ポートレートとは
個展まで1週間です!(個展の宣伝の後に本編が続きます)
さて、ここまで「ポートレート」という言葉を多用してきました。しかし、「ポートレート」の展示なのは書いてあるけど、どんな写真があるの?とか、メインビジュアルがポートレートっぽくない!とか、その「ポートレート」のあたりがふわっとしたままだと思います。
本当はこの話題が苦手です。とても苦手ですが、言及しているからには書こうと思います。
「ポートレートとは」
結論としては、人物をメインで写した写真、ということで良いと思います。
ただ、人によって考えは様々です。
「被写体の素の表情を引き出してこそ」とか
「情景を生々しく写し出してこそ」とか
「一緒に過ごした楽しい時間を残しておくもの」とか
全部ポートレート作品へのアプローチとしては正解だと思います。人それぞれ、写真の分だけポートレートとは、があるものですよね。
では、私にとってのポートレートとは何か?
それには「合意」が鍵になっている気がします。
写真は結局複製物です。カッコイイ建築物を撮っても、綺麗な花を撮っても、荘厳な山並みを撮っても、被写体そのものの力を複製しただけに過ぎません。いわば、タダ乗りしているようなものです。
それでも写真はアートになり得ます。その理由は私の恩師である高澤哲平氏に教わりました。
私の選択に不可欠なのは「合意」なのです。
撮っても良いか、どんな想いを込めても良いか、そのための条件とは、それらの合意があって、私ははじめてのびのびと撮影ができます。
私の勝手な感覚ですが、カメラとは仰々しくて恐ろしいものです。カメラを向けられて素の自分を出すことは私にはできません。また、素の自分があったとしても撮られたくもなく、その素の自分に他者からの想いをのせられたくありません。
そんなカメラだからこそ、一瞬で被写体を舞台のスポットライトに立たせる装置になり得ると思っています。
スポットライトを当てられて、どんな表現をするか?それは様々で人の数だけ表現があり、そこにポートレートの楽しさがあると私は感じています。
さて、舞台と照明と演者がいても、台本、もしくは設定がないと表現とは難しいものです。
そのために、撮影テーマを私は毎回作ります。それは軽いものから話し合いが必要なものまで様々ですが、被写体さんと自分の交わる部分で設定します。
テーマはいわば話題です。こんな舞台設定でどう表現する?その表現なら私はこう撮る!という応報は、いわば対話です。
対話には、結果がどうなるかわからない、という楽しさがあります。それは写真の刹那的なものや偶然性とも相性が良いと感じています。
事前にテーマとそのテーマへの私の解釈も含めて合意し、撮影時には即席の舞台を作る、そして、被写体によるテーマへの解釈を受けて作品とする、高澤氏の言葉を借りれば、
「表現を介した対話の眼差し」それが私のポートレート作品です。
最後に例示として、私の依頼文章を載せてみます。
なお、この時の作品も写真集になりました!
個展で展示販売しますので、是非お手にとってご覧いただけると幸いです。
構成と編集に一年以上かけてがんばったので、見ていただけるだけでも嬉しいです。よろしくお願いいたします。
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