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音楽家の家系に生まれ、音楽家を挫折した人間が音楽と戦争の関係を考える

母方の親族は、ほぼ全員が音楽に携わっている。
母方の祖母の父、私の曾祖父はバイオリニストだったそうだ。
大伯母は80歳を超えた今でも声楽家として活動している。
祖母もソプラノ歌手として合唱団に所属していた。
居間にはオーストリアのコンクールで受賞した際の賞状が飾られている。

祖父方の大伯母は、戦前の生まれで、さらに女性でありながら音大卒の経歴を持つ。
祖父自身は仏文学を専攻し音楽の道には進まなかったものの、自分の娘、つまり私の母には強く音楽家になることを望んでいたらしい。

母はその期待にきちんと応えて、音大を経てピアニストとなった。
そして当たり前のように私にもピアニストになることを望んだ。

結果として、根性無しの私は音楽の道を挫折する。

かといって音楽そのものを嫌いになったわけではない。
むしろ、趣味として好んでいる方だ。
今でも機会があれば演奏するし、舞台の上で感じた高揚感を思い出しては心地よさに浸る。
安アパートでのひとり暮らしを始めてからその機会はめっきり減ってしまったが、いつか再開したいという気持ちさえある。

とどのつまり、賞レースとしての音楽に嫌気が差しただけだ。
母は私が音楽を辞めたとき、嫌そうな顔をしながらも「音楽は一生の友になり、人生の財産になる」と言ってくれた。
その言葉は確かだったなあと今になって思う。

音楽は時として身を守る盾になる

私の大好きな映画に、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』がある。
これは実話を基にした作品で、ユダヤ人ピアニストが逃亡した廃墟でドイツ将校に見つかった際演奏を命じられ、それに感動した将校に命を助けられるという物語。
序盤では、戦時下において演奏家なんて職業は不要なものだと言わんばかりに主人公の父がバイオリンケースを奪い取られ、貨物列車に押し込まれるシーンがある。
主人公の辿る結末とは対称的な場面だ。

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主人公のウワディスワフ・シュピルマンは、ドイツ陸軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトに見つかる直前、ベートーベンのソナタ第14番(「月光」の名で知られているあの曲)を耳にする。
その後ホーゼンフェルトの前でシュピルマンが演奏するのはショパンのバラード第1番。
ホーゼンフェルトがドイツ人であるベートーベンを弾き、シュピルマンがポーランド人であるショパンを弾く、これには何か強い暗喩が感じられる。


音楽と戦争の関わりでは、ダニエル・マン監督の『ファニア歌いなさい』も見逃せない。
これは、アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所で楽隊に配属された女性の物語。
ファニアを始め、楽隊の女性たちは一般の囚人よりも厚遇されていることが描かれている。
ファニアは一人でも多くの囚人を救うべく、演奏経験の無い囚人を「彼女はチェリストです」「彼女はピアノが弾けます」と言い張り、厳しい手ほどきをして本物の演奏家に仕立て上げた。
実際に医者など特別な技術力が必要とされる職に就いていた囚人は、収容所内でも要職に就き優遇されていたそうだ。
極限の状況では、手に職があること、これが命綱になり得ることがわかる。

しかしこれらはごく一部の例外で、有事の際芸術という無形の財産はいの一番に切り捨てられてしまう。
ナチスドイツ政権下では前衛芸術が燃やされ、スターリン政権下ではプロパガンダ芸術だけが認められた。

私の好きな作曲家、ショスタコーヴィチはソ連のプロパガンダ映画のために多くの交響曲を作曲をしている。
彼はスターリン亡き後に批判され、再び再評価されるなど、こと数奇な運命を辿った音楽家だ。
晩年は批判にさらされ、苦悩の末に生涯を終えた。


ショスタコーヴィチの交響曲は、ロシアの歴史を主題にしたものが多い。
特に、ロシア革命の発端となる血の日曜日事件をテーマにした交響曲第11番『1905年』の第2楽章『1月9日』は圧巻の一言に尽きる。
『戦艦ポチョムキン』の劇伴としても使われているため、交響曲第5番に次いで有名な作品だ。
ティンパニの轟きとスネアが奏でる一斉射撃の銃声、ヒステリックなまでに叫びを上げるトランペットの音色は、音楽と思えないほど鮮明に情景を描写している。
また、指揮者によって演奏のテンポが異なりやすい点も面白い。

ショスタコーヴィチの交響曲はプロパガンダ映画の劇伴として製作されただけあって、クラッシック音楽に興味の無い人でも聴きやすい作品に仕上がっている。
「プログレッシブロックのようだ」と評されることもある。
彼は芸術家として生き残るために音楽を作り続け、厳しい時代においても音楽を諦めなかった。
それが例えプロパガンダのための物だとしても、いくつもの名曲を遺している。

このように過酷な状況の中で、芸術が身を守る盾になったケースは多い。
時として芸術はどんな武器、地位や富よりも自分の命を守ってくれる。
それは芸術が言語や人種の隔たりを超えて通用する力があると示しているに他ならない。

