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第四話 朔風花払 ―きたかぜはながはらう― (十二)

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<十二>


 離れに戻ると、炬燵こたつを囲んだ三人のモノたちがあれこれと活発に話し合いをしていた。会話からはいくつか物騒な単語もまじっていたが、まるおもいつもの調子に戻った様子に、咲保さくほは安心した。

「ただいま」
「お話し合いはどうでした? ご家族には納得していただけましたか」
「一応はね。でも、すこし疲れたわ」

 浜路はまじに答えた。気疲れから消耗もしたが、のんびりもしていられない。

「そっちはどう? 何か決まった?」
「はい。大体の方針はこのように」

 まるおから差し出された紙を受け取る。話し合いの内容をまとめてくれたらしい。紙をざっと眺めて、咲保は目を丸くした。

「こういうのって嫌がらせになるの?」
「ええ、『場』での事でござんすから大したことにはならないでしょうが、効果はあると思いますよ」

 暁葉あけはが楽しそうに答える。

「こっちに気を取られている間に、他ごとがおろそかになるのも狙っていますしね。材料はすでに使いに出して、取り寄せている最中にござんすよ」
「まあ、その辺りは任せるわ。でも、融通してくれる方々へのお礼とかはどうすればいいかしら」
「それはわたくしの方からいたします」

 まるおが申し出た。

「この一件は領分を侵された私の問題でもございます故。豊玉毘賣命とよたまびめのみことさまも承認された制裁のためともなれば、法外な要求をされることはございませんし」
「そう。でも、私の方でもできることがあれば、言ってちょうだい」

 さて、と咲保は言った。

「私は、まず鏡の札を作るところからかしら。浜路、教えてくれる?」
「はい」
「わたくしはお嬢さまの身支度の用意をいたしておりますので、いつでもお呼びください」
「あたくしは取りに行く物があるので、ちょいと出てきますよ」

 各々が出来ることを始める。冬空を覆う雲を払うために――。



「姉さま、なんか変な臭いがします」

 次の日の朝、慌ただしく支度をして離れから出れば、顔を合わせるなり妹に言われた。自分でもわかっていることだが、そうもはっきりと口にされると、咲保もしょんぼりしてしまう。

「虫除けの匂い袋でございますよ。いろいろ混ぜてみました。鯉も玄武げんぶも犬コロより鼻が効きますのでね。近づくのも嫌がるでしょう」

 と、装具を用意したまるおが代わって答えた。今日の咲保は、藍染の小袖に裁着袴たっつけばかまといつになく身軽な装いだ。そばに寄ってきた磐雄いわおも、あからさまに顔をしかめた。
 
「おぇっ! 本当にひどい臭い! これ、逆に排除しようと攻撃してこない?」

 ひどい言い草だ。もう少し遠慮した表現をしてくれても良いと思う。

「たかが鯉にできることなんて、大してありませんよ。竜になれれば別ですが、奈智滝なちのたきの倍以上も高さのある滝を昇れるぐらいか、山と海であわせて二千年ほども生きるぐらいじゃないとなれません。今時、さほど力のある鯉はおりませんからね。身につけたお守りで充分に防げるでしょう」
「お守りって?」
「髪を縛る紐は、宇迦之御魂神うかのみたまのかみさまお気に入りの農家の水田で育った、加護をたっぷり含んだ稲のわらを編んだものでございます。あと草鞋わらじも。かんざし代わりに、今年の新嘗祭にいなめさいで奉納された稲穂もおつけになっています」
「あ、ほんとだ」

 背中側を覗き込んだ弟が、声を上げた。

「でも、なんか田舎くさいっていうか、貧乏くさいな」

 本当に、磐雄は言葉を選ぶことを覚えた方がいいと思う。地味に傷つく。

「そんな言い方すると、バチが当たりますよ」
「これはこれで良いんじゃないかしら。お祭りの衣装みたいで」

 その点、余計なことを言わない妹は賢い。可愛い。

「小袖と袴は、阿波あわ猿田彦神さるたひこのかみさまのご加護を受けて育った小上粉こじょうこから作ったすくもで染めた一品でございますし、蓑山大明神みのやまだいみょうじんさまの御加護を得た神山杉かみやますぎの皮を薄く削いで作ったすね当てを仕込んだりと、そのほかにもたくさんございますよ」
「なんだかよくわからないけれど、すごいのね」

