射映

1人ベランダで煙草を吸う僕の携帯が震える。
そこにはかつて僕の引っ越しを手伝ってくれたおじさんの名前が表示されていた。

「よう、なんか大変なんだって?」

おじさんは僕の上京をセブンスター1カートンで、トラックの手配、積み込み、搬入まで全てやってくれた。

彼は元プロボクサーで、若かりし頃、とあるジムを目指して栃木から東京まで自転車で上京した男だ。

「なんかよう!グローブをカゴに入れてよ!ずっと走ってたらでっかい川にぶつかってよ!それが荒川で、そこで精魂尽き果てて倒れたんだよなァ!」

彼がプロをなぜ辞めたのか、その理由は語られなかったが、今では彼は万屋の社長をしている。獲物を狩る鳶の目の様に光るまで、丁寧に剃り上げられた頭と、どこに行くにも必ず自らの屋号が入ったオリジナル法被を羽織り、常に足袋か下駄を履いている彼は、まるでフィクションの世界の住人かのように思える。

「いやぁ、そうなんですよね。仕事までクビになっちゃって」

ぽつりぽつり、と滴る雨とその湿り気が、少しづつその空間のムードを移し変えていくように、僕は語り出す。

「でも良かったじゃねえか!音楽に集中できるべ」

彼は口調こそ粗暴なのだが、そこらの教養人には引けを取らない程の読書家、勉強家であり、彼の思惟の深さ、強さから滲み出る言葉はとてもゴワゴワしていて、とても優しかった。おばあちゃんが洗濯したタオルみたいな、そんな優しさだった。

慰めるでもなく、同情を語るのでもなく、彼は彼の好きな偉人の話や、思想の話をドカドカっと語る。まるでピザを流し込む時に、コカ・コーラが喉を鳴らすかの様に。

「まあ、帰ってきたら連絡くれよ」

一通り僕らはそんな話をした後、彼はそう言い電話を切った。

自身のSNSに、溺愛する犬の写真を載せる彼は、その犬を「天才犬ピットブル」と名付け、共に暮らしている。そんな彼の本名すら僕は知らない。彼は常に自らを屋号で名乗るからだ。

それでも、遠くに住む僕を気遣って電話をくれた事、彼の頭の片隅に、どこかで頑張っている僕がいた事、それがとても嬉しかった。

無限に移ろいゆく彼のシルエットの中に、人々の不器用な、類型する“優しさ”と“強さ”の連続性を見つけ、それは僕を暖めてくれたのだった。

薫風に揺らされ、さざめき合う千の葉の様に、干渉し合う僕らの意識の中で、今「ここ」に在る私の思惟する血肉が、まさに「あそこ/他者としての未来性を孕む僕、或いは他者」のパースペクティブになれる事の、身体の移動性を彼は再確認させてくれた。

2本目の煙草に火を付ける頃、なんだか僕の寂しさは少しだけ、身を潜めた様だった。

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