あまーいコーヒーと自分。

今日は職場に着く途中に、あま〜いコーヒーを買った。
このコーヒー、実は、何ヶ月かぶりに飲んだ。
その理由が、カフェイン摂取がメンタルに良くないっていう情報を耳に入れたことと、飲むタイミングが分からなかったことだ。

「カフェインの多量摂取は不安感を増やし、安心感から遠ざける。」
そういえば、どこで聞いたのだろう・・・?とか、疑問も多々浮かぶけれど、自分で思い込んでいたことは事実である。

思い込みと同時に、過剰な飲み込みもあってか、1度決めたコーヒー摂取は、この数ヶ月間貫き通していた。

気付けば・・・という感じで、それは、飲むタイミングを図れなかったという理由もある。

以前の職場では、休憩時間に入るたびにコーヒーを1パック飲み干していた。だから、家で飲むことは滅多になくて、飲むとしたら職場でしかないことは、自分でも理解している。

だから、私にとっての飲むタイミングとは、=職場で飲み物を口にするタイミングなのだ。


飲むタイミングって、本当に分からなくて。
自分の意思で飲んでいるわけでもなければ、誰かに飲まされているわけでもない。
その狭間の部分に生きて、私は飲み物を飲んでいる。


コーヒーが喉を通った時の感覚は、言葉では表せない。
ただ「あ、コーヒーだ・・・」と思い、それが喉を通りすぎるのを待つだけなのだ。

味に関しては、カフェインが強いのか弱いのかでしか表せない。
飲む時々によって、強く感じたり弱く感じたりもする。

「自分の味覚も当てにならないな。」なんて、軽く自己の俯瞰を行うことが出来たりする。

カフェインっていうのは、そういう力があるのだと思った。

「今、私に何が起こったのか」

そんなことを、毎回毎秒感じられる人なんていないだろう。

でも人間は、それを心で感じたいと、強く願っているんだと思う。
願いは叶えてあげたいし、それはたとえ自分であっても。


そんな自分の願いを少しでも、かするくらいでも良いから叶えてあげたいと思って、私は今日、コンビニで甘いコーヒーを買ったのだと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?