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3度目のうつ状態と向き合う記録として。日々の生活や興味のある事、今後の希望など発信した…

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3度目のうつ状態と向き合う記録として。日々の生活や興味のある事、今後の希望など発信したい。

最近の記事

元カノの死

僕の元カノが死んだ もう10年前の事 思い出してしまった は な (これ実名) とは職場で知り合った 僕は 旅館の支配人 彼女は フロントのアルバイトで一緒に働いていた はな はよく気が付き とても優しいとても良い娘だった フロントにいる頃は 女性として見ることはなかった 3年ほど一緒に仕事をし 突然アルバイトを辞めてしまった 数年後 ひょっこり事務所に現れ また雇ってほしいと言う ちょうどその時期 人手不足だったので 来てもらうことにした フロントではなく 仲居さん として

    • 元カノからのメール

      「先日はメールありがとう。 なんだかコロナすごいねっ ご飯でもと思ったけど、少し落ち着いてからにしよう 一応癌患者だからね 毎日暑いけど、体調はどう 私はずっと自律神経やられてて、めまいとか喉のつまりとかで、 毎日具合悪いです」 癌? どうして? どうしてこうなってしまうの? 君は、僕にとって大切な人なのに。 僕が躓いた時、必ず偶然だけど電話をくれたりメールをくれたり 助けてくれた元カノ、奈美さん。 どうして悲しい知らせが届くのか。 人は生まれた時既に寿命が決まっているとい

      • 嫌 な 奴

        一か月ほど前から新たに仕事を始めた。 もともと旅行業と宿泊業に就いて数十年。 仕事場は、長野県の松本市にある美ケ原温泉という所にある旅館で    何でも屋的な仕事を始めた。                     普通は、一部署に特化して仕事をするかと思うが私は、今日はフロント、 明日は、ナイトフロント、その次に日は、駐車場係と何でもやる。 やらない?やれないのは調理部門くらいでその他は何でもできる。 その旅館のフロントに一人だけ #嫌な奴 がいる。 女性の #副支配人 だ。

        • 元カノへの手紙

          先日は電話をくれてありがとう。 すごく嬉しかったよ。 6年間何もせず社会から離脱してしまい1年半前 突然治ったんだけどそれから病気前よりも元気になり 今は、此間話したかもだけど フィットネスクラブの 子供たちのスクールバスの運転と旅館で何でも屋みたいな 仕事を掛け持ちしているよ。 うつ病ではないんだけど限りなくうつ病に近い H.S.P(ハイリーセンスィティブパーソンズ)という病気ではないんだけど 持って生まれた性格が行き過ぎた状態? うまく説明するのが難し

        元カノの死

          ~昼寝で見た悲しい夢~

          こんな儚く悲しい夢を見たのは僕の人生で初めてだ。 然も昼寝で・・・。 それは、大学時代に付き合っていた彼女の話し。 当時僕は、駒澤大学。彼女は、トキワ松学園に通っていた。 共に246沿いだったせいか車でよく大学の正門まで迎えに行ったものだ。 今日見た夢。 彼女と映画を見に行った話だ。 彼女と映画館へ行き、人気のある映画だったので並んでいると何故か彼女の家族とバッタリ会ってしまった。よかったら一緒にって事になり誘われたが、僕は彼女と2人きりで見たかった。彼女を家族

          ~昼寝で見た悲しい夢~

          過ぎて行け!!

          僕は、#毎夜毎夜 いや #陽が暮れ始める と「早く朝が来ないかな」って考える。何故って?それは、夜が・・・・闇が嫌いだから。 闇とか言うと獣臭いけど、そう いろんな意味で #暗が嫌い 。 子供の頃の闇&暗、青春時代の闇&暗、大学時代の闇&暗、就職してからの闇&暗、#小田急線 の車内の闇・病&暗、#井の頭線 の車内の闇&恐怖、目覚めの闇、睡眠の暗、そして人生の暗。あげれば切りがない。   光と闇。 相対するもの。                           嫌いな理由?

          過ぎて行け!!

          生意気な子供たち

          こんちは  5月から僕は、某フィットネスクラブのスクールバスの運転手をしている。 自営業?なので いろいろやってみたく 初めたことだ。 勿論アルバイトだ。 子供たちは、運転手が交代したので興味津々。 僕の前任者は、70歳のとてもおっかないおっさんだった。 僕もその #おっさん に研修を受け1週間ご一緒させていただいた。 兎に角、典型的な #長野県 (地方都市・田舎)の口うるさいおっさん  だった。自分にゆるく人には厳しい、だけど正義感丸出しな人だった。 まあ、辞めた人のことは