 夜なべして頑張ったと鼻息荒く語るまるおに、瑞波みずはは首を傾げつつ答えた。
 要は、玄武や鯉に負けないほどの守護のある素材ばかりを選んで加工した、ということだ。咲保も、よくもまぁ集めたと感心するばかりだが、これだけしてもまだ足りないとばかりに、過保護なモノたちが用意した品々は、精神的にも重い。ただ、見た目は、くノ一かという格好だ。身体能力は、遠く及ばないが。

「ほら、あんたたち、邪魔したらあかんえ」

 風呂敷包みを抱えた母が来て、弟たちを注意した。「ねぇさま、ちゃんと、みぃを連れて帰ってね」、と瑞波はひとこと言い置いて離れていった。母の顔を見れば、まぶたは腫れていたが、昨日よりは、ずっと落ち着いて見える。

「荷物になるけれど、腰にでもつけて持っていってあげてな。中にあんたと桐眞とうまのおにぎりと、みぃの煮干しが入っています。あと、これ水筒。お腹すかせているやろし、できたら食べさせてあげて」
「わかりました。ありがとうございます」
「それで、あんたは大丈夫なんか? 昨夜は眠れましたか、朝ごはんは食べましたか? どこも悪いとこはありませんか」
「大丈夫です。寝ましたし、部屋で朝ごはんもいただきました。元気です」
「そうですか。桐眞のことよろしゅう頼みます。あんたも、くれぐれも無理したらあきまへんえ。危ない思ったら、あんた一人でもすぐに戻ってきなはれや」
「大丈夫です。必ず無事に、お兄さまを連れ帰ってきます」

 父に、咲保と呼ばれ、姿勢を正す。

「怪我しないよう、気をつけて行きなさい。無茶をするなとは言えないが、慎重に行動すること。すこしでも異変を感じたら、すぐに知らせなさい。あとこれを」

 と、一振りの懐剣かいけんを渡された。

「身を守るために持って行きなさい。銘あるものではないが、代々うちに伝わるものだ」
「ありがとうございます。行ってきます」

 懐剣を帯に挟み、咲保は一礼した。

 庭の砌石みぎりいしに置かれた草鞋に履き替え、桐眞がさらわれた南の庭に出た。すでに、鯉の『場』につながるの門を開ける準備は万端に整っていた。四方を笹竹で囲み、紙垂しでのついた注連縄しめなわも張られている。中央には、残されていた鯉のうろこを使って細工を加えた元凶の小石が置かれている。取り囲む四方には札が貼られ、その前には、ちょうど石が映る位置に銅鏡どうきょうが置かれていた。綺麗に磨かれているが、かなり古い物だそうだ。浜路が、どこかの廃社はいしゃに残されていた物を見つけてきたらしい。長年、大事にされてきた名残りがあるという。

「このままですと、そのうち付喪神つくもがみになるやもしれません」
「済んだら供養した方がいいかしらね。こんな小さな鏡の中に入れるの?」

 顔が映るのが精一杯の大きさの鏡に、浜路に問えば、顔の一部分でも映ればいいそうだ。

またたきする間です。ただ、門を開いた後が危険ですから、他のご家族が入れないようにしなくてはいけないのですが」

 その対策のために、三方さんぽうに乗せた線香と蝋燭ろうそくが用意された。浜路が暁葉に譲るようにそそくさと離れていった。
 
「ところで、暁葉の持っているそれが、言っていたお塩?」
「はい。鹽土老翁神しおつちおぢのかみさまより分けていただいた物でござんすよ」

 と、小脇に抱えた蓋つきのかめを軽く掲げてみせた。梅干しの保存用などに使われている十号ほどの大きさのものだ。

「まあ、もったいない。有難いこと」

 すぐに片袖で鼻を押さえるのはやめてほしい。

「料理に塩は欠かせないですからね。清めに使えば、格別で。普段から、よくお付き合いいただいているんですよ。これこれと理由を話せば、快く分けていただけましたよ。同じものがあと三甕ほど。お嬢さんが入った後に適当なところでぶちまけますので、ちょっとしょっぱくなるかもしれませんが、我慢してくださいまし」
「そのくらいかまわないわ」
「どうぞ、ご武運を。無事のお帰りをお待ち申し上げておりますよ」
「ありがとう」

