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第四話 朔風花払 ―きたかぜはながはらう― (十七)

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<十七>


 
「白姫?」

 鯉のことらしい。はっ、とあざけりの声がついて出た。腹立ちまぎれに力を込めて、鯉の身体を足でにじった。先ほどよりも、げた臭いが強くした。

「しろひめっ!」

 初めて、幼子のように形振なりふりかまわず、女が叫んだ。

「返しませんわよ。これは連れ帰ります。うちのモノたちが酷く怒っていますの。好き勝手に『場』を繋いで縄張りを荒らされ、庇護していたお兄さまを奪ったことを許すはずがございませんでしょう。八つ裂きにしても飽きたりませんわ。せめてもの慰めに、これを気の済むまでなぶって、気を晴らしてもらわねばなりません」
「そんな……酷いことを……やめて! おねがい!」
「それだけのことをしたのです。皆の気が済んだあとで、丁重にまつって差し上げますので、ご安心を」
「咲保っ!」

 兄の非難する声に、咲保は深々と息を吐いた。

「ヌシさま、ヌシさまっ! 白姫をお助けください! おとりなしを、どうか、どうかっ!」

 女の懇願は悲痛さに満ちていた。仲間のためにそんな声を出せるくらいなら、なぜ、それを他人に置き換えて考えられないのだろう、と咲保さくほは冷めて思う。どうして、自分の要求ばかりが通ると思うのだろうか。

「咲保っ! なんでだっ!? 遺恨いこんを残すつもりか! わざわざことを荒立てる必要はないだろう! 頼むから、譲歩してくれっ!」
「わたしが代わりに行く。白姫を離してくれ」

 突然、玄武げんぶが人の姿に戻って言い出した。

「嫌ですわ」

 咲保はにべもなく即答した。

「あなたでは私の手に余ります。途中で襲われたら、私も無事に帰れないではありませんか」
「そんなことはしない」
「当てになりませんわね。この状況で、なぜ、自分たちが信用されると思いますの?」

 話にならない。玄武もわかったのか、口を閉じた。変わって桐眞とうまが説得を始めた。

「なぜそうかたくななんだ。一度、祝詞のりとを聞かせるだけの間だけ待ってくれというだけだろう。すぐに終わる。そのくらい待てよ」
「お兄さまこそ、どうしてそう甘いんですの? 普段から討伐なさっておいでなのに」
「おまえだって、普段からモノ達と仲良くしているだろう」
「彼女達は恩人ですもの。縁あって、私を助けてくれましたの。だからですわ」
「助けたって、誰から」
「他のモノたちやあやかしから。それはもう数えきれないほど。お兄さまが学校に行っている間や輝陽きょうに預けられていた間、私が親に甘えて安穏あんのんと暮らしていたと思いまして? あるのは基本的な結界だけで、私も物心ついたばかりの、護法もほとんど身につけてなかった頃のことですわよ」

 そういえば、桐眞は、ぽかん、とした顔で咲保を見た。

「毎日のように、お父さまとお母さまが、まるおが必死で追い払ってくださいましたの。それでも防げず、さらわれそうになったり食べられかけたり。そんなモノたちは揃って私に言いましたの、『可哀想な子だ』って。今生はつらかろうから、食べてやるから、自分の一部となって生きろだとか、どんな理屈かしら! 一度、知らない山の中に捨てられたこともございましたの。遊んでいた途中で、いきなり飽きたと言われて。その頃、遊びたくとも、ろくに家の外にも出られず友達もいなかったので、同じ年頃の子に遊ぼうと言われて、すっかり喜んでついて行ってしまった挙句あげくのざまですわ。自業自得とはいえ、今の瑞波みずはよりも小さかった頃のことですのよ。まるおが見つけてくれて助かりましたけれど。それはまだマシな方。他にも散々な目に遭いましたわ。自分でもよく生きてこれたと思います。どのモノも勝手で、自分の都合しか頭にないやからばかりでした。私の気持ちをもてあそんで、自分たちの欲求は当たり前に満たされると思っていますの。その頃のお兄さまは、輝陽きょうに行かされたことを不満に思っていたようですけれど、お兄さま達を守るためでもございましたのよ。巻き込まれないように、お兄さま達だけでも安全でいられるように」

