャニーズを取り囲む環境(オタクっぽい性格のファン、これだけ愛されているという事実、それとなんといっても単純な私の心を掴むビジュアル)が好きみたい。 【目標】 ・生きづらさ軽減(病気、障害があっても、

        • 大丈夫、私は成長しているから。

          1年前のメモ機能を見てみたけど、全然意味が分からない・・・ と思っていたけど、一つ言えるのは、成長しているよってこと。 ただそれだけ残しておきたくて!!!

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          みんな生きました

          お久しぶりの投稿となりました。 何から書き始めたらいいか分からなくなりました。 ですが、この1年間を振り返ってだとか、来年の目標だとかを書き始めてみることなんかが理想的なのだということくらい分かります。 その前に、書き方とか言い回しが以前と比べても全然成長していない気がして・・・ 私はやっぱり、そう簡単には変われなかった。 これは、私の中で出ている答えで、他の人から見たら、「あんた変わったわね〜」などと言われるのかもしれません。 そう言われると、頭がパッと切り替わって

          みんな生きました

          "頑張りすぎ"という言葉に吸い込まれて

          なにかしら悩んだり、頭が重くなっている時、私の出す答えは、"頑張りすぎた"という言葉。 すぎたのかすぎてないのかを測るものさしってものがないから、"頑張りすぎた"という言葉は実に、人間の詰めの甘さが浮き彫りになった感じに聞こえる。 でも、ふいに口から出てしまうのは何故だろう。 それは、"頑張りすぎた"という一言で、休むことが許される瞬間があるからだ。 休むことは許さない。もちろん、一息つくことやため息をつくことなど。 勝手に出るため息なんて、許されたもんじゃない。

          "頑張りすぎ"という言葉に吸い込まれて

          どうでもいいで世界を見る

          やることもなく駅のホームを行ったり来たり。 あっちのカフェに行こうかそれとも、こっちのカフェに行こうか。 これはあなたにとってはどうでもいいことだと思うけど、私にとってもどうでもいいことだ。 全ては意味もなく動いているだけ。 そう思ったら、ホームを行き交う人たちの息使いがより深くに響いた。

          どうでもいいで世界を見る

          日本人のメンタルと、それを表現しすぎるくらいの外見と。

          日本人の痩せすぎ太り過ぎの認識(自分自身)。 そして、それを他人に投影して、他人の痩せすぎ太り過ぎに口出しすること。 根にあるのは、自己表現と、その表現のための自己理解だと思った。 私たちは自己表現が苦手だ。 だから、その特化した苦手なことを、自分の体型に全部押し付けてしまおうという、密かで強くもある思いが、簡単に想像できてしまった。 自分の秘密を守ろうとしながらも、体は大胆に見せるという、相反した2つのことが同時に行われている。 心も体も大胆で、大きく見せたいの

          日本人のメンタルと、それを表現しすぎるくらいの外見と。

          頑張ることの本当。

          私は、過去の記憶を曖昧に持っていて、でも、今の自分を知ろうと思ったとき過去は切り離せません。 だから、頑張って思い出そうとして、頭の中に引っ張り戻そうとしているのですが・・・ そこで、気付いたことがあります。 それは、親や周りの人から与えられなかったのではなく、過剰に与えられすぎたものがあるということです。 結果として、自分という人間があるにもかかわらず、あまり、この人間の価値を捉えられていない。 こんな悩みがあります。 与えられたのは、物質的なものだけではありませ

          頑張ることの本当。

          人の身体、私の身体。

          どういうわけか、なんの根拠があってか、それは曖昧だけど、私は、人のことを取り込みやすいみたい。 人と自分との境界線を引くことも難しい。 それはなぜかと考えた。 私には身体があって、それは生まれた瞬間に、鎧を付けたということで。 23年間、鎧を付けて生きてきたということで。 で、それは私だけじゃなくて、みんなそうである。 お母さん、お父さん、祖母。 高校、中学、大学時代の友達。 道ですれ違う人たち。 今の私にとっては、道ですれ違う人たちはとても大きな影響を持つ存在