 家族とモノたちが見守る中、咲保は三方の前に腰を下ろした。祝詞のりとをあげ、次に三方脇に用意しておいた経典きょうてんを開いた。

仏説摩訶般若波羅密多心経ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう

 続けて経を二種唱える。一般的に、神道の家の者だからといって、きょうを唱えてはならない、などということはない。民間においては、政治的に分けられるすこし前までは、神も仏も一緒に祀られているのが当たり前だった。普段、仏も神も心からおがむ分には同じだ。ただ、その中でも、各々はっきりと区別されるべきまつりや儀礼があるので、それを混ぜてはまずい、というだけの話だ。ただ、政治面でそれらを扱う者たちが、それをわかっていないままに一緒くたにしてあれこれやらかすので、父たち関係者面々が困っている、という側面はある。

「北に多聞天たもんてん、東に持国天じこくてん、南に増長天ぞうちょうてん、西に広目天こうもくてん御来臨ごらいりん下さいませ」

 すると、体内からふわりと浮かぶような感覚と同時に、笹竹の内側四方に甲冑を身にまとった筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの四天王が現れた。おお、と背後から磐雄の感嘆の声が聞こえた。これで、笹竹の内側に咲保以外は誰も入れなくなると同時に、咲保の意志なく門が閉じるのを防ぐことができる。磐雄がすこし不安だが、まるおがよくよく見張っていてくれるに違いない。
 咲保は小石の前まで進むと、用意していた札を懐から取り出し、石の上に被せるようにして置く。その上で手順に従い手刀しゅとうを切ると、札は石にぴったりと張り付いた。

「解錠願いたてまつる」

 唱えれば、小石からにじみ出るように水が湧き出てきた。
 待つ間、咲保は手鏡に映る自分の顔を見た。顔色が悪く見えるのは、きっと曇り空の下だからだろう。ちょっと情けない表情なのは、寒いせいだ。大丈夫だ。問題ない。
 そんなことをつらつらと思っているうち、水がくるぶしまで浸かったところで、気がつけば水中に浮かんでいた。頭上に波の影がうつる明るい水面が見えた。

(本当に水の中だわ……不思議)

 いつの間に移動したのか、と咲保は感嘆した。とぷん、と耳の中で水音がするが、衣服が肌に張り付く嫌な感じはしない。身体のどこにも痛みや異常はないようだ。息苦しくもない。一瞬、全身に、びりっと痺れる感覚がありはしたが、それだけだ。成功したらしい。ただ、少し抵抗があって、動きにくさがある。
 咲保は懐から浜路に渡された人形を取り出した。布でできた猫の形のそれは、中にみぃの毛が入っている。こたつ布団についたそれを、浜路が集めて作ったものだ。先端についた紐を腰紐に絡めれば、猫の人形はより水中に沈んで、重しのようにして咲保の身体を下方へ引っ張った。自然と、仰向けだった姿勢が立つ姿勢に変わった。このまま放っておけば、人形がみぃのところへ連れて行ってくれるそうだ。
 なされるがままに沈んでいくと、辺りが薄暗くなってきた。断続的に当たる波動を感じて周囲をうかがえば、白い魚影を見かけた。

(あれが、鯉ね……)

 少し離れた位置でぐるぐると咲保の周囲を巡っている。怒っているように感じられる泳ぎ方だ。警戒をしていると、ぽん、と肩に何かが当たって弾ける感触があった。細かい泡もたつ。

 ぽん、ぽん、ぽん!

 同じ感触が何度も繰り返されるが、痛くもかゆくもない。魚影の位置からして、鯉が攻撃を仕掛けてきているらしい。だが、まるおたちが用意してくれた装備のせいか、効果なく防げているようだった。ふふっ、と咲保は口の中で笑った。
 ムキになったと思える攻撃が続いて、ふいにそれが止んだ。見れば、鯉が慌てた様子で上に向かって泳いでいくのが見えた。どうしたのだろうと訝しんでいると、突然、口の中に塩気を感じた。暁葉たちが上から投入したらしい。モノとはいえ、元が淡水魚の鯉は塩水を嫌うだろう――そういう嫌がらせだ。案の定、鯉は急いで見に行ったらしい。

(わ……!)

 突然、上方からのうねりに強く押された。何があったのだろうか。疑問に思う間にも、もう一度。猫の人形に引っ張られる力と相まって、ぐん、と一気に身体が下に沈んだ。



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