「チャレンジを楽しめる組織」の価値
人も組織も、チャレンジがないと錆びやすい
「営業畑」「経理畑」といった具合に、キャリアの話をする時に多くの人が「畑」という言葉を使います。人が長い時間かけて育ち、何らかの成果をもたらすというイメージから使われるようになったメタファーなのかもしれません。
それぞれの「畑」で、エキスパートとしてキャリア形成をしている人は自らの強みをよく理解し、その強みを十二分に発揮できている、と思われがちですが、あらゆることが昔ほどには安定していない現代にあっては、必ずしもそうとは言い切れません。
同じ「畑」であっても、必要とされるナレッジやスキルはどんどん変化します。社会情勢や市況によって、すたれてしまう産業や職種も少なくありません。たとえば自動車製造業のように、産業自体はすたれていなくても、動力源が燃油から電気へとシフトすることで、多くの人のキャリアが少なからぬ影響を受けることもあります。
自ら積んできたキャリアを頼みとし、5年、10年、20年とその領域で力を発揮し続けることができたのは、もはや過去の話となりつつあります。今は自分自身の適性を冷静かつ客観的に見極めつつ、社会情勢や時代の要請にフィットした自分の役割について、誰もが真剣に考えねばならない時代です。
そうした時代にあって、安住の地をあえて捨て、新しい領域にチャレンジしようというモチベーションを持つ人を企業はしっかりと見極める必要があります。
働く人の資質や動機を客観的に計ることの重要性
会社からしてみれば、経理であれ、営業であれ、長年その業務を取り仕切ってきたベテランがいれば、少しでも長く、そこを任せたいと考えるのが人情です。しかし、私たちの経験上、長らく同じ業務に携わる人ばかりを多く抱える組織はどこか覇気がなく、働く人の表情にも明るさがありません。
本人が思い込んでしまうことはもとより、さらに深刻なのは会社側が根拠なく「向いていない」「やったことがないから無理」と頭から決めつけてしまうことです。「彼はずっと技術畑だから、営業なんて無理」という判断に、実は科学的根拠はないのですが、そういった判断が常態化してしまった組織では、チャレンジ精神が育たず、働く人は自分のキャリアと半ば諦念の感をもって向き合うことになってしまいます。
開発の仕事で鬱々としていた人を、営業が客先へ同行させたところ、いつもとは異なるクリアで筋道の通った商談になり、本人も俄然営業の仕事に魅了されることになった ─── というような話は枚挙に暇がありません。
長くやっているからという理由だけでキャリアを固定するという従来の考え方は組織の活性化や発展の妨げになる可能性があります。理想の「適材適所」を実現させるには、働く人の意志や資質を正しく把握・評価することが何よりも重要になります。
「働く側のチャレンジを応援する」という会社のチャレンジ
「適材適所」は永遠ではありません。「適」の定義は、日々変わっているのです。かつては「適」であったはずの人や技量が、いつしか「不適」になってしまう可能性は、今やあらゆる業種・職種で排除し切れませんし、その逆、かつては「不適」だったものが、今は「適」になることもあり得ます。
それは環境がそうさせるのであり、肝心の人の方の資質や動機はそう変わらないものなのですが、本人の自己申告や上司の評価は客観性に乏しいことが多く、こうしたものにのみ依拠していると判断を誤ってしまうことがあります。
時代が進むにしたがって、価値観も多様化し、外国籍の人材登用も珍しいことではなくなっています。心理学的・統計学的に立証された「信頼できるモノサシ」を用いたアセスメントが昨今見直されているのはそうした背景があってのことなのかもしれません。「信頼できるモノサシ」があれば、会社は自信を持って、人材を発掘し、かつキャリアについて提言ができますし、資質があるのに本人がそれに気付いていないようなケースでも、それを指し示すことで、本人を奮い立たせ、勇気付けることができるはずなのです。
不確実性の時代といわれる現代にあって、チャレンジが求められているのは働く側ばかりではありません。むしろそれを後押しする素養が会社側になければ、働く側も一歩を踏み出すことはできないでしょう。一か八かのギャンブルではなく、働く側がチャレンジを楽しめるような環境を整備するためには、働く人ひとりひとりがしっかりと自分自身、そしてそれを取り巻く環境を客観的に認知することが必要であり、それは会社側が積極的にサポートすることによって、初めて実現できることと私たちは考えています。