          人の身体、私の身体。

          解けていく記録。

          最近あったあるニュースから、自分が今この世界に立って生きていることに対して、違和感というか、感じる何かが生まれた。 そのニュースは私にとってある意味、心の中の何かひとつが解れたような気がして、良いニュースではないことは分かっているけど、彼の顔が頭に浮かぶと、感謝の気持ちが勝手に沸いてくる。 その解れた何かとは、私の存在のあり方、つまり、生きている私と死んでいる私を天秤にかけた時に分かることだ。 どちらに傾くかってことを考えた時、生きている私の方に傾く確率を考え始めた。

          解けていく記録。

          今日は許しておくれ。

          こんな時間にカフェイン飲んじゃった。 こんな時間に甘いもの食べちゃった。 だいたいこのくらいの時間になってから食べると、何を食べたとしても、罪悪感が生まれる。 こんな罪悪感、必要なんだろうか? 私はただ、昨日より美味しく食べれたら、それだけで良い気がする。 結構、罪悪感は強い方だと思うが、これをなくすには、その罪悪感を上回るくらいの許す力が必要なのだと思う。 しかし、そんなものなど、持ち合わせていない私。 今日は眠いし、その眠さが結構良い感じだから、このまま寝よ

          今日は許しておくれ。

          浅井さんと深井さん。

          深いことを考えていそうで実は、浅いことばかり考えているんだと思う。 浅いことを積み重ねてどんどん、底の深い沼にはまっていく。 沼にはまる訳とは、そういう自分(浅い考え方しかしない自分)に対して、嫌悪感を持つからだと思う。 「浅い自分が嫌だな〜」っていう、そのままの意味である。 これはただ単に、変なプライドとも捉えられるだろう。 言ってしまえば、”無駄な思い込み”とも言える。 自分の視界からも見切れるくらいのところに、その変なプライドが立ち尽くしている。 なんか急にだけ

          浅井さんと深井さん。

          あまーいコーヒーと自分。

          今日は職場に着く途中に、あま〜いコーヒーを買った。 このコーヒー、実は、何ヶ月かぶりに飲んだ。 その理由が、カフェイン摂取がメンタルに良くないっていう情報を耳に入れたことと、飲むタイミングが分からなかったことだ。 「カフェインの多量摂取は不安感を増やし、安心感から遠ざける。」 そういえば、どこで聞いたのだろう・・・?とか、疑問も多々浮かぶけれど、自分で思い込んでいたことは事実である。 思い込みと同時に、過剰な飲み込みもあってか、1度決めたコーヒー摂取は、この数ヶ月間貫き通

          あまーいコーヒーと自分。

          ごっ機嫌、げっつ曜日♪

          自分のご機嫌をとるためにしていること(無意識)がある。 めっちゃくだらない、大の大人(と言ってもまだ23だかんね!)が何言ってんだって感じると思う。 それは、「連休とか土日休みまであと何日」と、細かくカウントダウンを刻んでいくこと。 細かい人間だって思われても良い。 1日が終わるごとに「あと何日で休み」という風に計算(?)をする。 くだらないっしょ! でも、こうしないと、毎朝起きて、夜になると寝てまた起きて、その繰り返しが出来なくなる気がする。 社会人ってそういう

          ごっ機嫌、げっつ曜日♪

          自分のこと知りたい、けど、知り尽くそうとするな。

          疲れちゃった。 その一言で全部の疲れが取れてしまったら、それでおしまいなんだけれど、その一言を放ったとしても特に変わらないのだから、そもそも疲れなど持っていなかったのではないかって、疑う。 そうは言っても、疲れっていうのは本当に姿を見せずに、いつの間にか自分の中に入ってきていることだと思うから、なんとも説明し辛い。 私は、自分が1番大切で、自分が1番可愛くて。 そう感じているのだと、日常で思うことが多々ある。 そう思うのは、自分の内面を言語化するための情報とか学びをずっ

          自分のこと知りたい、けど、知り尽くそうとするな。