幸福な朝食 退屈な夕食

上京する前、僕らはワクワクしていた。
それは新天地での生活もそうだし、何か大きな事が始まる予感、人生が全て変わってしまう様な予感だった。

どうにもそれは始まりでしかなく、その予感を現実にする為には僕の努力が必要らしかった。予感だけで大口を叩くのはノストラダムスだけで良いらしい。

なんだか眠れずにいた日の朝、馴染みの喫茶店で僕は空中に言葉を呟く。

“なんだか退屈なんですよね”

どうやら朝まで飲み明かした店主も体調が悪そうだ。或いは連日の僕の出現に嫌気がさして来たのかもしれない。

退屈だ、と呟いた時、僕の頭の中では斉藤和義の“幸福な朝食 退屈な夕食”が流れていた。それも鬱陶しい位の音量で。微睡みが僕の思考をぐにゃり、としていたせいか余計にまともな会話ができていたかはわからない。坂本慎太郎も“頭ン中で爆音で音楽が鳴ってるから聴こえねェよ!”と叫んでいた。

僕は最近周りを怒らせたが、ただ段々とそれも姿を潜め、なんだか退屈を感じていた。國分功一郎は日常に事件がなきゃ退屈だと言っていたが、それなら今の僕は退屈で間違いないのだろう。

段々と僕に怒りを向ける人が少なくなって来ると、それはそれで寂しさを感じる。大きな感情がこちらに向いている時、人は気持ち良いのだろう。僕は人を困らせるのが大好きだ。

何故か感じる疎外感、それは僕は皆の中心でない事への劣等感なのだろうか。そこに入り込もうと努力をして病んでしまうのであればいっそ、よりその円の外に出てみようと僕は今日坊主にしてみた。

これが案外気持ち良い。今までの僕ではない。こうして日常に少しずつ異変を織り交ぜていく。そうして何か突飛なおかしな事、みたいなモノの割合を増やしていけば、いつか僕の生きる世界は虚構になるんじゃないか。そうして全てがウソになった世界で、たった僕1人が「20xx年に地球は滅びます!」とマジな顔で叫んだら、かっこいい気もする。

借金返済、印税収入、フェンダーギブソンおもちゃじゃねぇんだ。
知らない同士、体制と犠牲、変態行為、ロックンロール。
島国社会、大陸社会、ライバル意識、劣等感。

どうも御無沙汰、おやすみまたね。
それじゃまたね、そのうちまたね。

ワクワクしたいね。

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