 思い出すだけで、はらわたが煮え繰り返る。そんな咲保とは対照的に、桐眞の顔からは、すっかり血の気が抜けて見えた。

「ですから、私、まるお達以外のモノの言うことなど、ちっとも信用できませんわ。本当にモノなんて大っ嫌い!」

 咲保はたずさえていた懐剣かいけんを抜くと、おもむろに傍らの鯉に力いっぱい突き刺した。鯉の大きく開いた口から、高い悲鳴の声があがった。鯉は白衣をまとった童女の姿に変わった。縛られ、背の真ん中に懐剣が突き刺さった姿で、もがいた。白い着物に赤い色が広がった。

「しろひめっ!」
「痛い、痛い、いたいっ! 助けて、くろひめっ! 痛いよぉっ!!」
「……黒姫?」

 懐剣をそのままに立ち上がった咲保は、首を傾げた。
 一瞬の間に、孔雀明王くじゃくみょうおうも掻い潜り、女が白い童女のもとに滑り込んできた。そして、刺さった懐剣を抜こうとするが、懐剣が拒んでいるかのようにまともにつかむことすらできない。

「黒姫と白姫……?」

 取り乱した女が、白姫、白姫、と繰り返し少女を呼び抱きしめる姿は、本気で心配しているように見えた。

「まさか、ひょっとして、あなた達って宇津田姫うつたひめ?」

 歳の頃の違いはあるが、そっくりな泣きべそ顔がふたつ、咲保を見上げた。なぜ知っている、という顔だ。さもありなん。彼女たちの名は、それほど一般的ではない。咲保が知っていたのはたまたまで、公家の娘のお仕込みからだ。
 あらまぁ、と彼女たちの正体のあまりの意外さに、咲保の気も抜けた。煮えたぎっていた怒りが、すっ、と音もなく引いていくのを感じた。瞬時に頭が冷える。次に、すっきりと晴れ渡った空の下にいるような気分になった。

「ああ、ここは黒姫の『場』で、だから、白姫の『場』が重なっていても壊れなかったのね。二人同じモノだから」

 咲保は、ぽん、と手を叩いた。


◇◇◇


 大陸から渡ってきた、五行思想なる自然を体系化した思想にていわく、
 東は春。色は緑。元素は木。
 西は秋。色は白。元素は金。
 南は夏。色は赤。元素は火。
 北は冬。色は黒。元素は水。
 それに、中央の土用で黄色が加わる。

 四神相応しじんそうおう五行思想ごぎょうしそう。五行思想は五つの元素が互いに影響し合うことで、森羅万象しんらばんしょうを形成し、世に起こるさまざまな事象もこれらの影響による、という考え方であり、地の利の読み方として四神相応も要素のひとつとして組み込まれる。
 どちらも大陸から渡ってきた知識であるが、それぞれこの国の気候風土に合わせた形に修正し、また新たな要素も加えた。取り入れたものに追加、変更を加えることで、さらに使い勝手の良いものにし、独自に発展させてきた。そうして、文化にも馴染ませてきた。