音楽は時として兵器になる

言語や人種の隔たりを超えて通用する盾が芸術ならば、その盾を貫く矛もまた芸術だ。

ありとあらゆる歴史の中で、士気の高揚に軍歌が用いられている。
これは戦争が生み出す音楽という芸術の一つでありながら、兵士を駆り立てる武器でもある。
軍隊には多くの場合楽隊が存在するのもその証左だろう。

反ユダヤ主義者であったワーグナーは、偉大な音楽家であると同時にプロパガンダの立役者でもあった。
ナチスドイツは党大会やプロパガンダ映画でワーグナーの楽曲を利用している。
ワーグナーとプロパガンダの関係性は、ワーグナーの思想が反映されている点においてショスタコーヴィチとはまた性質が異なるだろう。
最も、彼の楽曲がプロパガンダに利用された経緯にヒトラーが熱狂的なワグネリアンだったことも無関係ではない。

音楽は人間を高揚させる間接的な兵器となり得るが、直接兵器として利用されたケースがある。
太平洋戦争中、アジア諸島のジャングルに潜む日本軍へ向けて、アメリカ軍が大音量のジャズを流しながら進軍した、というエピソードが残っている。
当時敵性音楽と呼ばれていたジャズを聴かせることで、すぐ傍まで迫っていることをアピールした。
精神的に追い詰めるための作戦だ。

もう少し歴史を遡ると、太鼓やトランペットなどの楽器が砲撃、出撃の合図に用いられている。
これは音楽とやや遠いかもしれないが、「音」が戦争の中で重要な役割を成していることには違いない。

音楽には人を癒す強い力がある。
その強い力を転用すれば、人を傷つけることも容易い。
そして、このような使われ方をするのはとても悲しい。

それでも音楽は美しい

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これは『戦場のピアニスト』のワンシーンで、隠れ家に置かれたピアノの鍵盤の上で音も無く演奏するシュピルマン。
音を立ててはいけない隠れ家生活の中、ショパンの『華麗なる大ポロネーズ』を頭の中で演奏している。
このシーンは、エンドロールへの大きな伏線となる。

オーケストラに囲まれ、大舞台の上でこの大ポロネーズを演奏するシュピルマンの姿でエンドロールを迎える。
隠れ家での無音の演奏が、現実となって還ってくる。
エンドロールで一番のカタルシスが湧き上がる構成には見事と言わざるを得ない。

やはり音楽は美しい。
それが音の出せない鍵盤上だけのものであっても、舞台の上で喝采に包まれるものであっても、音楽の持つ魅力は変わらない。
人の心を動かし、時には傷つけ、時代に翻弄されながらも芸術として輝き続けていく。

平和な世の中に生まれ育った身でありながら、戦時下でも失われなかった音楽の力を痛感する。
そして、音楽家を諦めた身でありながら、未だ音楽に囚われている。

素敵なクラシック音楽たち

最後に、クラシック音楽をいくつか紹介したい。

・戦場のピアニストOST

この記事で取り上げた『戦場のピアニスト』のサウンドトラックは、ショパンのベスト盤と言っても良い。
劇中で使われたショパンの楽曲を中心に構成されており、ショパン入門にももってこいの名盤。
冒頭ラジオ局で演奏されていた『ノクターン第20番』、『遺作』の別名を持つこの曲はショパンの中で最も好きな曲。
主人公であり実在のピアニストでもあるシュピルマン本人の演奏も収録されている。

・J.S.バッハ『G線上のアリア』

言わずとしれた名曲。
聴けばすぐに「ああ、この曲か」と思い至るはず。
旧劇エヴァで、アスカと量産機が戦闘する名シーンのBGMとしても有名。
『G線上のアリア』というタイトルは、バイオリンのG線だけで演奏できることから来ている。
たった一本の弦で演奏できるだなんてとんでもない曲を作ったバッハは、やはり音楽の父と呼ばれるに相応しい。
バッハの音楽は、対称的な音階などを多用した緻密な計算に基づいて作られている。
数学に知見があるとより一層楽しめるかもしれない。

・ラフマニノフ『交響的舞曲』

ロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフの遺作となった作品。
「舞曲」の名の通り、元々はバレエ音楽として構想されていた。
次々と訪れる転調にリズミカルな変拍子が華やかで、激しい曲調ながらも耳に心地良い。
この曲は一度オーケストラで演奏する機会に恵まれたが、テンポを取るのが非常に難しかった。
しかし、その目まぐるしいリズムの変化が何よりの魅力でもある。

・ファリャ『恋は魔術師』

ジプシーの娘、カンデーラの恋物語を描いたバレエ音楽で、ファリャの代表作。
中でも「火祭の踊り」は最も多く演奏されている。
エキゾチックな曲調と流れるようなスケール、燃え盛るようなトリルが狂乱の舞踏を思わせる。
この作品以外にもバレエ音楽は、バレエの伴奏を目的として作られているため、曲にも物語性があり華やかなものが多い。
CMや映画でもよく使われているため、馴染み深い曲も多くクラシックの中でもとっつきやすいと思う。

ここに挙げた作品以外にも、素晴らしい音楽は世界にあふれている。
同じ音楽でも、指揮者や解釈によって演奏が変わるのもクラシック音楽の魅力の一つ。
ポップスを聴くのと同じような気楽さで、ぜひクラシックの世界に触れてみてほしい。

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