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昔のカンボジア写真館

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2023年1月の記事一覧

【昔のカンボジア】28 カンボジアのビザ 1994年

【昔のカンボジア】28 カンボジアのビザ 1994年

1994年2月に初めてカンボジアに来た際、ポチェントン空港(現プノンペン空港)で取得したカンボジアのアライバルビザです。バンコクやホーチミンから1日数便だけが飛来していて、空港ターミナルは平屋の小さいものでした。2月26日入国で発行番号が11162。1日あたり200人程度しか到着ビザを発行していなかったことがわかります。1994年。

【昔のカンボジア】23 ゴミ拾いの親子

【昔のカンボジア】23 ゴミ拾いの親子

空き缶や銅線などの資源ゴミを回収する親子です。プノンペン中心部にも、まだスラム化しているエリアが複数ありました。皆が貧しかった時代が終わり、この頃から貧富の格差が顕在化してきたように思います。2005年頃。

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【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本橋

【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本橋

プノンペンの通称日本橋、正式には日本カンボジア友好橋です。1枚目の写真右奥がプノンペン中心部です。高層ビルはまだ1つも見えません。日本の無償援助で修復するときに歩道に休息スペースが作られました。平和になって、橋の途中で景色を愛でれますようにとの思いを込めたものだったと聞いていますが、その後潰され、警備小屋が作られてしまいました。今はどうなっているのでしょうか。
あれから四半世紀が経ち、交通量も増え

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【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)

【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)

プノンペンの日本カンボジア友好橋です。写真右奥がプノンペン中心部ですが、高層ビルは1つも見えません。カンボジアの戦後賠償の放棄を受けて、日本が支援したプロジェクトの1つです。内戦により壊れていた橋を、1990年代に日本の無償援助で修復しました。その際に、平和になったカンボジアで橋の上からのんびり街を眺めてほしいとの思いから、休息スペースがデザインされました。残念ながらその後潰され、警備小屋が作られ

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シアヌークビルへの高速道路の今昔

シアヌークビルへの高速道路の今昔

昨年、中国企業によりシアヌークビルへの高速道路が開通し、カンボジア初の高速道路と認識されている方も多いと思います。実は「高速道路(highway)」と名付けられたカンボジア最初の道路は、1959年に開通していました。

今回の中国企業と同じく、首都プノンペンからシアヌークビルまでの道路がアメリカの支援で開通し、「クメール・アメリカ友好高速道路」と名付けられています。国連暫定統治により新生カンボジア

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【昔のカンボジア】18 選挙運動のラリー(1998年)

【昔のカンボジア】18 選挙運動のラリー(1998年)

UNTAC国連暫定統治下の初回総選挙で、新生カンボジア王国が誕生してから4年、人民党が連立与党だったフンシンペックを排除した7月事変から1年。国民議会選挙での野党支援の選挙ラリーです。現在の選挙運動の原型が窺えます。1998年。

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