私の人生を変えた「心の病」その3
前回 その2 からの続き・・・
会社を辞めたのは、年末の12月22日。 自分の無力さ、出来の悪さ、情けなさ。
凄く惨めだった
就職前の学生時代は、スキーツアー専門の旅行会社でツアーコンダクターのアルバイトとして毎冬信州のスキー場に現地駐在員として長期間滞在した。
充実していた
私の人生において間違いなく最良の日々を送っていた時期に違いない。 新宿からお客さんをツアーバスに乗せ、志賀高原、北志賀高原、斑尾高原、戸狩、野沢温泉、木島平 など北信越の有名スキー場を冬の間行き来した。
スキーは毎日滑り放題
現地でスキーバスの発着時にセンディングをした後はほぼ自由時間。 日給まで頂ける。 夜は、同じ会社の添乗員仲間や現地で知り合って仲良くなった連中と毎晩酒を飲んだ。 正しく 経済バブル の時代だった。
大学4年間のこのアルバイトで旅行業界の仕組みの 初歩的な事は理解しているつもりでいた。 何て華やかでやりがいのある仕事
なんだと思っていた。大学を卒業したら必ず旅行業界へ進もう。
営業マンとして、自分で契約したお客さんをバスに乗せ喜んで頂ける 仕事をたいと心から思っていた。
こんな生活を4年間続けていたのだから、まして元々出来の良い人間ではないから成績は最悪。4年間の成績の 「 優 良 可 」 の優の数など 恥ずかしくて人に言えたものではない。
若さゆえ怖いもの知らずでもあった。
成績の 優 の数等お構いなく就職活動では、大手旅行会社の会社説明会にも参加した行った。当然大手は門前払い同然、母校のランクでは会社説明会にも入れてもらえなかった。
その中でも中堅とは言え自分を採用してくれた会社が大好きだった。
電鉄系の会社であり、不安定な旅行業界でも不安要素は少なかった。 そんな思いで入社した会社を1年もたたないうちに辞めてしまったのだ。
サラリーマンなんて異動は当たり前。 今だったら、入社当時は事務職でも真面目にやっていれば営業の仕事が できる時も来るだろうと考えられる。
しかし、当時は 一巻の終わり 人生終わった
くらいの感覚だったのだ。
余りにも・・・
自分では言いづらいが 素直すぎた。
旅行業界の良い部分しか見えていなかった。
あさはか 過ぎた。
~その3~ は、ここまでとなます。 最後までお読みいただきありがとうございます。
~その○○~ が幾つまで続くか今のところ分かり兼ねますが
次回も読んでみたいと感じて頂けた方
また、お会いしましょう。
なるべく早期に ~その4~ を公開させて頂きたいと思っております。
それでは、また次回に・・・
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