 ここに、一つ。
 爲良ならが都だった時代、都の東にある佐保山さほやまは桜の名所と知られ、春の女神が住まう山と呼ばれた。女神は山の名から佐保姫さほひめの名で親しまれ、いくつもの和歌や詩にも詠まれた。
 対する西には紅葉の名所である竜田山たつたやまがあり、こちらは秋の女神が住まう山とされ、竜田姫たつたの名で呼ばれた。どちらの女神も山を美しく染めることから、佐保姫は機織りや染め物、竜田姫は裁縫と染め物の神としても、信仰を集めた。どの仕事も、女の日常仕事として必須の技術だからだ。上達しますように、と女たちは女神に祈った。
 しかし、そこで素朴な疑問が生まれる。北と南、夏と冬の女神さまは? なんというお名前――?
 四つある季節のうち、司る女神が半分しかいないというのも、なにか収まりが悪く感じられるものだ。人々の間でこの疑問は時たまささやかれもするが、誰もその答えを明言する者がいなかった。理由としては、爲良の南北には、女神に例えて語るに相応ふさわしい山がなかったからだと言われる。山があっても、夏の緑も冬の冠雪かんせつも、滅多に桜や紅葉のようなその山ならでは、という景色にもならないからだろう。また、あったとしても、何をつかさどるとも言えない――からと思われる。
 そして、答えが出ないまま時は流れ、全国統一をかけて武将が争った戦国の世から栄扉えど時代にかけて、里村なにがしという連歌れんがの名手がいた。連歌はその頃の武将のたしなみの一つであり、その第一人者と呼ばれた人物だ。のちに栄扉幕府にも仕えて指導にもあたったその者がしたためた連歌のための字引の中に、ある一節を残した。

 『うつ田姫 冬を守神なり』

 そのたった一文だけだ。その歌人は爲良の出だったそうだが、宇津田山という山の名が人々の記憶にはない。しかし、なぜその名であるかはどこにも記されてはおらず、謎のままだ。それでも、冬は宇津田姫うつたひめ、とその名は定着した。「へぇ、そうなんだ」、と人々がうなずくほど連歌師の第一人者の言葉には権威があった。
 それとは別に、いつからか冬の女神は、『黒姫、白姫』という名でも呼ばれており、こちらも愛称のように残されている。
 因みに、夏は筒姫と呼ばれるが、こちらはそれらしい記述も何も残されておらず、出典は謎のままになっている。
 それでも、四季の女神が揃ったことに人々は納得し、受け入れた。


◇◇◇

 
女は怖い――。

 桐眞とうまは心の中で呟いて、手の中の握り飯を頬張った。咀嚼そしゃくすれば、塩気と米のほのかな甘みに、空腹感が刺激された。途端、腹が減った、もっと食いたい、と大声で本能が訴えはじめ、あとは、がつがつと、もう一つ、更にもう一つ、と時折、喉の奥に詰まらせながらも、夢中で腹に収めていった。
 五つほど食べ終わったところで、ようやく腹も落ち着き、理性が戻ってきた。すると、次にじわじわと、自分が気づかないうちにモノに片足を突っ込んでいたらしい気配に気付き、どっと冷や汗が出た。
 
 うわああああああっ!

 大声で叫びながら、地面の上を転げ回りたくなった。穴があったら入りたい。それなりに討伐にも参加し、子どもの頃からまるおに接してきたこともあって、モノについては人よりも知っていると自負し、警戒していたにもかかわらず、この体たらくだ。情けないにも程がある。
 
「あなたがたはっ! 名を得たモノとしての自覚が足りなさすぎますっ!」

 突然、ばん、と響いた床板を叩く音に、桐眞は身体をびくつかせた。隣で、咲保さくほが漬物を食べる音をさせながら、ふっ、と鼻で笑う声がした。妹の膝の上で丸くなったみぃは、眠りながらぴくぴくと耳を動かすのみだ。
 縁側で庭を眺めながら食事をする彼らの後ろでは、玄武げんぶと宇津田姫こと黒姫白姫の二名を取り囲み、モノたちの尋問と説教が続いていた。


