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がんで健やかに生きる道

今このnoteを読まれている方へ

もしかして、ご両親だったりご兄弟だったり、ご友人だったりと大切な方ががん告知を受けられているのかもしれませんね。

もしくは、ご自身が告知を受けておられるのかもしれません。

しかし、これからも、穏やかに過ごしたい、平穏な日々の暮らしを過ごしたい、そう思われているのではないでしょうか?


母のがん告知をきっかけにして

2020年6月、母は癌告知を受けました。
約1年間の治療・療養の期間を経て、2021年6月に亡くなりました。
いろんな場面がありました。

辛い時、悲しい時、怒りを感じる時、
しかし

嬉しい時、和やかな雰囲気を感じる時、ほっとする時、そんな平穏な日々もありました。

本当に、いろんな毎日がありました。
・告知を受けた時
・症状が出てきた時
・受診拒否をしている時
・仕事終わりに毎日お見舞いに行った時
・病室で母が好きなパンを食べれた時
・点滴してぐったりしている母
・母が告知を受け一番辛いのに、私を気遣っている時
・退院してきて一緒に野菜炒めを食べた時
・私が仕事の電話ばかりしていて、喧嘩してしまった時
・抗がん剤に耐性ができ、通院の治療を止めた時
・GW連休に入る前にぎりぎりで往診の先生に来てもらえた時
・初めての持続駐注射での麻薬開始の時
・少しずつ私のことがわからなくなっていった時
・もう数日、もしかしたら数時間かもしれないと友人にLINEした時

様々な場面が思い出されます。辛い時、悲しい時、たくさんありました。しかし、だからこそ、少しずつ母らしさ、私らしさを出せるようになり、最後は2人だけの、母と子の穏やかな時間が過ごせました。


看護師だからできるんじゃないの?

私は看護師を職業に選び仕事をして、15年が経ちます。病院や訪問看護で働いてきました。様々な患者様の担当をさせていただきました。何十人・何百人という、がん患者様の担当をさせて頂きました。

確かに母の治療をする上で医師の説明が理解できることや、母の介護、自宅での看取りまで、看護師としての経験は活かせました。そしてこんな声かけも、かけてもらいました。
「娘さん看護師でよかったね」
「看護師さんのお母さんなら安心やね」
「看護師さんなら家でもみれるよね、うちは無理」

う〜ん、看護師ありきなんですよね。しかし、母も私も穏やかな時間を過ごすのに必要だったのは、看護師の経験もありますが、それ以外の人として自分に素直になる、正直になる、ということでした。


がんで健康に生きる道

がん患者様は増えておられます。私が看護師になった時(15年前の2007年前後)は、3人に1人と言われていたのが、今では2人に1人です。だからこそ、がんで健康に生きる道を、どんな方にも歩んでもらいたい、一歩一歩、確実に進んでいってもらいたいと思っています。健康の定義は人それぞれだと思います。しかし、

私の健康の定義は自分に素直になる、正直に生きる、自分らしく生きる

だと思います。母の介護の時、私は最初鎧を着ていました。仮面をかぶっていました。正直な気持ちを言葉にすることが、なんとなく恥ずかしい、だから言わなくてもわかるやろう、そう思っていました。でも、違ったのです。

どうにもならなくなったとき、本当の気持ちを伝えました。今までの感謝の気持ちを伝えたのです。「育ててくれて、お母さんのおかげで看護師になれたよ、ありがとう」と、気持ちを伝えました。そして、そこからゆっくりと私も母も素直な気持ちを伝えれるようになっていきました。もちろん紆余曲折ありましたが

母も頑固だし、私も母に似て頑固だし、照れ屋だし
でも、今伝える時は今しかない、今伝えないでいつ伝える、もう来月にはいないかもしれない、2ヶ月後には本当にいないかもしれない、もうこのベッドに寝てないかもしれない、じゃあ今言わないでいつ言う?最後に後悔しても、もう遅い!
そんな気持ちが私の背中を後押ししました。

このブログを読んでくださっている方
大切な方に本当に伝えたい言葉はなんですか?


"がんで健やかに生きるメールマガジン"では私自身の体験談や看護師として思うことを書いています。がんであってもどういう状態であれば健やかに過ごせるのか、ということについて、ゆっくりとお伝えしたいと思っています。

サポートはすべてがん介護のサポート活動にあてさせていただきます。 背中を押していただけると、嬉しいです