人の身体、私の身体。
どういうわけか、なんの根拠があってか、それは曖昧だけど、私は、人のことを取り込みやすいみたい。
人と自分との境界線を引くことも難しい。
それはなぜかと考えた。
私には身体があって、それは生まれた瞬間に、鎧を付けたということで。
23年間、鎧を付けて生きてきたということで。
で、それは私だけじゃなくて、みんなそうである。
お母さん、お父さん、祖母。
高校、中学、大学時代の友達。
道ですれ違う人たち。
今の私にとっては、道ですれ違う人たちはとても大きな影響を持つ存在である。
それは、自分の身体を自分で一生懸命動かしながら歩いていて、その動いている身体の1番近くにある存在だからである。
身体どおしがすれ違う。
その感覚は、生きている人にしか味わえない感覚なのだろう。
なにを言いたいかというと、身体を持った私は、その身体を存分に使いたいと思っているということ。
だから、人の身体のことが気になって仕方なくて、人と道ですれ違うことが楽しいのだろうと。
楽しくて仕方ないことなのになぜ、疲れるのだろう。
今の私の頭では、その答えがどうしても出てこない。
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