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子どもの主体性、放任てこと?

最近の学び。
noteに書いて定着したいという目論見です。



「子どもの主体性を育む保育」

昨今色んな子どもと関わる関係者の中でキーワードになりますね。

主体性とは、大人が与えたルールや遊びをさせるのではなく、子ども達が自ら考え、選び、納得するまでやり込む、というものです。

それにより子どもは自主的に決断をし、受動的ではなく能動的に動けるような大人に成長していくということです。
指示待ち人間ではなく、自分で考えて問題を解決していくという自分で工夫して人生を生き抜く力を得るということです。


なんと素晴らしい!!!


今すぐ取り入れよう!!


子どもが「ヤダ」って言ったらそれを受け入れ

子どもが「もっと」と言ったら満足するまで与え

子どもが走っちゃいけない場所で走っていても本人の走りたい気持ちを受け止めて止めず

子どもがあと少しでできそうな木登り、大人は手をかさずにじっと見守って本人ができるまで手を貸さないでいよう…!



あれ?
それって放任?ただのわがまま?

自主的って、なに??




そう、保育現場でも保護者の方で「子どもの意志を尊重」するのと「子どもの言いなりになる」を混同している方はいるし
保育士でも「集団を安全に動かさないとやっていけない!」と言って個々の姿を見れない人はいます。


それは、目に見える子どもの表面しか見ていないから。

子どもは大人に比べたらとても語彙が少ないです。

「イヤ」「ヤダ」
の中に含まれるのは「つかれた」「恥ずかしい」「うらやましい」「暑い」「寒い」「気持ち悪い」「眠い」「帰りたい」「お腹すいた」「喉乾いた」「抱っこして」「褒めて」…etc
色々含まれています。

その子が拒否をするその心の中はどうなってるのかな?その気持ちを取り除いてあげるにはどう接したら満足するかな?
と、裏の裏まで見ようとすることが必要になります。
年齢によって関わり方は変わりますが、根底はまずこれです。

3.4.5歳児になると今度は「どうしたらいいのかな?」と考えるきっかけを大人が与えてあげるのが重要です。

例えば廊下をどうしても走ってしまう子どもたちに対して
大人(保育者)はどうして走ってしまうのか子どもたちに問いかける。
すると彼らは「長いから走りたくなっちゃう」「急いでるもん」と答えるかもしれません。
でも大人は走って欲しくない。どうしてだと思う?と問いかけると
「ぶつかっちゃうから?」「あぶないから」と子どもたちなりに答えが出てくると思います。

子どもは「走りたい」
大人は「危ないから歩いて欲しい」
じゃあどうしたらいいかな?

子どもたちに考えてもらうように問いかけます。

すると子供どもたちは
「真ん中に線を引いてぶつからないように道路みたいにしたら?」
「ちっちゃい子のクラスの前では歩こうよ」
と、子どもたちが考えたルールを提案するでしょう。

大人のルールに子どもを当てはめず
子どもが自らルールを考えて守れるようにする
それこそが主体性、ということです。


保育園や幼稚園は集団です。
先生たちは集団を動かすことに躍起になりがちですね。
「〇〇ぐみさ〜ん!」という声掛けは、個を見ず集団を動かしているという典型です。
また、一斉で製作をする、劇遊びをする、やりたくない子、できない子がいるとついつい〝わがままな子〟とレッテルを貼っていませんか?
幼児期は集団行動することよりも個々の育ちを保障することが大切ですよね。
集団での学びというのは「いろんな子がいる」という事を子どもたちが気付き、保育者はクラスは仲間、苦手な子得意な子がいてあたりまえ、どうしたら個々が一緒に行事でやり遂げるのか仲間で考えよう、と導き出すお手伝いをするのが醍醐味と思います。
子どもが、子どもたちがみんなで考えられるようにヒントを与えていくのが主体性を育む保育、ということです。

園によっては統率の取れた各クラスの発表や完成度の高い作品を求められますよね。
本当にお疲れ様です。
でもそれって、
「大人が感動したいから」
ですよね。



「発達の最近接領域」という言葉があります。
昔のロシアの偉い心理学者さん(ヴィゴッキー)が言い広めた言葉です。
あともうちよっと💦1人じゃできないけど、大人がちょっと手を貸してくれたらできるギリギリライン!
のことです。

信頼してる大人にちょっと手を貸してもらって達成できると
「!!やったぁぁぁぁ〜〜〜!!できたぁ〜!!」
って、子どもはなりますよね。
そんでもってさらにその大人に
「やったね!!できたじゃん!ずっと頑張って練習してたからだね!」
って言ってもらえると、大人だって嬉しいですね。

こういう関わりで、子どもは達成感を感じるし
大人、ひいては他人への信頼感がとても高まります。それは自分に自信をもつことであり自己肯定感や自己有用感に繋がります。

「見守る」

と、一言でいってもそれはただじーっとみていることでもなく、手取り足取り1から10まで口を出すことでもありません。
発達の最近接領域を見極めながら見守り〝タイミング良く〟手を貸してあげてにっこり微笑むことがとても大切なのです。




子どもたちはみんな、自ら育つ力を持っている。
主体性を育む保育というのは、その育つ力を信じて保育者はそっと手を添える、そんな認識で良いのではと思います。
年齢によるところはありますが、乳児期はより子どもの前後の様子を見た上での感情の発露を代弁していく重要性が大きいですね。


子どもたちは私たちの未来、彼らが自ら生きる力を掴み取って成長するためにも〝自主性〟を履き違えずに関わっていきたい、そう思いました。


読んでくださりありがとうございました。




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