 女と鯉の正体に気づいた咲保が、蘇芳すおうを介して現状報告を行うと、すぐにほうきを手にしたまるおが、影を伝ってやってきた。

「来てくれて助かるわ。どう考えても討伐対象だけれど、微妙に神の区分にも入りそうでしょ。下手するとたたりそうだし、宇津田姫の後釜がすぐに出るかどうかもわからないから、どうすべきか、私には判断がつかないのよ」
「懸命なご判断です。暁葉あけは浜路はまじにも伝えましたので、おっつけやって来るでしょう。その話し合い次第ですね」

 まるおはそう言うと、桐眞を見て深々と溜息をついた。

「確かに影響を受けてらっしゃいますが、この程度でしたらすぐに解けますよ。殿方にはよくあることです。手遅れになる前でよぉございました」

 そう言うと、抗議する間もなくいきなり顔の真ん中に札を張られ、声を封じられた。

「坊ちゃん、こちらが片付くまで、お静かになさっていて下さい。少しでも抵抗すれば、めっ、ですよ」

 なんとも懐かしい、坊ちゃん呼びの赤子扱いだ。『めっ』で何されるかわからないが、それで、まるお相手に暴力に訴えるわけにもいかず、黙って頷くしかなかった。
 まるおは孔雀明王くじゃくみょうおうを監視役に置いたまま、きびきびと指図をはじめた。咲保は素直にそれに従い、白姫から懐剣は抜かれた。宇津田姫を指してまるおいわく、『この程度のモノたち』だそうだ。咲保に戦意を喪失させられたこともあり、黒姫のみ軽い拘束術を施した。これ以上蹂躙じゅうりんするまでもない、という評価らしい。

 さして待つこともなく、暁葉と浜路が合流した。桐眞を見るなり浜路は眉をしかめ、暁葉は大きく声をあげて笑った。

「坊ちゃんも、なんとも手痛い洗礼を受けたもので! ええ、お若い内に経験できて良かったとお思いなさいましな。年をとってからですと、妙にこじらせたりいたしますからねぇ。よくあることでござんすよ」
「無防備な状態で、『場』に触れたせいもあるのでしょう。お気を落とされないよう」

 浜路からも残念そうに言われた。その時はなんのことかわからないまま、それぞれに肩を軽く叩かれるままになった。
 その後、白姫の生太刀でしか切れなかった縄を解き、一番手強いだろう玄武を縛った。
 鯉に変化できないまでに消耗した白姫は、反抗しようにも大したことはできないだろうと判断された。その間もずっと泣き通しで、受けた仕打ちを訴え続けていた。

「勝手に入られて、すっごく臭くて、塩水に変えられて、いじめられたのぉっ! 閉めようと上に行ったら、槍で突かれそうになるしぃっ! そしたら、今度は水をぜんぶぬかれちゃうしぃっ! 落ちてすごくいたかったのぉ! 気がついたら、踏まれて鱗焼かれて、縛られちゃってぇ! それだけですごく痛いのに、地面引き摺られて、なのに、ぜんぜん動けなくて、禰古萬ねこまに鱗がされるし、刺されて痛くて……誰も助けに来てくれないしぃっ! 痛くて、痛くて、いたかったよぉっ!」

 うわあん、と声をあげて泣く見た目は可愛らしい童女を取り囲み、にやにや笑う成人女性たちという絵面は、邪悪すぎた。その、したことも。まさか荒事とは無縁と思っていた妹が、そこまでするとは思ってもみなかった。
 咲保のあれほどの怒り様を、桐眞も初めて見た。発する言葉はすべて刃のようで、無抵抗の相手に躊躇ためらいなく剣を突き立てるなど、想像もしていなかったことだ。それだけ腹に据えかねていたということなのだろうが、なにかがいているのではないか、と疑う変わり様だった。普段は、大丈夫かと思うほどおっとりした性格で、ぼやぼやと抜けたところもある頼りない妹、という認識が間違っていたことを認めざるを得ない。あれが本性ならば、普段、どれだけ猫をかぶっているというのか。
 女は恐ろしい――そう思った。

 


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