芳川雄人

思ったことを書き連ねます 用途はほぼ長めのツイッター

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最近の記事

うそが本当に

今月末、親友が僕の後任のバーテンダーをやっているミュージックバーでライブをする。 「俺ら出会ってもう5年経つんだよ」 あの頃僕たちは19歳だった。僕はキャバクラのボーイをしていた。彼はマックの店員だった。 こよなくヒップホップを愛していた彼と、ビートメイカーになりたかった僕が仲良くなるにはそう時間は要らなかった。田舎の片隅に生まれ、音楽が好きなやつなんて周りにいなかった僕らの共鳴は「青春」と呼んで良かっただろう。そしてその「青春」を僕たちは駆け抜けていた。 そう、文字

    • 幸福な朝食 退屈な夕食

      上京する前、僕らはワクワクしていた。 それは新天地での生活もそうだし、何か大きな事が始まる予感、人生が全て変わってしまう様な予感だった。 どうにもそれは始まりでしかなく、その予感を現実にする為には僕の努力が必要らしかった。予感だけで大口を叩くのはノストラダムスだけで良いらしい。 なんだか眠れずにいた日の朝、馴染みの喫茶店で僕は空中に言葉を呟く。 “なんだか退屈なんですよね” どうやら朝まで飲み明かした店主も体調が悪そうだ。或いは連日の僕の出現に嫌気がさして来たのかもし

      • Can’t Keep Runnin’ Away

        まず最初に言いたい事は僕はもう既にベロベロである。 約1ヶ月ぶりに酒を酌み交わし、そしてそれが気心の知れた友人達とであったから酔っ払ってしまった。 孤独にはもう慣れたこの頃であった。僕自身の不埒な誠実さが引き起こした様々な人達との別離が、僕の心の傷を突き刺すのでは無く、後悔のみを残して繊細にその傷に時折触れるだけになった頃である。 馴染みの喫茶店の店主が、偶々下北沢に居合わせた僕を誘ってくれた夜であった。 僕は人と語らい合うことが出来る喜びに大いに舞い上がり、帰路に着

        • 最近のこと

          缶詰の煮イカを頬張り、煙草を吸いながらぽちぽちと今液晶に文字を打ち込んでいる。 腹は減ったが食うもんがない、致し方なく気が進まない缶詰を開ける。金がないんだからしょうがないさ。 最近はたくさん映画を観ている。日が昇っているうちは音楽を作り、夕方には動画制作をする。夜も寝静まる頃になれば、また明日との境界を太陽がぼやかすまで、映画を見る。 今日は親友の勧めで“ラブ&ポップ”という映画を観た。 “嘘の名前で良いんだ。今考えた名前を教えてよ。でも、あんまり適当なモノはダメだ

        うそが本当に

          創造

          文、肉声、遍く世界の全てを写す鏡としての“言語”の中で僕たちは生きている。 音楽を日々作る僕はひしひしと感じている。肉体としての律動、言葉としての旋律、そのパレットとして、その世界の秩序としての和声。その全ての躍動が降りかかるヘッドフォンの中に生きる悦びを。 映像芸術としての映画もそうである。人と人との駆け引き、表情、言語ゲーム、最近では日常生活のその一つ一つにも音楽が見える。 そのミッシングリンクを取り戻し、そこで過ごされる“風景”と“音楽”とが再び接続される。 僕

          皆んながもっているモノ

          ぼぅ、とBICライターから音がする。 仕事をクビになり、通帳の残高が引き出せない額まで減った僕は、一本一本、慈しむ様にピースを吸う。 そういえば僕が喫煙者になったのも、その昔好きになった女の子が、行きつけのセッションバーの喫煙所で良く誰かと話していたからだ。 その“誰か”には彼女と話す権利があって、“僕”には無い、ふんわりとそんな事を思っていた。 その“権利めいたモノ”を手に入れる為に僕は喫煙者になった。 彼女と安定的に結ばれる事は無かったものの、束の間の幸せはあった

          皆んながもっているモノ

          射映

          1人ベランダで煙草を吸う僕の携帯が震える。 そこにはかつて僕の引っ越しを手伝ってくれたおじさんの名前が表示されていた。 「よう、なんか大変なんだって?」 おじさんは僕の上京をセブンスター1カートンで、トラックの手配、積み込み、搬入まで全てやってくれた。 彼は元プロボクサーで、若かりし頃、とあるジムを目指して栃木から東京まで自転車で上京した男だ。 「なんかよう!グローブをカゴに入れてよ!ずっと走ってたらでっかい川にぶつかってよ!それが荒川で、そこで精魂尽き果てて倒れたん

          書くことでもない事/日記

          今日読んでいた本に、インターネットは皆さんの無意識が外部化されたモノであると書いてあった。 ほうほうなるほど、こうして僕達の無意識は無くなっていくとの事だった。 それはそうと今日僕は仕事をクビになった。 成績が悪いからとの事だった。 どうやら最近は何かを失うことが多かったが、社会性まで僕は失っていく。 古代ギリシアでは魂を「プシュケー(息吹、呼吸の意)」と呼んだらしい。彼らの魂が、風が吹くような魂であるのなら、今僕のソレは転げ落ちる様な魂である。 僕にとって、最大の恐