          生意気な子供たち

          手をつないで歩く人達

          最近街を歩いていると、いや正確にいうと自転車で通り過ぎると  #手を繋ぐ 人達を良く見かける。 若い人達が手を繋いでいるのを見ると何とも微笑ましいな、と思う。 何か違和感を覚えるのは、40~60歳位の男女だ。 何か変であり、何か恰好悪いし、何か気持ち悪くなってくる。 だから、そういう人達が視界に少しでも入ると目を背ける。 自分は、街中で若い時からあまりそういうことをしないほうだった。 何かそういうことが嫌でしてこなかった。 彼女と歩く時も、その娘が僕の上着の裾を掴んでいたり肘

          手をつないで歩く人達

          町田のおネエさん

          僕は、川崎の実家に戻った際よく町田に遊びに行く。 買い物したり、呑んだり・・・いろいろだ。 ある日、そう昨年のクリスマスプレゼントを買いに町田の小田急へ行き その品の下見?にB1にある #Dior化粧品 に立ち寄った。 対応してくれた店員の方は、凄く感じの良い女性?あれ?どっち?って感じの方だった。すごく品があって笑顔が素敵で僕の相談にいろいろのってくれた。美人だし、可愛らしい顔立ちをしている。 んーそう、その店員さんは #性的マイノリティ の部類に入る方だった。 初め女性だ

          町田のおネエさん

          社会復帰と儚い命

          #社会復帰 を始めて半年が過ぎました。 率直な感想は、大変だ~毎日人間の大人をやり続けるのってって感じです。 毎日大人をやり続けるって ほんとに大変。  当たり前だろって言うかもしれないけど 永いよー死ぬまでは。 人は母親の産道からこの世に出てきた瞬間に寿命が決まっているって 言う人もいて 僕もそう思っている。 どんなに頑張って健康に留意していても若くして命を失う人もいれば 毎日毎晩不摂生していても長生きしてしまう人もいる。 不平等だ 遣る瀬無いって言うかもし

          社会復帰と儚い命

          ゴルフ練習場の面白いオッサン達

          ゴルフ練習場は笑いのワンダーランドだね!!              1日おきにゴルフ練習場に行っている。 現在唯一の楽しみだ。      私の実家は川崎市多摩区にあり、最寄り駅は小田急線の生田駅。       実家から徒歩で5分のバス停から新百合ヶ丘駅行きの小田急バスに乗り  その途中にその練習場はある。 今日も行って来た。 バシバシ芯を食

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          ゴルフ練習場の面白いオッサン達

          2022年1月5日         新年早々              兄貴の遺骨を引き取りに               神奈川県川崎市               多摩区役所へ行って来た話し     <誰一人看取られず一人で死んでゆくという事>

          今日2022年1月5日 川崎市多摩区役所福祉事務所へ実の兄貴の遺骨を   引取に行って来た。何故区役所の福祉事務所へ行くのか?            

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          2022年1月5日         新年早々     …

          私の人生を変えた「心の病」~その4~

          大学を4年間で卒業したばかりの人は、まだ素直で直でその業界の事は ほとんどの事を理解をしてない。                    素直で未経験であるがため、ある意味 あさはかな行動 をとるものだ。      自分も そのうちの一人 だった。                            ただ同期入社の人と異なっていた点、それは 業界での経験値。                       入社した時点で業界のシステム・宿泊施設との付き合い方・ご法度

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          私の人生を変えた「心の病」~その4~

          〇〇〇かもしれない・・・?

          つい最近の事だ。                          かもしれないと感じたのは。                     自分は、HSP かも? 昨年の夏に病院で、「うつ状態」と診断された。 診断してもらうもっと前、もう数年前からとっくに            おかしくなっていた。おかしい とは、通常の社会生活が        送れていなかったという事。                     半分というか、ほゞほゞ引き籠り生活。              

          〇〇〇かもしれない・・・?

          私の人生を変えた「心の病」その4

          前回 その3 からの続き・・・          あさはか 過ぎた自分。 その後,直ぐに訪れた正月。 両親と3人暮らしの家の中は、何とも言えない空気だった。 普段から言葉数少ない父親は、何とか私を元気づけようと言葉を かけてくれた。 母親は、平静を装ってはいるが心穏やかでない雰囲気だった。      それでも、いつもの正月同様母親がおせち料理をつくり父親は      母親の実家から届く新巻鮭を切り分けていた。             大晦日の夜、今でも覚えている

          私の人生を変えた「心の病」その4

          私の人生を変えた「心の病」その3

          前回 その2 からの続き・・・   会社を辞めたのは、年末の12月22日。 自分の無力さ、出来の悪さ、情けなさ。         凄く惨めだった                          就職前の学生時代は、スキーツアー専門の旅行会社でツアーコンダクターのアルバイトとして毎冬信州のスキー場に現地駐在員として長期間滞在した。 充実していた 私の人生

          私の人生を変えた「心の病」その3