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見るものに与える余白 - 本来の自分の気持ちを取り戻すための想像力へのきっかけ。今泉力哉監督作品「his」を見て

映画を見てきた。ぶっ飛ぶくらいの衝撃を受けた。というお話です。

ここ最近、noteの更新が少ないですねという声をいただくのですが、理由は単に、「作っている資料がたくさんあるから」です。

もともと、そんなに器用でもないですし、自分の内側に入れてきた、映画や、音楽、本などからの影響を「今やるべきこと」に分解して依頼してくれた方のあるべき姿にしていくやり方をします。

というか、それしかできません。

演劇の企画書だったり、その他の資料を作るにあたり、「言葉」をものすごく大切にしないといけない内容が多いんです。

そんな時、noteが書けなくなった。さらに、僕は本を読めなくなりました。

全身で受けた影響を自分なりに言語化して落とし込んでいくので、文字からというよりも、その他のジャンルから言葉にしていくので、

言葉を自分に入れることができなくなりました。(資料はきちんと読むのですが)

そんな中、前に書いた映画サロン。街クリ映画部の皆さんと、映画に行く機会がのこ数日で2回ありました。

1つはミッドサマー。ある村を舞台とした、90年に1度の夏祭りに参加し、そこで起きる出来事を体験していきながらその恐怖に晒されていくというお話。

これは、もう、単純に「怖くて1人で見たらその後の数時間に響そう」でした。

仲間を募り、休日の日比谷シャンテ。朝から映画を見て、みんなで感想を話し合うつもりが、あまりにもの内容に賛否両論。ほぼ映画の話題ではなく、普段の皆さんのお話に終始するという事態に 妾。

そんな中、「こういう、自分だけでは行くこと無い映画、見るきっかけの無い映画を誰かの紹介で行くことって新鮮だよね」との話題になりました。

それがおそらく、自分の興味の範疇になりがちな趣味の世界から外に目を向けるきっかけを作れる。こんなサロンの醍醐味なのでは無いかと思います。

そこで選ばれたのが、今泉力哉監督の最新作、「his」でした。特に1人でも行けるかもしれなかったけれど、予告から感情面への振れ幅が大きそうで、「見たかった!」と言ってくれたメンバーや、「普段は洋画しか見ないので、この機会に参加してみようかな」というメンバーのサロンならではのきっかけとして見に行くことになりました。

その「his」は、かつて恋人同士だった男性二人の、8年ぶりの再会から物語がスタートし、別れることになった1人の新しい暮らしの中にかっての恋人が、子供を連れてやってくる。

さらに同性愛カップルについて懐疑的な可能性もある、岐阜の山奥の街が舞台になっていき、「自分が同性愛者であるか」を伝えるべきか、過去に傷ついた経験から隠して生きていくべきかの葛藤に悩まされていきます。

しかし、単に2人だけの当事者で終わらないのは、街の人々との交流と何よりも片方の男性に「子供がいること」です。

2人だけの関係性と空白の時間での葛藤から、その子供を中心とした時間へと替わり、気がつかされていく。というのが大まかな進行です。

映画を見終わった時に、僕は圧倒的な虚無感に包まれました。

冒頭に書いた、「今、作るべきアウトプット」に対して、目の前で展開される圧倒的に普遍的な世界観。かつその完成度が迫ってくる。

僕はクリエイティブディレクターという職業柄、目に入る作品に対して、「自分ならどうしていくのか」「この部分はどんな思いで作っているのか」を見てしまう癖があります。

そんな中、この作品のすごいところは「作家性よりも、とにかく伝えるべきメッセージ」に対して、真摯に作り手が向き合い、淡々と事実を伝える。

そして、圧倒的にバランスがいい。ことでした。

途中からその凄まじさはわかっていた。で、悪影響に近いのだけど、「自分ならどうするか」「今やっていることにもっと力を入れたい」までは良かった。

でも、そこに横槍がもう1人の自分から入ってしまいました。

「もし、自分がこの影響を成果物に入れてくるとしたら、<すごいね>」と言われるものが完成するか」です。

つまりは「自分を評価してほしい」という個人的なエゴ。

この映画のすごいところは「とにかく見るものに印象に残らない部分を持ちつつ、見終わった後に何か言葉にできない感情、それぞれの見た人たちの状況を想像させてくる余白を与えてくる」ことでした。

自分的にコンテンツをイメージする時に最も大切にしている部分で「余白を与えて考えてくれることでそれぞれの人生の一部に作品が存在していく」ことが最大の普遍性になる。と思っています。

そこに、本来は余白を作り出すことを、「それを行う自分を少しだけ褒めてほしい」という気持ちになってしまった。

それって、目の前の出来事'やるべきこと)に対して、どこか甘えがあって、手慣れた部分で進行しているところがあって、普遍的なものではなく、「自分の作品」にしてしまおうという気持ちが少しだけあってってことなんです。

見終わった後、その完成度ではなく、最近、もしかしたらそんな気持ちから考えていたかもしれないという反省で落ち込みました。泣きました。

もう、本気になって甘えなくて(頼りはしたい。それが仲間だから)、きちんとやるべきことに向き合うことが今は最も大切なことだと気がつかせてくれた。

この映画を見て、最大の収穫は自分の少しだけの甘えに気がつくことができたこと。だと思いました。

ちなみに映画は、素晴らしいです。こんなにも完璧なバランスで作られているものなんてしばらく見ていない。

劇中で登場する素敵な決め台詞。それを忘れてくれるくらいの圧倒的な「登場人物たちの感情の自分化」を作家の属人性ではなく伝えてくる。そしてそれぞれの立場から考えさせてくるものってなかなかない。

この気持ちになれただけでも、見に行く価値がありました。

最後に、時間を共有してくれたサロンの仲間の皆さんありがとう。塞ぎこんでいた自分に対して、優しく話を聞いてくれて、もっと楽しい話題で埋めてくれてありがとう。まさにこんな気持ち。

仲間がいて良かった。

そして、明日から自分がぶつけるものがあって良かった。

どうしても考え事をしている時間になってしまった今、この気持ちだけは忘れないように書いておかないといけないと思って書きました。

「his」。同性愛や、夫婦の離婚から子供の将来を考えながらも自分たちの最も大切にする人生を見つめていく。素晴らしい映画です。

これは現代が抱えるテーマとして幅広い人に見て欲しいと思いました。

明日から頑張ろう。こんな作品を見せてくれて世の中ありがとう。

こういう気持ちを書くことができるからnoteが続けられる。

それだけです。


新しいzine作るか、旅行行きます。