          書くことでもない事/日記

          痛み/祈り

          僕にはかつて、同棲していた恋人が居た。 地元の街の、良くあるバーで一目惚れし、僕らは結ばれた。僕の家業の呪いだとか、彼女の家族の呪いだとか、数多くの苦境を共に乗り越えてくれた人だった。 そして彼女は、音楽を志す僕と一緒に、上京してくれたのであった。彼女の母親からすれば、ほぼ駆け落ちの様な形だった。彼女を縛る母の力はとても強固だったのだ。 それでもそんな事は僕らでなんとかなる、2人で幸せになろうと約束して、知り合いの元プロボクサー、現万屋のおじさんのトラックと共に東京は世

          揺蕩う

          “言葉そのものが揺らいでいるので、言葉によって思考する僕たちは揺れながら生きるしかない。” ある哲学者がSNSでそう呟いていた。 例えば僕らが何か連続する言葉を口から発話する時、その言語自体に意味は無く、その“ことば”が内包する各々の約束を語っているのだ。 それはまさに、少し脚色された言語ゲームの考え方である。 そして大きな誤解は、“ことば”が共同知でないという事。揺らぎが存在するのだ。 わかりやすく、「コップ」という観念であればその揺らぎは少ないであろう。だが「恋

          ぼく/ぼくらの言語ゲーム

          君はそうなんだよ。 と人から言われると、たちまち「確かにそうかもしれない」と思い込んでしまう事もあれば「そんな訳ないじゃないか!」と反発し受容できない事もあるだろう。 しかし、時間が経つと「そうだったかも...」と収斂してしまう事の方が多いような気もする。 それは言葉を吐く彼等の「呪い/祈り」であり、“そうであって欲しい”という態度の表れ、言語ゲームである。奇しくも、呪いや祈りというものは得てして届いてしまうのだ。 ここでは「呪い/祈り」についてこう定義する事にしよう

          ぼく/ぼくらの言語ゲーム

          踊る

          “だから踊るんだよ。音楽の続く限り” 彼は羊男のセリフを引用して、そう僕に語りかける。 ここ最近では、幾つもの星々に線が引かれ、星座として意味を成すように、様々な事が繋がり、そのゲシュタルトが輪郭を表そうとしている事を感じる。 「きっと今僕が今やっている事は未来の自分という他者を救う為の“ケア”なんだと思うんだ。」 「ずっと先の、自分宛の郵便って所かい?」 そうさ、誤配のない事を祈るよ。そう呟き考えを巡らす。ここ最近では、僕は様々なモノを失い、それでも続けられる言語ゲ

          プリマイアー

          中学生の時から、僕の人生を面白がって殆どその全てを文字にして記録している友人がいる。 それは僕が23歳になっても未だ続いているが、彼と話す度に時折僕より僕の人生に詳しい彼に驚く事がある。 そして僕らは中学生の時から、もっぱら言葉遊びをする事に夢中だった。 どこに公開するでもない小説、ルポルタージュ、エッセイなどを書き連ね、これまでに夥しい文量が積み重なっている。そしてそれらの一貫したテーマが「全て嘘」という所なのだ。登場人物から著者、ルポルタージュであれば取材内容、場所

          プリマイアー

          リフレイン

          「“そうさ、君はひたすらに沈黙を貫けば良い。” 鼠は僕にそう語りかけた。形を持たない彼らの声は、僕の頭にこだまする。 携帯の通知音が鬱陶しく、僕はその電源を切りソファから立ち上がる。棚から一枚のレコードを取り出し、その静寂に針を落とした。 Brian Enoの1/1が流れる。 “沈黙” 僕はもう一度繰り返した。テーマは反復されなければならない。そして“語り得ぬ事については、沈黙せねばならない”。 栞の無い読みかけの本を開き、僕はこれからの事を考える。 “これからの事を

          リフレイン

          僕を思い切り抱きしめてよ

          時刻は既に深夜1時を回っていた。明かりはあっても、何かが足らないその部屋を満たそうとしていたのは、スピーカーから流れるBrian Enoだった。 ぼんやりと目を霞ませながら、ジャックラカンに関する本を読んでいた。 その本が丁度エディプス・コンプレックスの項に差し掛かり、読み進めていく内に僕は泣いていた。 僕の家族はあべこべで、僕自身もきっと誰に“父”や“母”の役割を押し付けて良いか、常に迷っていた事と思う。俗にある機能的な家族ではなく、正確にはどこの縁故なのかよくわからな

          僕を思い切り抱きしめてよ

          コナトゥス

          かつての僕は、人々のコミュニケーションを“お互いの誠実さを貨幣とする契約の元、相互に欲されている物を渡し合う事”と考えていた。 だが自らの“嘘”により僕はいつまで経っても“ほんとうにほしいもの”を受け取れないのではないかと考えていたのだ。 そうして、その解決策として僕は一度それを世界から”既に受け取っている“と仮定し、返礼しようと試みている。 全てを”正しい位置“に戻していくのだ。 これは言い換えれば、以前の僕が怠惰にも不正により受け取り続けた物を手放していく物語である

          コナトゥス