創造

文、肉声、遍く世界の全てを写す鏡としての“言語”の中で僕たちは生きている。

音楽を日々作る僕はひしひしと感じている。肉体としての律動、言葉としての旋律、そのパレットとして、その世界の秩序としての和声。その全ての躍動が降りかかるヘッドフォンの中に生きる悦びを。

映像芸術としての映画もそうである。人と人との駆け引き、表情、言語ゲーム、最近では日常生活のその一つ一つにも音楽が見える。

そのミッシングリンクを取り戻し、そこで過ごされる“風景”と“音楽”とが再び接続される。

僕らの生きる時をスノウ・ドームに閉じ込める様な、世界をインスタントにスピーカーから鳴らす事がビートメイクである。

そうしてヘッドフォンサイズの世界、遍く全てを閉じ込める事のできる音楽を創造する事の愛しさ、狂おしさ、その快楽たるや。

その律動の狂乱の中で、その旋律の吐息の中で永遠に踊っていたい。

近頃ではそんな事を思いながら、今日も鍵盤を叩いている。音楽という狂気的な言語を愛しているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?